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長い夜再び・対峙

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

 ユーリエに呼び出された私は,夜,人気のなくなった回廊を独り歩いていた。

 静まり返った館内。

「…」

 ふと立ち止まり,窓から月を見やって,あの長い夜を思い出す。これほど長くここに留まる事になろうとは,まったく思いもよらなかった。きっと状況は好転し,この苦しい戦いにも光明が見えてくると,そう思っていた。

 だが状況は良くなるどころか,悪い方へと,まるで運命によって定められたかのようにじりじりと追い詰められていった。

「…我ながら,なんと柔弱な…」

 溜息をついて,再び歩を進める。たとえ最期の時が訪れるにせよ,アリシアの,ユーリエの幸せだけは守り抜かねばならない。

「…私だ」

 ユーリエの寝室の前へとたどり着き,扉を二度三度とノックする。

「どうぞ,開いています。お入りになって下さい」

 その言葉に驚く。どこかへ場所を移すものとばかり思っていた。気まずさが心の中へ染み出てくる。

 だがこのままというわけにもいくまい。ともかくそれに従う事にする。

「…失礼する」

 不意にその時,あの晩の記憶が蘇ってくる。あの時は蛟龍で鍵を斬り,強引に侵入したのだった。倒れた女王に付き添った時はともかくとして,ここへ入るのはそれ以来だ。

「どうしました?」

「…いや…」

 考えに浸ってしまったらしい。訝しむユーリエの声に意識を現実へと引き戻し,正面に立っている彼女を…。

「…っ!」

 慌てて視線を逸らす。窓から差し込む月明かりに浮かび上がったユーリエは,上にガウンこそ羽織っているもののあの晩と同じ極薄の夜具だ。

「ようこそおいで下さいました,将軍…」

 だがそんなあられもない格好だというのに,ユーリエはそれを気にする素振りもない。およそこれまでの彼女からは想像できない振る舞いに調子を狂わされる。

 視線を逸らしたまま後ろ手に扉を閉める。本来ならば少し開けておくべきなのだが,姿が姿だ。誰も居ないと分かってはいてもやはりそれは気が引ける。

「…なぜわざわざこんな時間に,こんなところで…?」

 しかもそんな格好で,と続けようとしてなぜかそれが憚られる。

「どうしても…お話ししなければならない事がありました」

「…それならばわざわざあらたまらずとも…」

「いいえ」

 視界の隅で首を振るユーリエ。

「どうしても…今,ここで,こうして話す必要があったのです」

「…女王…」

 そのまま,しばらくの静寂。しかしすぐに,それに耐えられなくなる。

「…で…話とは?」

「将軍は…」

 静かに,ゆっくりと,口を開くユーリエ。

「卑怯です」

 しかし次の瞬間,突然の,まったく予想外の言葉。

「…卑怯…?」

 さすがに動揺してしまう。武人として,そしてハンの名代として,公明正大を第一にここまで来たはずだ。確かに自信を失うことはあったかも知れないが,少なくともそうあろうとしてきた事だけは間違い無いはずだ。

「そうです」

 しかしユーリエの短い,容赦の無い言葉が突き刺さる。

「…それは,いったい…」

 格好の事などすっかり意識の外に追い払われ,ただただユーリエの顔を見る。

「あれだけの事をなさってきて,おとぼけになるのですか?」

「…っ」

 帰ってきた真っ直ぐな視線に射すくめられたような感覚。

「…すまない,恥ずかしい限りだが,全く思い当たる節がないのだ。教えてはもらえぬか?」

「将軍は…」

 溜息をつきながら悲しそうな表情を浮かべて,ユーリエは言葉を繋ぐ。

「すべて計算ずくだったのでしょう?」

「…計算ずく?」

「そうです。アリシアを攻略するのに最も効果的と思われる手段を用いて私に,アリシアに接してきたのでしょう?」

「…な,に…?」

「優しくして下さった行為の裏に,冷徹な計算が隠れていたのでしょう?情に訴えてしまうのが最も手っ取り早い方法だと,そういう作戦だったのでしょう?」

「バカな!」

 反射的に思わず叫んでしまう。

「!」

 びくりと身を震わせるユーリエ。

「…すまない,しかし…」

「それもです」

 しかしこちらの口元を指さしながら,気持ちを立て直した彼女はこちらの言葉を遮って続ける。

「将軍はそうやって,常に優しいお言葉を私に投げかけて下さいました。…今思えばそれは,私を籠絡するための手管だったのでしょう?」

「…な…っ」

「そのために私は…将軍の思いに応えなければならないという心境に…徐々に作り替えられていきました」

 うつむいてそう言ったユーリエは,ややあってきっと顔を上げると再び言葉を発する。

「貴方はご自分でそう仰っているように,敵国の将軍。ラズール陛下の名代なのです!なのに…民の思いに応えなければならない私は…貴方の策略にまんまとはまって…」

「…ま,待て…」

「待ちません」

 ぴしゃり,と言い切るユーリエ。

「それとも…否定することができるのですか?貴方は…立場など無視した,いち個人としてここに居て。個人の良心に従って動いているから帝国は関係ないと,そう仰るのですか?」 

「…っ」

 そんなわけは無い。将軍という立場でなければここに来る機会も,ここに居続けられる根拠も無くなってしまうのだ。

 だがだからと言って,個人の良心を全く無視していたわけではない。

「私は…あまりに愚鈍過ぎました」

 しかしそれを口に出そうとするより早く,ユーリエが言葉を続ける。 

「裏を読むこともできず,ただただ突然の出来事に流され…冷静な判断力をも失わされてずるずると…」

「…そんな事は…」

 言いかけてしかし言いよどむ。ユーリエが情にほだされてしまうことを懸念していたのは他ならぬ自分だ。それを自ら戒めようとさえしていたのだ。ユーリエのその言葉に異論をさしはさむ資格などありはしない。

「私は全てを奪われました…いえ,愚かにも自らそれを捨てた,と言った方が良いのでしょう。女王としての誇りも,責務も…持っていたもののほとんどすべてを将軍に…帝国に明け渡してしまいました」

「…何を言うのだ…私は貴女の大切なものを奪ったつもりも,これから先それをよこせと言うつもりもない」

「それも…策略でしょう?」

 悲しそうに微笑むユーリエ。

「あくまで私がそれを手放したという形にもっていくための…計画だったのでしょう?」

「違う…違うのだ!断じてそんな事はない!…信じてくれ…」

「信じる…?」

 目を丸くしたユーリエは,次に苦笑する。

「それこそ,その言葉こそ…私から判断力を奪わせてしまった滅びの魔法ではありませんか」

「…!」

「貴方は,恐ろしい人…。先人たちの誰もが予想しなかった方法で,防衛網の盲点を狙い撃ちにし,最小限の労力で最大限の効率を上げた…」

「く…」

 苦痛に顔が歪む。これでは何を言ってもどうにもならない。どこで道を誤ったというのだ。

「将軍,もうご無理はなさらないで下さい。私は…アリシアは,あの晩にすでに敗北していたのです」

「!!」

 そこでユーリエの意図を悟る。今この場所が選ばれた理由,それはつまりあの晩の再現だ。

「…っ」

 苦しい。胸がたまらなく苦しい。

「…私は…貴女にそこまでの苦痛を与えてしまっていたのか…幸せを守るなどと偉そうに言って,貴女を苦しめていたのか…」

 鉛のように重くなった口から,必死に言葉を絞り出す。

「しょ…」

 うろたえるユーリエ。気まずい表情を見せるが,頭を左右に振ってそれを引き締め直す。

「もういいのです将軍。もう夢の時間は終わりに…」

「…だが!」

 ユーリエの言葉を遮る。

「決して嘘では無いのだ!私は貴女の幸せを壊したくはなかった!アリシアの平和を守りたかった!今もそうだ!…たとえ信じてもらえなくとも…それだけは…」

「将軍…」

「…それだけは…」

「その言葉に,責任を取れるのですか?」

 少し沈黙したあと,悲し気な表情で静かに口を開くユーリエ。

「…責任?」

「貴方のその言葉が嘘でないと,全てをかけてでも誓えると言うのですか?」

「…無論だ」

「では…試させて下さい。貴方の覚悟を…」

 冷静に考えれば,その言葉が不自然だったと気づいただろう。なぜそこでわざわざ確かめる必要があるのか。信じなければそれまでのものに,なぜ確証を求めようとするのか。

 しかし,それに思い至るほどの心の余裕は無かった。

「…分かった,それで貴女が納得してくれるのならば…。だが,どうやって?」

「ではこちらに…ここに,腰掛けて下さい」

「…」

 ユーリエの言葉に従い,寝台の縁に腰を掛ける。

「目をつぶってそのまま…私がもういいと言うまで,何をされても決して動かないで下さい」

「…女王…?」

 それはつまり,抵抗するなという事だ。

 わざわざ確かめる事はしてこなかったが,おそらくユーリエは護身用の短剣くらいは帯びているはずだ。こちらが抵抗しなければ,丁度良い高さとなったこちらの頸を刺すのは造作もないだろう。

 命をかけろとは,そういう事か。

「どうしました?できませんか?」

「…いや…」

 自分は,ここまでユーリエに恨まれていたというのか。心の安らぎを第一になどと知ったような事を言いながら,その実ただの傲慢な支配者だっただけだというのか。

 久しく忘れていた悲しみと虚無感が,急速に心に広がっていく。

「…貴女がそうしろと言うならば従おう…」

 ここで罪を清算して終わるのも良いかもしれない。そんな思いに心を支配されながら目をつぶり,身体の力を抜く。

 寝台が血に染まってしまうのはいかがなものか。そんな場違いな考えがちらりと頭をかすめたが,すぐにその心配が無い事に気づく。

 ユーリエの格闘術の腕前はもはや一撃必殺の域に達している。こちらが抵抗さえしなければ,さして苦労もしないはずだ。

 自分の業が自分を殺すのに使われる。全てを否定された自分には似合いの皮肉かもしれない。

「…!」

 ユーリエが息を飲む気配が伝わってくる。

「で,では…覚悟はよろしいですね?」

「…ああ…」

「…」

 しばしの静寂。やがてゆっくりと,ユーリエが近づいてくる。

(…?)

 しかし,そこで違和感。一撃必殺の間合いを越えて,さらに距離を詰めてくる。

「やはり,何も分かっていらっしゃらないのですね…」

 溜息とともにつぶやくユーリエ。

 そして,ふわり,と空気が動いた。

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