アリシア王城の長い夜・その弐
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
ナイトガウンのようなものを羽織ったユーリエの後について,廊下を横切り階段を降りる。
「…あれも,寝てもらっているだけだ。命に別状はない」
先ほど当身を食らわせた二人の兵以来,意識を失ったアリシア兵の側を通るたびに繰り返す。女王の無防備な姿を衆目に晒さずには済むものの,それに女王が心を痛めてしまうのはかなり心苦しい。
「父祖をすり抜けて,結構な数が侵入しているのですね…」
「…そういう事だ」
実際はすぐ側にもリリーがいるわけだが,当然ユーリエにはそれは分からない。
「…ところで,その父祖の件だが…」
なるべくなら貴女を悲しませたくはない,最善の道を探るために具体的なところを教えて欲しい,と伝える。
「はるかな昔から,代々のアリシア王族と,アリシアを見守り続けてきた方です」
「…」
いきなり途方もない話から入ってくるユーリエ。
「聞くところによれば,はるかな昔…魔操兵戦争の頃あたりからそうしていらしたと。アリシアが過去の悲劇を悔いて軍備と野心を捨て去るにあたり,専守防衛の要としてその任に就かれたとの事です」
「…という事は,その父祖とは話ができるのだな?」
今は昔話そのものはさして重要ではない。肝心なのは,その父祖が自我を持っているらしいことと,ユーリエがその破壊に心を痛めそうだという事だ。
「少なくとも巫女としての力を有する女王は,父祖と話すことができます。聞くところによれば,女王以外でも極少数,意思の疎通ができたという例がありますので,おそらくは大丈夫ではないかと…」
「…極少数?」
「はい。これから行く父祖のもとへは女王しか立ち入れない事になっていますから,誰もが父祖と意思の疎通ができるかは分かりません。しかしごくまれに,外部で父祖からの語りかけを感じ取る者も居るのです」
「…そうか。私が直接話せるようならば問題ないが,そうでない場合は通訳を頼む」
「分かりました」
「…すまないな」
「私の側に,選択肢はありませんから…」
ぽつりとそうつぶやくユーリエ。それにもう一度詫びる。
寝室ではかなりのざわめきが伝わっていたが,今は不気味なほど静まり返っている。ユーリエが自分のもとへ向かっていることが分かっているためなのだろうか。
(…あるいは,罠か…)
可能性としては,無いとは言えない。
ユーリエは一階の奥まった部屋,そのさらに奥の扉の前で立ち止まり,それに手をかざして二言三言つぶやく。
(…魔法か…それとも暗号か…)
どちらにせよ,おそらくは女王にのみ代々それが受け継がれているのだろう。扉が音もなく開くと,そこには下へと続くらせん階段が現れる。おそらく建て替えられているのは地上部分だけなのだろう,その石組には明らかに年季を感じる。
「父祖は,この下です」
そう言って階段を下っていくユーリエ。
「…リリー,異変を感じたらすぐに脱出しろ」
小声で後ろのリリーにつぶやく。ごくり,と唾を飲み込む音。
「うん。…できればね」
無理もない。いよいよ相手の懐深くへ入り込むのだ。
「…道は作る」
それだけを答え,じゅうぶんに注意を払いながら後に続く。
しばし,静けさに包まれた狭い空間に,石段を踏みしめる足音だけが響く。
「こちらです」
階段を下りきったところでまた二言三言つぶやいて扉を開けると,ユーリエはこちらを振り返って言った。
「…分かった」
こちらの返事を確認し,ユーリエは中へ入る。
その後に続いてそこへ入ると,そこにはむしろ出たとすら言った方が良かったほどの巨大な空間が広がっていた。
「…これは…」
そのあまりの巨大さに絶句する。確かにそれなりの時間階段を下っていたが,まさかそれがすべて一つの空間だとは思わなかった。おそらくは魔法であろうが,所々の明かりがあり得ないほどの奥行きをぼんやりと照らし出す。
そしてその中央に,巨大な像。その材質こそここからでは分からないが,およそこちらの五倍はあろうか。その像がぽつん,と立っている。
大きさや空間との釣り合いだけではなく,その姿も異彩を放っていた。直立した姿勢の,鎧武者。だがそれは甲冑と言うよりは大鎧に近い。つまりは今自分が着ている鎧と同じ価値観で作られた物という事だ。腰に差されているのも二刀。だがそれにも増して異彩を放つのは,胴の上に乗っている龍の頭。
(…龍戦士…)
趣味はあまり良いとは言えないが,しかし何を表現したかったのかははっきりしている。やはり何らかの形で,龍戦士の力が作用しているのだろう。
「お連れしました」
その時,ユーリエが口を開く。
<どこだ…?>
「!」
耳に聞こえているようでもあり,心に直接響いているようでもある言葉。しかしそのいずれもが,それがこの世界で古代語と呼ばれているものだと認識する。
「え?こちらに…」
ごく普通に返答しているところをみると,ユーリエは古代語に熟達しているのだろうか。しかし彼女の返答は明らかに古代語ではない。
「…父祖には私が見えていないのだよ」
「えっ?」
「…今見えるようにする」
チョーカーに手をかけ,意を決してそれを解除する。
<!>
周囲の空気がざわめく。
<まさか,ここまで侵入を許すとはな…お前は,龍戦士か?>
<…そうだ>
ふと思い立ち,相手と同じ言語で,と意識して答える。
「えっ…?」
ユーリエが困惑の表情で声を上げる。こちらと像とを見比べているところから見て,おそらくは予想通り。聞き取っている言葉が古代語のそれに変わったのだろう。
<…私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ>
<その将軍が,わざわざここまでやってきて何の用だ。いや,ここまでくる理由など一つしか考えられぬな>
「ボス…」
周囲の空気に殺気が満ち,それにあてられたリリーが思わず不安げな声を上げる。
<…違う>
即座にそう答える。
<なに?>
<…選択肢は一つではない。それを確認するために私は敢えて姿を晒した。もし一つなら,姿を隠したままで貴方を一方的に破壊すれば,いや,それ以前に女王を斬ってしまえば良かっただけの事だ>
<…>
殺気が薄れ,代わりに品定めするかのような,様子を伺うような空気が濃くなる。
<…まずは状況を正確に把握して欲しい。私が女王に案内をさせここまで来た時点で,勝ち負けで言うならアリシアは事実上我々に負けた>
<まだ,負けてはおらぬ>
再び濃くなる殺気。だがそれには構わず続ける。
<…そうだ。だからこそ把握して欲しい。私がその勝ちを手放してここに居るという事を>
<では…なぜ手放した>
<…もともと,そんなものを目指してはいなかったという事だ>
<なに…?>
こちらの真意を測りかね,再び様子を伺うような気配が増す。
<…私は…いや,帝国は。もともと…いや,今も。世界の征服を目指しているわけではない>
なぜそこで言い直す!とハンに怒られそうだな。そんな事を考えて内心苦笑する。
<では,何が狙いだ。何のために,危険を冒してまでここへ来た?>
<…それが,女王…ひいてはアリシアにとって,もっとも不幸の少ない道だからだ>
<なに…!?>
「え…っ?」
ユーリエが驚きの声を上げる。魔道王国の女王ともなれば古代語に精通してこちらの会話の中身を理解しているのかも知れないが,そうでなかったとしても周囲を包む空気の劇的な変化くらいは感じ取っているだろう。
<詭弁を弄すなよ…?>
そんなはずはないはずなのだが,像の龍の目がぎらり,と輝いたように感じる。
<…詭弁でも策でも何でもない。だが,それを説明するには時が要る。その前に…ひとつだけ頼みを聞いてはくれまいか?>
<頼み…だと?>
<…そうだ。信じられないというなら,多少気は引けるが交換条件という形でもいい>
<どんな頼みだ…>
<…今この城内に居る私の部下たちの,身の安全を保証して欲しいのだ>
龍戦士の力を多かれ少なかれ持っている我々は,追い詰められれば力の開放をせざるを得なくなる。ここでそれが起こった場合,アリシア側にも少なからぬ被害が出るはずだ。
<…どちらが生き残るかはやってみなければ分からない。だが…少なくとも今の我々の目的はアリシアと傷つけあう事ではないのだ。無益な争いは最後の最後まで避けるべきだ>
<それで,わざわざ有利を棄てたという事か?>
<…いきなり全てを信じろと言うのも無理押しだ。それでも構わないが…>
私は女王の不幸もなるべく増やしたくないのだ,と付け加える。
<分からぬな…>
ややあって像が言葉を発する。
<お前の言う事は支離滅裂だ。アリシアの,ユーリエの不幸を減らすつもりなら,放って置けば良いだけだ。なぜわざわざ自らの危険を冒しここまで来る>
<…先ほども言ったはずだ。事実上,私がここまで来た時点でアリシアは敗北している>
端的に言うなら…と言ってそこで逡巡するが,しかしもはや言わずに済ます事はできまい。
<…女王の身の安全を守るならば,私の庇護下の方がより確かだという事だ>
<何っ!?>
「!?」
再びあたりの空気が大きく動揺する。びくりと身を震わせるユーリエ。
<いよいよわけが分からぬわ!ではお前はわざわざ,自分の力を誇示するためにここまで来たと言うのか?>
<…言ったはずだ。信じてもらうには時が要ると。事実,貴方は先ほどの女王と同様,混乱している>
<むっ…>
言葉に詰まるところをみると,先ほどの寝室でのやりとりも,ユーリエの様子に限っては見られていたとみて間違いないだろう。
<…だからこそ頼みを聞いて欲しいのだ。時間をかけて,争わずに済む道を探りたい。それが帝国の姿勢でもあった。だが…>
対話の道を閉ざされ,帝国は戦う道を選ぶしかなかった。今の私と貴方の関係が,ちょうど帝国と連合の関係でもあったのだ。そう言葉を繋ぐ。
<それが,この訳の分からないやり口に繋がるという事か…>
<…戦う事も,妖魔や魔獣に頼る事も。ひいては邪神の封印を解いた事すら,我々にはギリギリの,それしかない選択肢だったのだ>
<今回のこれも,その,それしかない選択肢だという事か?>
<…そうだ。話せば長くなるが…>
<ううむ…>
しばしの静寂。待つ身の辛さとも言うべきか,実際はさして経っていないはずの時が,果てしなく長く思える。
<よかろう>
その静寂を父祖が唐突に破る。
<現実問題としては確かにお前の力は卓越している。全力で阻止するにしても,その力を暴走させられてしまえばハイアムに匹敵する被害が出るやもしれぬ>
「!?」
ハイアムという単語に何か心当たりがあったのか,また大きく体を震わせるユーリエ。
<さしあたり…自分の庇護下がユーリエにとって一番安全だと言うその言葉,信じても良いのだな?>
<…それこそ,私の言葉を信じていいのか?>
理屈では肯定しなければならないところ。しかし感情が反射的に言葉を紡いでしまう。
<…>
<…すまない,だがまさにそれこそ,言葉ではなく時間をかけて見極めてもらわねばならぬところだ>
さまざまな思いが去来する。偽らざる本心。
<ふむ…>
考え込むかのような言葉。ちらちらと横目で値踏みされているかのような感覚。
<まぁ,よかろう>
ややあって,割り切ったような口調で言葉が発せられる。
<お前自身がそう言うのならば,見極めようではないか。…ではさしあたり,それを見極めるまでの間お前の部下たちの身の安全を保証する。それで良いな?>
<…感謝する>
そう言って,頭を下げた。




