歩いて帰ろう
学校の授業を終えた僕は、帰宅する前にちょっとした寄り道をした。
寄り道の先にあるのは、小さな祠だ。学校の裏手にある大通りに据え置かれたもので、最近作り直され新しい木の匂いが漂っている。
何を隠そう、この祠は僕の実家が依頼を受けて作り直した物で、俺自身もこの祠の作り直しに関わっている。
そのせいかこの祠には妙な愛着がある。なのでこうして、下校時にはちょっとしたお供物をして帰るのが僕の日課になっていた。
僕はお供えとして近くのコンビニで水と紙コップを買うと、お供えの前にちょっとしたゴミ拾いを行う。
そうして少しだけ片付けをした後、祠の前に紙コップに注いだ水を供えて、祠に目線を合わせるようにその場にしゃがみ込んだ。
そうして、柏手を打って両手を合わせると、日課の祠へのお参りを終わりだ。
僕は帰宅しようと立ち上がったが、そこで今一番遭遇したくない奴と顔を会わせることになった。
それは、ランニングウェア姿の春崎だった。
春崎は陸上部の長距離走のエースであり、中学の時から将来を嘱望される長距離選手でもある。
今度の陸上大会でも優勝を期待されており、県内新記録を目指すとも言われていた。
そんな春崎の姿は、ムカつくほどに魅力的だった。
野暮ったいはずのトレーニングウェアでも隠しきれないプロポーションに、少し日に焼けた健康的な肌。クリッとした大きい瞳に、鼻筋の通った顔立ち。
明るい栗色をした長髪を後ろで括っただけの単純な髪型も、こいつがしているとすげー流行のファッションみてぇに見える。
これで僕をイジメているという事実がなければ、素直にスポーツにひたむきな美少女として見ても良かった。
だが、僕にとっては単なるムカつく女にすぎないので、春崎から目を背けると、その場を足早に立ち去った。
すると、そんな背後から春崎が怒鳴りつける声がした。
「待ちなさい、キモ男。ちょっと話があるわ」
背後からそんな怒声が聞こえて来たが、僕はキモオという名前ではないので、その声を無視して歩き続けた。
しかし、それでも春崎は何やら僕のことを罵りながら追い縋ってくる。
もう良い加減にしてくれないかな、と思うが、どうあっても俺を追いかけてくるので、流石に警察に向かおうか悩んだ。
するとその時、春崎が不機嫌を通り越して、怒りの声を上げた。
「いい加減、こっちを向け!骰子・出目吉!!!」
その余りの大声に、周囲の人混みが俺に奇異な視線を送り始めたので、僕は仕方なく後ろを振り返った。
すると春崎は、如何にも不機嫌ですと言わんばかりの顔つきで睨みつけた。
「アンタって本当にグズね。なんでこんなに大声出しても気づかないの?本当にグズ過ぎてキモいわ。何でキモいのにそんな風に普通にしてられるのか分からないんだけど?」
そうして、振り返った僕に、春崎はキモいキモいと連続して言いまくる。何で僕、学校終わってまでこんな奴に絡まれなきゃいけないんだよ。
後、どうでも良いけど、こいつら僕に向かって本当にグズかキモいしか言わねえな。そんなにキモいのに何で絡んでくるんだろう?
僕は暫くの間、春崎の悪口聞いた後、わざとらしくアクビを一つして右手を上げた。
「分かった分かった。僕のことがキモイのね。そんなにキモいんだったら、二度と関わらない方が良いよ。僕も二度と関わらないから。それじゃあ、さようなら」
そう言って僕が話を切り上げようとすると、春崎は不意に訳の分からないことを言い出した。
「アンタ、あすみに謝りなさいよ」
あすみと言えば風早の名前だったが、僕が風早に謝る謂れなど、どこにも無い。むしろアイツが俺に謝るべきだろう。
思わず、は?と声を出すと、春崎は鋭い声で僕を責め立てた。
「あすみは!家があんまりお金なくて、スゴい頑張ってるのよ!アンタみたいにのらくらしてる奴があすみのことを貧乏人とか罵るの、本当に人として最低のことでしょう!!あすみに今から謝りなさいよ!!」
春崎のそんな怒鳴り声を聞いて、僕は思わず吹き出した。
風早のやつ、そんなに貧乏人なんだな。情けねぇ。友達面した奴にまで貧乏過ぎて心配されるとか、イキがった貧乏人ほど無様なものはねぇな。
僕は春崎に向かって、思ったことをそのまま口にすると、春崎は顔を怒りで真っ赤に染めた。
「アンタって本当に最低ね!ちょっとくらい、人に優しくしたらどうなの?」
春崎のその言い分に、僕は呆れも通り越して深々とため息を吐いた。
確かに、貧乏なことをバカにするのはいけないことだろう。
確かに、貧乏に負けず努力することは素晴らしいことなのだろう。
確かに、貧乏な風早を見下している僕は、最低なクズ野郎なんだろう。
で?それがどうした。
「じゃあ逆に聞くぜ?貧乏だったら、他人のことをバカにするゲームして良いのかよ?貧乏だったら、目についた奴の頭に牛乳ぶっかけても良いのかよ?貧乏だったら、他人から金を巻き上げようが、無実の罪を被せようが、何しても良いのかよ?」
僕が今まで溜め込んでいた思いを一息に吐き出すと、それに気圧されたのか、春崎はその場から一歩後ずさった。
「な、何よ……!急に話し変えてるんじゃ、」
「今僕が口にしたことは、お前らが僕にしたことだぞ!!」
その反論に、春崎は眦を吊り上げて食ってかかった。
「はあ?!だから何?私らがアンタにしたこととか、今は関係ないでしょ!!アンタがクズなことと、アンタが謝らなきゃいけないこととは別の話しでしょ」
「お前ら本当にいい加減にしろよ!お前らの家庭やら過去やらに何があったのかは知らないが、お前らにゴミクズ扱いされる謂れは僕にはねぇぞ!!そんなに僕が気に入らないなら徹底的に無視すりゃ良いだろ!そうすりゃ僕もお前らに何もしねぇよ!!」
僕はそう吐き捨てると、春崎の顔面を殴り付けようと右の拳を握り締めた。
しかし、そんな僕らの間に割って入るように、自転車がベルを鳴らして駆け抜けて行った。
やる気を削がれた僕は、舌打ちをして唾を地面に吐くと、春崎に最後に言いたいことをぶちまけた。
「春崎、風早に言っとけ!貧乏だったら何もかも許されんだったら、一生貧乏やってろ!イキがる為に貧乏やってんだから、被害者面してんじゃねぇよってな!!」
俺は言いたいことを言うだけ吐き捨てると、その場を後にした。
そんな僕の背後で、春崎が「見てなさいよ、アンタが明日から後悔させてやるから」とまるで三流悪役のような捨て台詞のようことを言っていた。
やっぱりウザいから、顔面に一発いれときゃ良かったな。