かなたの信念
『新見錦が局中法度を破り切腹した』
という話が広まったのは、今朝方の事だった。
もちろん、かなたは新見が切腹に処される事を知っていた。新選組の未来を良くしたいと思ってはいるが、話し合いだけではどうにも出来ない人間はいる。
芹沢一派のことは、そうやって見切りをつけていた。
(私は薄情者だろうか…)
自分の思い切った性格が、たまに嫌になる。
そう自己嫌悪に陥りながらも、箒で屯所前の石畳をせっせと掃いていると、突然、後ろから声が飛んだ。
「おい」
慌てて振り返ると、そこには芹沢とその取り巻きたちが、各々に腕を組んでふんぞり返っているではないか。
「え、えと……」
「お前、土方の親戚だったか」
「あっ、はい! …中村です」
たった今、頭に浮かべていた人物に話しかけられ、思わず戸惑ってしまう。
とにかく面倒事にならないよう、かなたは愛想よくニコッと笑ってみせた。
「中村、これから島原に行くんだがな、お前も来い。酒の飲み方ってやつを、俺が教えてやる」
どうやら、自分は芹沢に子供だと思われているようだ。勘違いとはいえ、これはまずい。
だが、"新見が死んだ"というのに、この人は何も思わないのだろうか。
言葉に出来ない違和感を抱えたまま、かなたは小さく息を吸い、恐る恐る口を開いた。
「えっと…でも外へ出るには、土方さんの許可を貰わないといけなくて…」
「はァ? 芹沢先生の言うことが聞けねえってか?」
取り巻きの一人、平間重助が、そう不機嫌な顔でかなたを睨みつける。
「い、いえ、そういう訳では…一度、土方さんに話を通してもいいですか?」
「だーかーらー…」
もう一人の取り巻き、平山五郎がゆっくりとかなたに近づく。
そのとき、芹沢が手を上げて平山を制した。
「ふん…まあいいだろう。早く行け」
「は、はい…!」
かなたは頭を下げると、急いで土方のもとへ走る。
土方の部屋に着くなり、勢いよく襖を開けると、彼が驚いているのも目に入らず、先ほど起きた出来事を息つく暇もなく話し始めた。
話を聞き終えた土方は、かなたに怒るのも忘れた様子で、苦い顔のまま溜め息をつく。
「ッチ、めんどくせえな。けど、断れば何を仕出かすか分かんねぇ……」
それもそうだ。この時期の芹沢はとにかく暴れまくりで、いつ不機嫌になってもおかしくはない。
それにしても、変なことに巻き込まれてしまった。
そう思いながら、かなたはどこか不安げな表情を浮かべる。
その様子に気づいたのか、土方はもう一度ため息を吐き、腕を組んだ。
「……しょうがねえ。今は手が離せねぇが、後で俺も行く。芹沢さん達と先に行っとけ」
「あ、は、はい! わかりました!」
そうして、かなたは胸の奥の不安を押し殺しながら、芹沢一派とともに島原へ向かうことになったのだった。
――――
三味線の音に笑い声。そこかしこから漂ってくる甘い香り。
島原の夜は、かなたの心境とは裏腹に、楽しげな人間で溢れかえっていた。
座敷では、芹沢が豪快に酒を煽るたび、取り巻きたちが「さすが局長!」と囃し立てている。
かなたは目をつけられないよう、座敷の隅に小さく陣を構えていた。芹沢に無理やり連れて来られた形ではあったが、今のところは何事もなく過ごしている。
このまま黙ってやり過ごせればいいのだが、そう思っている時に限って、何かが起こるものだ。
(……早く帰りたい)
目の前で繰り広げられる"宴"は、自分の知っている楽しい宴とは、似ても似つかないものだった。舞妓たちの頬は引きつり、終始、芹沢の顔色を伺っている。
そして、舞妓の一人が、震える手で芹沢の盃に酒を注いだ、その時だった。
「おいおい、なんだその手つきは? 酒がこぼれたじゃねぇか」
座敷に、芹沢の重い声が響き渡る。
酒を注いでいた舞妓は、ガタガタと身を震わせながら、必死に頭を下げた。
「す、すんまへん…!」
芹沢は不機嫌に眉をひそめ、舞妓の顎に手を添える。
舞妓の顔をゆっくりと持ち上げると、次の瞬間、もう片方の手で持っていた鉄扇で、バチンッと彼女の頬を打った。
「なっ…!」
かなたは驚き、思わず立ち上がる。素行が悪いと聞いていたが、容赦なく女性にも手を出すのか。
「ひっ!」
舞妓は、小さく悲鳴を上げ後ずさる。
だが、芹沢は引くことなく舞妓に詰め寄った。
「芸の道に生きてるってのに、その手つきはなんだ? 所作ひとつ満足にできねぇのか?」
酔いのせいだけではない、底知れぬ怒りがこもった声が座敷に通る。舞妓の目には涙が浮かび、その表情には恐怖が滲んでいた。
その姿に、かなたの怒りがふつふつと沸き出てくる。
(ただのチンピラじゃないか)
そう思った時には、体が勝手に動いていた。
「やめてください!」
その声は自分でも驚くほど、はっきりとしている。
「……あ?」
いきなり割って入ったかなたに、芹沢はゆっくりとこちらを振り向いた。
「中村ぁ…お前、何様のつもりだ?」
「そうだぞ中村! そこをどけ!」
そう言って、平山が芹沢の行動をそれやそれやと煽る。
かなたはひとつ息を吸い込むと、庇うように舞妓の前へ手を差し出した。
「これ以上、この子に手を出さないでください」
場の空気が静まり返る。座敷の隅で笑っていた取り巻きたちも、ぴたりと口を閉じた。
芹沢の目が、かなたの顔をじろりと舐め回すように動く。
それとは正反対に、かなたの瞳は真っ直ぐと芹沢を捉えていた。
「…お前、なかなか面白ぇ度胸してんなぁ?」
そうニヤリと笑い、芹沢は酒を口に含む。
「お前みたいな正義感のある人間は、一番に始めに死ぬんだよ」
芹沢の圧に、かなたの指先がわずかに震えた。
強がっているわけではない。心の中は恐怖に支配され、額には汗が伝い、喉はからからに乾いている。
けれど、自分の中の何かが、それでも退くなと叫んでいた。
芹沢は立ち上がり、一歩また一歩と、かなたへ近づく。
その背が思っていた以上に、大きく感じた。
「そこまでだ、芹沢さん」
突然、低い声が座敷に落ちた。その場の全員が、はっとして、声のする方へ顔を向ける。
かなたもつられて振り返ると、そこには、土方と山南が静かに座敷を見据えて立っていた。
「酔ってるとはいえ、度が過ぎるぜ」
「舞妓さんが怯えています。これ以上は…ご配慮を」
張りつめていた空気は、山南の柔らかな物言いで、ほんの少しだけ和らぐ。
芹沢はしばし黙り込むと、やがて不機嫌そうに立ち上がった。
「……ふん。子供の躾はちゃんとしておくんだな、土方」
そう吐き捨てるように言うと、芹沢は乱暴に襖を引き、座敷を出ていく。取り巻きたちも、それに続いて去っていった。
静まり返った座敷に、しばらく沈黙が続く。
すると、その静寂を破るように、後ろにいた舞妓がかなたの肩にそっと触れた。
「お侍はん、堪忍な……守ってくれて、おおきに」
「い、いえ……あの、お怪我は?」
「ちょっと叩かれただけやさかい、大丈夫どす」
そう言って微笑む舞妓は番頭に付き添われ、座敷をあとにしていく。
その後ろ姿が見えなくなった瞬間、土方がかなたを睨みつけた。
「お前、死にてぇのか?」
「え…」
「芹沢さんはな、お前みたいな奴、簡単に殺せんだよ。死にたくなかったら、余計なことはするな。いいな」
そう冷たく言い放つ土方の言葉に、かなたはどうしようもなく腹が立ち、拳を握りしめた。
「じゃあ、黙って見てろって言うんですか!? あの場で何もせずに逃げるくらいなら、殺された方が、まだ――」
「死ぬ覚悟も無ぇくせに、甘ったれたこと言ってんじゃねぇ!!」
かなたの言葉に、土方が遮るように怒鳴る。互いに一歩も引かず睨み合い、空気がぴりぴりと張り詰めた。
周囲の音が遠のく感覚に、かなたは息が止まりそうなる。
けれど、土方からは視線を逸らさなかった。
「……それでも私は、抗いたいんです。見捨てたくないと思った人達のために」
かなたの真っ直ぐな瞳を前に、土方は眉間に深く皺を寄せると、苛立ったように視線を外した。
「ッチ、好きにしろ……けどな、その善意はいつか自分の身を滅ぼすぞ」
それだけを言い残し、土方は足早に部屋を出ていってしまう。
残された空気を和らげるように、山南がそっとかなたの肩に手を置いた。
「かなたさん、土方くんはあなたの事を心配しているんですよ」
「……はい。大声上げて、すみませんでした。みっともなかったです」
「いえ、あなたが舞妓さんを守ってくれたおかげで、新選組の名が傷つかずに済みました。ありがとうございます」
その言葉に、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。
けれど、胸の奥に残る土方の声が、どうしても消えずにいた。
――――
屯所へ帰ってきたかなたが戸口で風を感じていると、土方が通りすがりに立ち止まった。
「……まだ怒ってんのか?」
「別に……怒ってません」
ぶっきらぼうな言葉に、こちらもまたぶっきらぼうに返してしまう。
土方は黙って夜空を見上ると、言葉を探すように口を開いた。
「あの場で、何か言わなきゃならなかったのは分かる…お前のやり方は、真っすぐすぎて危なっかしいけどな」
「土方さんの言いたいことはわかってます……でも、あのまま黙って見てる方が、私には無理でした」
「そういう奴が、一番早く死ぬんだよ」
土方は一瞬だけ、迷うように視線を逸らし、やがて自分に言い聞かせるように続ける。
「だが……それが正しいって時もある。だからこの世は困る」
かなたが顔を上げると、珍しく土方の目が真っすぐとこちらを捉えていた。
「俺は新選組の副長だ。この隊を押し上げるためなら、何だってやる。泥を被って、汚いことでもしてやるよ」
そう言い残すと、土方は背を向けて去っていく。
その言葉に、かなたは何も返せず、ただ黙って土方の消えていく背中を、見つめることしかできなかった。
どうやら彼はもう、覚悟を決めているようだ。
だが、かなたはそれを止めようとはしなかった。いや、止められなかったと言うべきか。
これから起こる出来事が、新選組にとって必要なことだと思っていたからだ。
いつか彼の背負っているものを、一緒に支えることは出来るだろうか。
かなたは夜空を見上げると、静かに息をこぼした。




