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新選組トリップ奇譚  作者: 柊 唯
第十一章〜西国の豪傑〜

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犬好きの男

「お、おはん! 関係のない話ばするんじゃなか!」


 と、最初に慌てたのは西郷隆盛の側近、桐野利秋だった。


 かなたの隣では、土方と山南がだらだらと顔に汗を流している。


「そ、そうだぞお前……何考えてんだ……」


 子供を叱るような口調で慌てる土方とは対照的に、西郷は大口を開けて笑いだしていた。


「ふははは! よかよか! おはんは、おもしろい(わらべ)じゃなあ」


 そんな西郷の様子に、かなた以外の三人は思わずぽかんと口を開けてしまう。

 思っていた以上に寛容な人物であることに、土方は内心ほっと息をついた。


 西郷は暑かったのか、手にしていた扇子を広げると、自分の体をゆったりと扇ぎはじめる。


「おはんの言うた通り、わしは犬が好きじゃ。京に寝泊まりしちょった時も、よう野良犬に飯を分けてやっとったわい」


 まるでそこに犬がいるかのように、西郷は優しい眼差しで微笑んだ。

 その穏やかな表情につられて、かなたの顔も自然と綻ぶ。


「わんちゃん、可愛いですもんねぇ」


 西郷の前でも変わらずにこにこと話すかなたを見て、土方は思わず眉を下げた。


(なんでこいつはこんなに余裕なんだ……?)


 すると西郷は、ますます機嫌を良くしたのか、犬の素晴らしさを語り始める。


「犬ちゅうのは主を見捨てんもんじゃ。そげな忠義のある生き物は、なんの疑いもなく信じられる」


「なるほど……それなら、新選組と似ている気がします!」


 かなたのその一言に、一同ははっと目を見開く。

 その空気の変化を逃さず、土方はすぐに姿勢を正し、本題を切り出した。


「……西郷さん。俺たちは幕府の傘下を抜けたが、新選組としての誇りと忠義まで捨てたわけじゃねぇ」


 急に目の色を変えた土方に、西郷も興味深げに様子を伺う。


「ほう?」


「私たちはもともと、将軍警護のため京へ集められた身でした。しかしその後、京の治安を守る役目を担い、やがて時代の流れの中で、幕府のために戦う組織へと変わってしまった……」


 山南の言葉を受け、かなたは西郷へと顔を向けた。


「幕府の傘下を抜けたことで、私たちは"忠義や主を捨てた"ように見えるかもしれません。でも、それは違います。私たちは……」


 かなたは一息つくと、曇りのない眼差しで西郷を捉える。


「戦に加わらず、これからも京の町や町民を守ることに忠義を誓ったんです。……独立した立場を貫いていれば、戦に加担して命を落とすことなく町を守れる。私たちは、自分たちや町人たちのために生きることを……生き抜くことを選んだのです」


 西郷は思わず感心していた。

 偶然か、それとも導かれたのか――自分の興味のある話題から、ここまで見事に話を広げられてしまった。

 気がつけば、その意識は目の前の童の瞳に引き込まれている。


「俺たちは京の町のために、町民のために、自分たちのために動きたいんだ」


「なるほどな……ということは、おはんらは、こちらの下に付くつもりはなか。そう言いに来た、ちゅうことか」


「もちろん、それだけではありません」


 山南は場を繋ぐようにそう言うと、かなたへと視線を向けた。


「あくまで我々は独立した組織として、町を守る者でありたい。ですが今後、京の治安維持において新政府軍と協力できる場面があれば、その際は力を貸したいと考えています」


 かなたの言葉に、西郷は目を細めて聞き入っていた。


「それに、新政府軍の下についてしまえば、新選組の中で反発が起きる可能性もあります。できれば私たちは、身内での争いは避けたいです。新政府も今は多忙で、京の治安にまで手が回らないはず……ですから、和平を結べればと考えています」


「……ほう」


「正直、俺たちがこのまま独立を貫けば、新政府軍にとっては邪魔な存在かもしれねえ。だが、俺たちはあんたらと争う気はねえ。それだけは分かってほしいんだ」


「ふむ……」


 土方の言葉に西郷は腕を組み、静かに考え込んだ。

 言いたいことは十分に伝わっているだろう。だが、元幕府に属していた新選組という立場が、やはり大きな障壁となっているに違いない。


「確かに、今の京は混乱しちょる。治安を守る役目は、政府軍だけでは担いきれんとじゃ。おはんらのような存在がおるのは、悪うなか。町民に信頼されとるのも知っちょる。じゃっどん……」


 西郷は一息つくと、腕を組んだままこちらを睨んだ。


「それだけでは、おいどんに利はなか」


 その言葉に場が静まり返る。

 だがかなたは一人、まるでその言葉を待っていたかのように、わずかに口角を上げていた。


「あの……西郷さんはもしかして、この先、日ノ本の各地に町奉行のような治安維持の組織を作ろうとは思っていませんか?」


「なぜそれを……!」


 西郷の隣で、これまで黙っていた桐野が動揺したように口を開く。

 その反応に、かなたは確信を得たように、さらにわずかに口元を緩めた。


「それは簡単なことです。これまで治安を維持してきた町奉行は幕府のもの。そして新政府は、その幕府に代わって国を治めていかなければならない。であれば、同じような役割の組織を必要とするのは当然です。それに……」


 かなたは一度言葉を切ると、上げていた口を少し下げ穏やかな表情へと戻した。


「優しい目で犬のことを語る西郷さんが、戦のあと、無防備になる民を見捨てるとは思えなかったからです」


 この小僧はどこまで見抜いているのか。

 西郷は小さく息をつくと、腕を組んだまま静かに頷いた。


「……まあ、そうじゃな」


「ですので、その時が来れば、私たちも力をお貸しできると思います。これまで私たちは、国の中でも最も多事多難(たじたなん)と言われてきた京の町を守ってきた集団ですからね! それに、私たちが協力すれば、人員の育成や指導にかかる負担も減らせるはずです!」


 新政府にとって、これは悪い話ではない。

 だが、それでもなお、こちらが謀反を起こす可能性は拭いきれないだろう。

 そう判断したかなたは懐に手を入れるも、わずかに動きを止めた。

 また、あの人の手を借りなければならない。そんな申し訳なさが、胸を満たしていく。


 かなたは、お守りのように大切にしているそれを、そっと握りしめると、静かに懐から取り出した。


 その動きに、桐野は一瞬身構える。

 しかし、かなたが西郷の前へ差し出したのは、彼の予想とは異なる一枚の紙だった。


「これを…見ていただきたくて……」


「これは…」


 桐野は刀にかけていた手を緩め、思わず息を呑む。


「さ、坂本龍馬の書状……!」


 それを見た西郷は、何かが繋がったかのように目を見開くと、その途端に大きく笑った。


「ははは! おはんが! そうか! こいで納得した!」


 その言葉の意味が分からず、桐野は眉をひそめる。

 土方もピンと来ないのか、眉間に皺を寄せて首を傾げた。


「納得したってのは、どういうことだ?」


 その問いに、西郷は「ふぅ……」と笑いを収めると、火照った顔を鎮めるように再び扇子を開く。


「坂本は以前、おもしろい小僧を見つけたと言っちょった。きっとそれは、おはんのことやったんじゃろう」


「坂本さんが……」


 西郷は桐野へ静かに耳打ちをすると、彼は短く「はっ」と応じ、すぐさま西郷の前へ紙と筆を用意した。


「……ふっ、坂本に免じて、おはんらとの和平、結ばせてもらおう」


「ほ、本当ですか?!」


「ああ」


「あ、ありがとうございます……!」


 感極まってすぐに頭を下げるかなたに、土方も続けて礼を述べる。


 あの坂本が、そんなことを西郷に話していたとは。

 死してなお、あの男には助けられてばかりだ。

 土方はそう思うと、胸の内に溜まっていたものを吐き出すように、静かに息をつき、わずかに口元を緩めた。


 こうして、新政府軍と新選組の和平は成立したのだった。

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