不信
「かなたさん、少し伊東さんについて気になるところがあるのですが......」
かなたが山南の部屋で雑務をしていると、彼が神妙な顔をしてこちらを振り向く。
「......伊東さんですか?」
その名が出た瞬間、かなたの手がピタリと止まった。
「はい。最近、伊東さんの弟の鈴木さんが少しこちらを伺っているようなのです」
「なにか、怪しまれているんでしょうか?」
鈴木のことだ。伊東に頼まれて、何かを探っている可能性は高い。
「わかりません。ですが最近、標的を私からあなたへ変えたようなのです」
「えぇ?!」
自分の予想以上に、鈴木は厄介かもしれない。なんというか、勘が鋭い。
「何が起きるか分かりません。できるだけ、一人にはならないようにしてください」
「わ、わかりました...」
といっても、かなたの仕事は基本一人だ。けれど、最近は新しく入った、相馬主計や野村利三郎達と仕事をすることも多い。注意すれば大丈夫なはずだが...
そう思っている時に限って、フラグが経つのがこの世の摂理なのだ。
屯所の掃除中、普段掃除していない場所が気になってしまい、ついつい隅々まできれいにしていると、気づけば、近くにいたはずの隊士たちの姿が見えなくなっていた。
(つい夢中になって一人になっちゃった...)
慌てて皆の元へ戻ろうと、小走りになった、その時。
ガシッと、突然何者かに腕を掴まれた。
「...鈴木、さん?」
見上げると、そこには鈴木三樹三郎の姿があった。よりにもよって、運が悪い。
「よう、中村」
「ど、どうかされましたか?」
鈴木はゆっくりと口を開く。たったそれだけの時間が、やけに長く感じられる。
「お前、最近やたらあっちこっち動いてるよな?」
「えっ......いや、まあ、私は雑用係ですから...」
間違ってはいない。が、それだけで済む相手ではなさそうだ。
「そうかぁ? 俺には、やけに山南や土方の近くで動いてるように見えるんだけどな?」
鈴木の手に力がこもる。だが、痛みよりも焦りの方が先に立つ。どうにか切り抜ける方法を探さなければ。
「そ、それはちゃんと私が小姓や雑用としての仕事をしているからで...あっ!もしかしてぇ...労ってくださってるんですか!?」
すると、かなたは伊東のときと同じように、わざとらしく目をきらきらとさせてみせる。
「...は?」
「鈴木さん、もしかして私の仕事ぶりを監察してくれてたんですか? 嬉しいなあ〜」
「え? あ、まぁ...?」
動揺がはっきりと浮かんだ鈴木の顔を、きらきらとした目で見つめながら、かなたはさらに追い打ちをかける。
「わぁ...ありがたいなぁ! ちゃんと働いてるか、確認してくださってたんですね! じゃあ、これからも頑張らないと!」
そう言って、かなたはスキップしながら、ごく自然な流れでその場を離れた。
鈴木はまだ、何が起きたのか飲み込めていない様子だ。
「なんだあいつ......?おれの思い過ごしか??」
不思議そうに頭をかきながら、鈴木はその場を後にするしかなかった。
ーーーー
危なかった、いや、実に危なかった。流石は血の繋がっている兄弟、単純でよかった。
そう思いながら、かなたは廊下の隅で一息つく。
「ふぅー...何とか乗りきった」
額に手を当て安堵していると、どこからか笑い声が聞こえてきた。
「お前......くっ、笑わせんなよ」
振り向くと、腹を押さえて笑いを堪えている土方の姿が目に入る。
「土方さん!? 見てたんですか!?」
「ああ。フッ......山南さんからお前が鈴木に狙われてるって聞いてな。......ブフッ」
「ちょ、笑いすぎですよ!」
こんなにも大笑いする土方の姿を見るのは初めてで、かなたは少し動揺しながらも、彼がちゃんと人間なのだと実感し、どこか安心した。
「いや、だってよ...お前、あの言い訳はねえだろ」
「仕方がなかったんですよ!必死だったんですからね!!」
そんなに笑われるとムキになってしまう。助けてくれてもよかったのに。
「あの場で吹き出しそうになったぜ...それより手、大丈夫か? 強く握られてただろ」
そう言って土方が腕に触れた途端、体の内側から熱が広がった。彼の体温はこんなにも高かっただろうか。
頬がじんわりと熱くなるのがわかり、かなたは思わず視線を逸らす。
「だ、だいじょうぶです......!」
「赤くなってんじゃねーか。鈴木のやつ、問いただしてやろうか」
どうやら、かなり強く握られていたらしい。かなたの腕には、くっきりと赤く指の跡が残っていた。
それに気づいた土方は、彼女の腕からゆっくりと視線を上げ、鈴木がいた方角を鋭く睨みつける。
「こ、これくらいならすぐに治りますよ!伊東派と揉めると面倒ですし...」
今でさえ空気が張りつめているのに、伊東派と事を構えるなんて考えたくもない。
それよりも、早く手を離してほしい。触れられている箇所から、じわじわと熱が広がっていくようで、体の内側が妙に落ち着かなかった。
「...まあ、そうだな。ちょっと来い」
「え...」
そのまま土方に腕を引かれ、井戸端へと連れていかれる。
土方はおもむろに懐から手ぬぐいを取り出すと、水に浸し、濡らしたそれをかなたの腕へそっと当てた。
「しばらく、これで冷やしとけ」
「あ、ありがとうございます...」
池田屋の時から土方が妙に優しくて、なんだかソワソワする。しかも本人は気づいていないのか、先程からずっとかなたの手を握ったままだった。
「あの......手...」
「あっ、悪ぃ...!」
慌てて離された手元には、はっきりと赤い痕が残っていた。それを見た土方は、眉間に皺を寄せて目を伏せる。
「あ...すまねぇ...これじゃあ鈴木と変わんねぇな」
「ぜ、全然違いますよ!!土方さんは優しいし、気を使えるし、鈴木さんみたいに詰め寄らないし...まぁ、最初の方は詰められましたけど......でも、認めてくれてから凄く優しいですし!えっと...鈴木さんのことはよく知らないんですけど......」
まったく励ましにもなっていないことを口走ってしまい、思わず自己嫌悪に陥る。けれど、土方と鈴木が一緒だなんて、思って欲しくない。
「と、とにかく、土方さんと鈴木さんは、全然違います...」
そう言って、かなたは少し俯いた。
「...おう」
土方はかなたの頭を軽く叩き、口元をわずかに緩める。本当に、こういうところがずるい。
「お前、もう今日の仕事は終わりか?」
「あ、はい!」
「じゃあ部屋まで送ってやるよ、また鈴木に目をつけられたら面倒だしな」
「ありがとう...ございます」
「また何かされたら言えよ」
「はい....!」
土方に連れられ、並んで廊下を歩く。迷惑ばかりかけているのに、どうしてこんなにも気にかけてくれるのだろう。そんな申し訳なさが、胸の奥に残る。
そう考えているうちに、いつの間にか部屋の前まで来ていた。
土方は足を止めると、周囲を一度見回してから、低い声で言った。
「まあ、流石にあいつらもそこまでしないとは思うが...万が一、夜中に押し入られたら、すぐ逃げろよ」
そんな事になったら、それこそ怪談話だ。
「はい、気をつけます」
すると土方は「んー」と唸りながら、少し気恥しそうに頭をかき始めた。
「どうかしたんですか?」
「...お前、浴衣とか着てみたいか?」
「え? 浴衣ですか? そうですね......着てみたいです!」
「そうか...来月、七夕祭りがあってよ...一緒に行くか?」
「え、い、行きたいです!」
まさかそんな誘いが来るとは思っていなかったので、少し心が躍る。
「わかった、じゃあまた近くなったら話す...じゃあな」
「うわっ」
そう言って土方は、かなたの頭をグシャリと撫でて去っていく。
優しいところがあるのに、どこか雑だ。もしかして、自分のことを弟や妹のように思っているのだろうか。
そう考えた瞬間、胸の奥が、なぜか少しだけ寂しくなった
ーーーー
その夜、鈴木は兄である伊東に、今日の出来事を報告していた。
「なるほど...中村さんが、か」
そう言って、伊東はどこか納得したように頷く。今の話で、一体何がわかったのやら。
兄は、物心ついた頃から文武両道で、とにかく親に褒められてきた存在だ。長兄ということもあり、父が問題を起こして志筑藩を追放されたあとも、兄だけは学ぶことを決して諦めなかった。
素行不良な自分とは違い、兄は陽の場所に立つ人間なのだ。
それでも、自分はそんな兄を尊敬している。
「確かにあの子は機転が利く。土方くんや山南さんが利用するには、うってつけの存在だろうね」
「ああ。だが、上手くかわされちまった」
自分の不甲斐なさに、兄はきっと呆れているに違いない。
「三樹三郎。今日のことは、もう土方くんの耳に入っているはずだ。これ以上、探りを入れるのはやめておけ。また何か考えておくよ」
そう言って伊東は、鈴木を一瞥すると、静かに部屋を出ていった。
兄が去ったあとの部屋には、ひんやりとした静けさだけが残る。
兄の存在が、自分の影をより濃くしていく。
それでも、自分は兄に従うしかない。せめて、少しでも兄の役に立たなければ。




