1話
深夜のとあるコンビニ。
水が流れる音と共に、若い男がトイレから出てきた。
彼はアルバイトの帰り道に急に催してしまって、このコンビニのトイレを借りに来たのだった。
男は店員に礼を述べ、店の外へと出た。
「うわっ! 何だよ、ちきしょう!」
男が悪態を吐いた理由。
それは、外がいつの間にかドシャ降りの雨になっていたからだった。
彼がコンビニに入る前はまだ雨は降っていなかった。確かに雲行きは怪しかったが、まさかこんな急に雨が降るとは考えていなかった。
彼は徒歩での帰宅だった。傘も持っていない。
男は悪態を吐きながら、ふと足元の傘立てを眺めた。
一本の傘が立てかけてある。
古びた子供用の赤い傘だ。
男は店内を眺めた。
自分以外の客はいなかったはずだ。という事は、この傘は忘れ物だろうか? 彼は傘立てに視線を戻し、その赤い傘を抜き取った。
傘を開いてみると、ところどころに穴が空いていた。
ま、傘がないよりはマシだろう。男はそう考えて、歩道へと歩いて行った。
彼には多少の罪悪感もあった。しかし、こんなに古臭い傘なのだ。もしかしたら捨てていった物かもしれないと考えていた。
自分も自宅付近にたどり着いたら、適当なところに捨てるつもりだった。
――ピチャ、ピチャ。
歩道を歩いていると、彼の顔に水が降ってくる。
彼は顔をしかめた。穴が空いていたから雨水が入ってきたのだろう。
彼は急ぎ足で自宅へと向かった。だが、
――ピチャ、ピチャ、ピチャ。
雨水はさらに降りかかってくる。顔だけではなく、肩も濡れ始めていた。
男は悪態を吐いて、さらに足を速めた。
――ピチャピチャピチャピチャピチャピチャ
だが雨水は、
――ピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャピチャ
さらに降ってくる。
既に全身びしょ濡れだった。しかも雨水にしては妙に粘り気があったのだ。
さすがにおかしいと思った男は立ち止まり、上を見上げた。
瞬間、男は息を飲んだ。
傘の裏。
普通なら、そこには骨組みがあるはずだった。
しかし、男が手に持つ傘は違った。
ポッカリと大きく開いた口が頭上にあった。
先程から男に降りかかっていたモノは雨水ではなく、口から垂れている涎だったのだ。
口の中には白く尖った歯がズラリと並んでいる。
さらにその奥には赤い舌がチロチロと覗いていた。それはまるで、獲物を前に舌なめずりしているようであった。
「う、うわああぁぁぁ!!」
男は悲鳴を上げて傘を放り投げようとした。だが、傘は離れない。
傘の柄の部分が蛇のように男の手に絡みついていたのだ。
傘の中の口がより大きく開かれる。それと同時に傘は勝手に閉じてしまい、男の顔をスッポリと包み込んだ。
男は頭を傘に覆われたまま歩道でもがく。
深夜なので、他に誰も通行人はいなかった。
男の頭は傘の口に飲み込まれていく。
彼が最後に見たのは、残忍な光を放つ白い歯だった。
「い、いやだッ――!」
――ブチィ
そんな鈍い音と共に男は歩道に倒れ込む。
男の首から上は無くなっており、血が滝のように歩道に流れ出す。
そんな無残な死体のすぐ近くに、赤い傘は無造作に投げ出されていた。
その様子を電柱の陰から見ている少女。
次の瞬間、彼女は陽炎のように消え去っていった。
◆
「え? あぁ、はい、わかったよ! じゃ、送ってくれ」
藤代タケルは不機嫌な顔つきでスマートフォンに耳を当てていた。
そんな様子を、運転席に座る藤代ヤマトがチラリと見やる。
「あぁ、わかってるよ。ちゃんと報告するから。じゃな」
タケルは乱暴にスマートフォンを後ろの席に放り投げ、助手席に思いっ切り寄りかかった。
彼は筋肉質で体格が良く、顔も男前の部類に入る。歳は二一歳だ。
「で、何だって?」
ため息を吐くタケルにヤマトが尋ねる。
彼はタケルとは違い、モデル体型のスマートな体つき。どこか中性的な顔には銀縁のメガネを掛けている。歳は二四歳だ。
「新しい事件だとよ。首なし死体がここから数キロメートル先の街で発見されたんだと、今から四日前の話だ」
タケルが答えると、ヤマトはメガネを押し上げながら眉をしかめる。
「それだけだと、普通の殺人事件の可能性が高いんじゃないか?」
「そう思うだろ? だけどな、死体の首は刃物で切断されたんじゃない。獰猛な獣に噛み千切られた跡があるんだと。しかも、現場は近くに山や森はない住宅地付近だったんだぜ?」
ヤマトはハンドルを操作しながら相槌を打つ。
「へぇ、それは僕らの仕事の可能性が高いね」
「だろ? 凶悪な事件とは縁がない街だったらしいが、今じゃ、付近の学校は集団登下校をしているんだとさ」
タケルが再びため息を吐く。
「事件の詳細は?」
「後でデータを送るってさ。まったく、藤代家ってのは、どうしてこう身内をコキ使うのかね? ついさっき、1つ事件を解決したばかりだってのに……」
タケルの愚痴を聞き流し、ヤマトは数十メートル先のファミリーレストランに目を付けた。
「昼にしよう」
ヤマトはそう言い、車をファミレスの駐車場へと入れた。
「喫煙席でいいか?」
とタケルが問うと、ヤマトがすかさず首を振る。
「ダメだ。禁煙席にする」
「えー! 何でだよ」
「今日の運転手は僕だ。運転手の言う事は?」
「絶対……。わかったよ、禁煙席でいいよ」
「よろしい」
2人は入り口付近の、周りに人がいない席に着いた。
ヤマトはあじフライ定食、タケルはトンカツ定食を頼んだ。
「仕事終わりなのに、よくそんな濃いモノ食えるな」
「るせー、腹が減っては何とやら、だ」
手早く食事を済ませると、タケルはスマートフォンをテーブルの上に置いた。
画面には事件の詳細なデータが記載されている。
「タケル、早くスクロールしてくれ」
「ちょ、まだ読んでないんだよ!」
「普段、文字を読む習慣がないからだろ? 読解力じゃ小学生にも劣るんじゃないか?」
「うるせー、クソ兄貴」
などと言う微笑ましい兄弟のやり取りをしつつ、彼らは事件の詳細を頭に叩き込んだ。
「首を取る化け物と言ったら、何が思い浮かぶ?」
「"カオトリ"とか?」
ヤマトは首を振った。
「カオトリは首を切断するわけじゃないぞ。まぁ、もっと残酷なやり方なんだけど……」
「じゃあ、ヤマトは何だと思うんだ?」
「正直、該当のするモノが多すぎて絞り込めない」
「何だそれ!? 卑怯だろ」
「卑怯も何もあるか、本当に該当するモノたちが多いんだよ。少なくとも、知識があればカオトリなんていうアホな回答はしないだろうな」
ヤマトがニヤニヤしながら言う。
「言ってろ、クソメガネ!」
「さっきからクソしか言ってないぞ? 語彙が少ないな」
「この、クソッ……」
彼らは会計を終えると、車へ向かった。
「何にしても、まずは聞き込みだ」
「あぁ、最後の目撃者であるコンビニ店員。こいつに話を聞こうぜ」
2人は車へと乗り込んだ。
彼らが追うモノは殺人者ではあるが、人ではない。
それは超常なる存在。
人の世に隠れて、闇に蠢く邪悪な存在。
妖怪、悪霊、呪い……。
彼ら兄弟はソレらの脅威と人知れず戦う者たち。
退魔師。
彼らはそう呼ばれていた。




