動向
慶応元年三月
冬の寒さがようやく和らぎ、春の匂いが漂い始めた昼下がり。かなたが屯所の庭を掃いていると、ふと遠くに伊東甲子太郎の姿が見えたどうやら、自分を見つけてこちらへ向かってくるようだ。
「あ、伊東さん。こんにちは」
かなたは少し身構えながらも、伊東に会釈をする。
「中村さん、こんにちは。精が出るね」
「いえ、これが私の仕事ですから...」
いつものアルバイトスマイルを浮かべながら、心のどこかで警戒させられる。なぜかというと、伊東は史実で近藤暗殺を企んでいる人物だからだ。
「そういえば君は、土方くんの小姓だったよね。普段どんな仕事をしているんだい?」
「えっ...?」
突然の質問に、思わず声が裏返る。もしかして、探りを入れられているのではないだろうか。
歴史のことから、かなたはそんなことを考えてしまう。
「あ、そうですね....書類を届けたり、お湯を沸かしたり、掃除したり、ちょっとした荷物を運んだり.........あと、隊士さんたちの着替えを準備したり、ですかね?」
「へえ、土方くんのこと以外にも、色々やっているんだね。感心するよ。すごく働き者だ」
まあ、小姓だから当たり前なのだが...ここは一応謙遜でもしておこう。
「そんなことないですよ〜」
すると、伊東は意味ありげににこりと笑うと、顔をこちらへ向けた。
「でも、そんなに色々やってるのに、バタバタしてるところを見たことないね」
「え? そ、そうですかね?」
「うん。例えば書類届けるのと、お湯沸かすのって別の場所だろう? なのに、無駄に屯所を行ったり来たりしてる感じがしないんだ」
「ああ、それはですね...ついでにできることは、まとめてやるようにしているからです!」
「へえ?」
かなたはいつもの仕事内容を、頭の中で順を追うように思い浮かべる。
「...お湯を沸かしに行くついでに、近くの部屋に書類を配ったり、掃除は通り道にある部屋を先に済ませておくとか....そうすれば、無駄足になりませんしね」
「なるほど。雑務の中にも、ちゃんと効率考えて動いているんだね。何も考えずにやる人より、ずっと頭使っていて素晴らしいね」
そういって伊東は顎に手を添え、小さくうなずいた。
そんな大袈裟な物言いに、かなたはつい手を振る。
「いやいや、そんな大したことじゃないですよ! 面倒だから、できるだけ手間を減らしたいだけです!」
「ははっ。でもね、それができる人って意外と少ないんだよ」
「そ、そうなんですか?」
多忙なアルバイトのおかげで効率重視、という考えになったが、社会人はみんなそういうものではないのだろうか。
「....中村さんって、ただの小姓って感じじゃないよね?」
唐突なその言葉に、かなたの顔は少し強張る。これはかなり、動向を探られているようだ。何か演技でもしたほうがいいだろうか。
かなたは、手のひらを合わせると、きらきらとした眼差しで伊東を見つめた。
「え!ど、どう見えます?!私は、立派に小姓をやれていますか?!」
興味津々の演技。これも、アルバイト先のやたら嫌味が多い店長の為に仕込まれたものだ。まさか、ここで使うとは思わなかった。
伊東はその反応が思っていたのと違ったのか、面を食らったように口を開けている。
「伊東さん? どうしました?」
かなたが少し前に出ると、伊東は我に返ったように踵を返した。
「あ、ああ。君は、とても良い小姓だと思うよ。それですまないが、用があるのでこれで失礼するよ」
「あ、はい!ありがとうございます!また是非お話しましょう!」
ようやく、解放される喜びにかなたは満面の笑みを向ける。
「ああ、邪魔して悪かったね」
そういうと伊東はひらりと、手を振りながら去っていった。
(はぁ....何とか誤魔化せた...)
遠ざかる背中を見送りながらかなたは、ほっと息を吐く。
伊東という人間は、今のところ表面的には悪い人には見えない。だけども、気は抜けないのが本音だ。
そう思いながらも、春の強い風が吹き付ける中、かなたは再び息をついた。




