3話
「……オトー……サン……」
暗闇の中、少女の声が響く。
「雫か!? 雫なんだろ!?」
立花正樹はその声の主に向けて懸命に呼び掛けた。
周りの異常な暗さなど気にも留めていない。
「オトー……サン……」
正樹は必死に周りを見回した。だが、どこにも声の主の少女は見当たらない。
「雫! 頼む! 姿を見せてくれ!」
哀願する正樹。
その声音には、恐怖と後悔の念が籠められていた。
「……」
ふと正樹は、背後に気配を感じた。
ゴクリと唾を飲み込む。心臓が今にも飛び出しそうな程速く脈打っているのがわかる。
「そこに、いるのか?」
ゆっくりと、後ろを振り返ると――
「オトーサン…………カサ……」
そこには全身血に染まった女の子が立っていた。
流れ落ちる血など気にする事なく、虚ろな瞳で正樹を見上げている。
正樹は声を上げる事ができなかった。
震えながら変わり果てた少女を見つめ返す事しかできなかった。
(雫、やはりお前は俺を……)
そこで彼は目を覚ました。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
正樹の心臓は、夢の中と同様に早鐘を打っている。
彼はここ最近、同じ夢ばかりを見ていた。
変わり果てた娘の夢。もう何年も前に亡くしてしまった掛け替えのない娘……。
妻や息子との関係を徹底的に壊す事になった原因。
あの事故以来、正樹の時は止まっていた。たった一人、手狭なアパートで。
正樹は布団から起き上がり、押し入れに向かった。
ボロボロの戸を開くと、木が擦れる音がする。
未だ収まらない心臓に手を当てながら、正樹は押し入れの中を覗き込んだ。
そこには真っ白い布に覆われた何かが大切に置かれている。
正樹はその布を慎重に取り払った。まるで中にガラス細工が入っているかのような慎重さだ。
彼が布を取り払うと、中から一本の"赤い傘"が姿を現した。子供用の物で、ところどころに穴が空いている。
正樹は微笑を浮かべながらその赤い傘を撫でた。ソレが自身の子供であるかのように。
娘の形見。
それだけが唯一正樹を慰める。
しかし、先程の変わり果てた娘の姿を思い出し、手を止める。
(雫、やっぱりお前は……俺を怨んでいるのか?)
瞬間、正樹の心の底から熱い鉛のようなモノが込み上げて来た。
彼は耐える事ができず、その場に膝を突いた。
夜明け前。
正樹の嗚咽だけが、微かに響き続けた。
◆
「…収穫は?」
ヤマトが車に乗り込んで来たタケルに尋ねた。
タケルは被害者の青年について調査していたのだ。
「いや、特にない。って、それがまぁ収穫とも言えるな」
彼は助手席に背を預け、ファストフードの紙袋を手に取った。
「被害者の男は至って普通の大学生。殺された時はバイトの帰り道だったらしい。一応、大学の同級生たちにも話は聞いたし、部屋も調べてみたよ。怪しい点はなし」
タケルは包み紙から取り出したハンバーガーに噛り付いた。
彼はどのようにして被害者宅に入り込めたのか?
それは彼が身に付けている技術、いわゆるピッキングと呼ばれる方法を用いたのだ。
決して褒められる特技ではないが、彼らは時として強引な手を使う事もある。
それはあくまで他者の命を守る為であり、私利私欲の為には使わない。
「そんで、そっちはどうだった? 何か目ぼしい事件はあったか?」
今度はタケルがヤマトに尋ねた。
「いいや、こっちも特に無かった。精々自動車事故か数件あった位だよ」
タケルはバーガーを食べながら考え込んだ。
「自動車事故だと、地縛霊化は考えられるけど、悪霊化までは行かないよなぁ」
人の魂が霊化、特に悪霊化する時には必ず憎悪や執着などの負のエネルギーが心に満ちている。
つまり、殺人や自殺などでは悪霊化しやすいが、自動車事故のような不慮の事故ではその可能性が低い。
「これからどうする?」
とタケル。
その問いにヤマトは肩をすくめた。
「何か突破口があるはずだ。ソレを見つけるまでは地道に調べないとな」
タケルは窓の外を眺めた。
窓にはいくつもの水滴。外では小雨が降っている。
「このまま、何も起こらなけりゃいいんだがな」




