升屋 喜右衛門
元治元年六月
かなたがタイムスリップして、早くも十ヶ月あまりが過ぎた。
ある日、近藤と沖田とお茶をしていた所で土方も顔を出す。なんとなく、お茶を要るかと土方に聞くと、要ると言うので、四人で茶菓子を囲んでいた。
「沖田さん、今日の分の煎茶です!」
「かなたさん、いつもありがとうございます」
沖田はかなたの差し出した、"煎茶"といわれたどす黒い飲み物が入っている湯呑みを受け取り、一息に飲み干すと、可愛げのある顔をすぼめた。
「くぅ〜.....相変わらず不味いですねぇ...!」
「な、なんだね?それは」
近藤が渋い顔をしながら首を傾げる。その言葉に、沖田は元気いっぱいに両手を上げてみせた。
「これは、かなたさんが今年から煎じてくれているお茶なんです。味はあんまりですが.....これを飲むようになってから、体が軽くなったような気がするんですよ!」
「それは沖田さん専用の薬湯のようなものです。前に体が怠いと、おっしゃっていたので作ってみたんです!」
そういうと、かなたは得意げな顔をしながら菓子をつまむ。
「ほう、それなら俺にも作って貰おうか」
近藤が沖田の飲んだ湯呑みを興味津々に眺める。そこへかなたが、ずいっと手を上げた。
「いえ!近藤さんはとてもお元気そうなのでダメです!」
近藤は、そうか...と残念そうに肩を落とすが、仕方がない。この薬湯は沖田専用なのだ。沖田にしか与えられない。
しばらく静かな時間が流れたのち、ふと思い出したように、土方が口を開いた。
「ところで、お前が最初に言っていた"功績"とやらはいつ出すんだ?」
まあ何度かは成しているのだが...今、土方が言っているのはそのことでは無いのだろう。
「あ、それについてなんですけど、そろそろ動き出そうと思いまして....」
「今後、何かあるのかね?」
近藤は湯呑みを口から離すと、軽く眉を上げた。
「ええ。『升屋』という炭を売っている、商い屋を知ってますか?」
その店の名に、沖田が「ああ!」と手を叩く。
「たまに巡察で通るところですね!あそこが、どうかしたんですか?」
「昨年の八月十八日以降、長州の尊攘派の動きが目立ってきてると思うんですが.....」
かなたの言葉に、土方が目がわずかに細められた。
「まあ、そうだな....はっきり言って見過ごせねえところまで来てる」
「その升屋という店の主人が、尊攘派の密偵なんです。尊攘派に武器と情報を流しているはずです」
「!?」
三人は目を開くと、飲んでいた湯呑みをゆっくりと下ろす。
土方が少し口元を緩め、苦笑を漏らした。
「ずいぶんとはっきりと言いやがるな...」
「違ったら私を処分してくださって構いません。その升屋の主人を捕らえてほしいです」
今まで小さな歴史改変をしてきたが、大筋が動いていないなら、この情報は正確なはずだろう。
「トシ、どうする?」
近藤が土方の方へ顔を向けると、判断を仰いだ。
「...まずは山崎に調べさせる。それまでは待つ。見当違いで手を出したら、こっちの名が下がるだけだからな」
これで歴史が変わっていたら、打首だな。そう思いながらかなたは再び目の前の菓子に手を伸ばした。
ーーーー
そして数日後。
かなたの言ったとおり、升屋の店主は長州の尊攘派と通じていた。六月のはじめ、その店主が新選組によって取り押さえられた。
しかし、店主が何も口を割らないので土方は痺れを切らし、かなたの元へやってくる。
「おい、かなた。....お前、あの店主のことどこまで知ってる?」
どこまで、と言われても身長・体重・血液型などの細かいことは分からないのだけど。
「まあ、大体は....?」
そう答えるしかない。
「じゃあ来い。あいつ、なかなか口を割らねえんだ」
かなたは土方の後に付いて、八木邸の隣にあるもう一つの屯所、前川邸の蔵へ向かう。中へ入ると拷問を受けたであろう升屋の店主と近藤、沖田、山南がそこに居た。
「あ...」
思わず声を出してしまう。思ったよりも、店主の状態が酷い。喋れるのだろうか。
「大丈夫です。そこまで痛めつけてはいませんよ」
かなたの表情を察したのか、山南が静かに言った。かなたはゆっくりと男に近づき語りかける。
「えっと...古高さん、ですよね?」
「!?」
かなたが店主を名指しすると、男の肩がびくりと跳ねた。
「名前まで知ってんのかよ....」
「すごい.....!」
土方が眉をひそめため息交じりに頭をかく一方で、沖田は素直に感嘆している。
「この人の名前は升屋喜右衛門こと、古高俊太郎さんです」
かなたが古高の隣に行くと、皆に紹介するように手を添える。
「おい、古高。おまえのことをよく知ってるやつが来たぞ」
土方が低く圧をかけると、古高は顔を上げて叫んだ。
「お、お前は誰だ....!俺はこんなやつ知らねぇぞ!」
それもそうだ、自分も初めて顔を見た。
「私は知ってるんですよね....尊攘派が入り浸ってる旅籠は四国屋と池田屋と...あと、どこだったかなぁ?」
まずい、一年近く資料を読んでいないので細かい部分を忘れている。
「な、なぜそれを....!」
古高は目の前にいる、色の白い細くて小さい童に背筋が凍った。
「本当に、なんでも知ってるんですねぇ」
「...まさか、長州の奴じゃねえよな」
アハハ!と陽気に笑う沖田とは打って変わって、土方は疑いの目をかける。
「違いますー!!」
かなたは振り返ると、土方を真っ直ぐ見つめる。
「な、なんだよ...」
土方はその真剣な眼差しに、少したじろぐ。
「どちらか、と言えば池田屋が本命です。もし私が騙していたら斬ってもらってかまいません!....なので、行きましょう」
(こいつ....どっからそんな自信が湧いてくるんだ)
土方は苦い顔をしながらも、近藤に促されてかなたの言葉を信じるしかなかった。
そして、新選組は史実どおり池田屋を攻めることになる。




