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アリシア王城の長い夜・その壱

 私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。

 アリシア女王ユーリエを確保すべく城館へと足を踏み入れた途端に,違和感が襲う。

「…何だ?」

 見えてはいないが見られているアリシアの防衛システム。それがざわり,とざわめいたのだ。

「…」

 収まる気配がない。ざわざわと,小さくざわめき続けている。

「ボス…?」

 リリーの心配そうな声にハッと我に返る。

 もう後戻りのできない所まで来てしまったのだ。ここで立ち止まっている暇などない。

「…カール,お前たちは敵近衛兵の戦力把握。手に余りそうなら同時に無力化してしまえ」

「はっ」

 カールを先頭に四人が走り去る。

「…シェスター,お前たちは館内構造の把握。できれば騎士の剣の発見だ。ただし地下には行くな」

「了解」

 今度はシェスターを先頭に四人が走り去る。

「私たちは女王の確保だね,ボス?」

 それに頷いて見せ,走り出す。この距離までくれば反応を見失う事はない。広間を横切り,通路を突っ切って,階段を駆け上がる。

「…」

 ざわめきが次第に大きくなってくる。何か腑に落ちない状況が起こり,それを把握できないもどかしさのような。それが何かは分からないが何かが確実に起こっているという得体の知れない不安のような。そんな感覚が伝わってくる。

(…!そういう事か)

 ハッと気づく。原理は不明だが,おそらくは敵味方を問わず範囲内の全員を見ているのだろう。いや,あるいは全てを見ているのかも知れない。

 つまりは突然意識を失った兵士を,あるいはひとりでに開いた扉を見て異変に気付いたという事だ。

 だとすればカール達に出した指示は逆効果も良いところだ。敵近衛兵の無力化など,おかしいと思わないほうが変である。

「…急ぐぞ,リリー!」

「え?…う,うん!」

 速度を上げる。

 異変を察知した敵方がとれる方策は二つ。対処のための必須条件である原因の早期究明に血道を上げるか,それとも対処を諦めていったん退避するかだ。前者ならば圧力が強まって装置の限界が早まるだろうことが予想されるし,後者ならばユーリエがどこかへ逃げてしまうかもしれない。

 どちらを,あるいは両方同時に対応してくるかは状況次第だろうが,こちらはどの道急がねばならない。

「!」

 階段を上りきり,通路へ入ってそこで立ち止まる。衛兵が二人,こちらを見ている。

(…もう気づかれたのか!?)

 反射的に蛟龍に手をかけるが,すぐにそうではないと理解する。侵入経路は一つしかない,そこさえ警戒していればいいという対応だ。こちらが目の前に居るというのにその構えに変化は見られない。

「ボス…」

「…やむを得ん」

 ユーリエの反応はすぐそこだ。邪魔をされても困る。ここは寝ていてもらうしかない。

 間をすり抜けるように走りながら,狙いすました当身を食らわせて意識を飛ばす。ここまで来たら偽装工作は不要だ。そのまま倒れるに任せて先へ進む。ざわめきが大きくなるが構ってはいられない。

「…ここだ」

 両開きの扉の前で止まる。ユーリエはこの奥だ。

(少々手荒だが…許せよ!)

 蛟龍を抜きはらい,扉の合わせ目に沿って垂直に斬り下ろす。

 これまでも散々実感してきたことではあるが,実際,蛟龍は恐ろしいほどの切れ味である。まるで粘土でも切り分けているかのような手ごたえだけを残し,音らしい音もたてずに裏側の閂を両断する。

「よし…」

 納刀し,静かに扉を押し開けて中へ入る。

 広々とした室内は,窓から入り込む月明かりでそれなりに明るい。中央には天蓋付きのベッド。反応はその上だ。どうやら間に合ったらしい。そのまま自分の間合いまで接近する。

「…ふぅ」

 思わず息が漏れる。これでさしあたり,切り札はこちらの手の内だ。のんびりしている余裕が無いのは相変わらずだが,ここからは慎重に事を運ぶ必要がある。

 後に続くリリーが扉を閉めたのを確認して,装置を操作する。これでこちらの姿は向こうにも認識できるはずだ。

「…女王…女王よ,悪いが起きて欲しい」

 何と声をかけるべきか迷い,結果的に何とも間の抜けた事を言ってしまって内心苦笑する。

「!」

 うーん,と小さく唸って目を開き,こちらの存在を確認したユーリエは反射的にがばとはね起きて身構える。

「な,何者です!」

 こちらも反射的に行動を起こし,目を閉じる。ユーリエが身にまとっているのは極薄の夜具だけで,二つのふくらみがその先端の突起までもうっすらと見えたのだ。

「…帝国の漆黒将軍と,言えば分かるか?」

 目を閉じたまま言う。

「!?」

 愕然とするユーリエ。

「そ…そんな…偉大なる父祖おじいさまが動いているのに…」

(…防衛システムの名か…?)

 そのつぶやきにひっかかる。しかし今はまず,相手に現状を認識させるのが先だ。下手に抵抗されても困る。

「…はじめに言っておくが,この距離ならば貴女に何もさせずに斬る事もできる」

「!」

 びくり,と身を震わせるユーリエ。

「…どんな防衛機構を持っているかは知らないが,ここまで来てしまった以上は我々の勝ちだ。まずそれを理解してほしい」

「言っておきますが…」

 ごくり,と生唾を飲んで,しかしユーリエは努めて平静に言葉を発する。

「私を殺せば,邪神の封印を解くことは不可能になりますよ」

 自身の安全を保つための最大の切り札。そういう認識なのだろう。だがそれは誤解だ。

「…済まぬが…私は邪神の封印などには興味は無い」

「えっ…?」

「…いや,むしろ解くべきでないとすら思っている。だからそれは,貴女の身の安全を交渉する材料としては全くの無価値だ。…逆効果と言ってすら差し支えない」 

「では…私を殺すつもりですか…?」

 声に緊張の色が混じる。

「…殺すつもりならば,わざわざ姿を晒して貴女を起こす必要などない」

「…?」

「…女王,まずはもう一度,状況を把握して欲しい」

 いよいよわけが分からないという様子のユーリエに向かって言う。

「…私がここまで来て,貴女の命運をこの手に握っている時点で。アリシアは事実上敗北した」

「!…」

「…私は邪神の封印を解く気は全くない,どころか解かせてはならないと思っている。だから,それだけで見ればむしろ貴女の命を奪うほうが都合が良い」

「…」

 大きく目を見開くユーリエ。もちろんそれを直接見ることはできていないが,恐怖による心のゆらぎが感覚として伝わってくる。それに罪悪感を喚起され,それを一刻も早く脱しようと言葉を継ぐ。

「…だが…敢えて貴女の前に姿を晒し,こうして貴女と話をしていることの意味を察して欲しい」

「意味を…?」

 しばしの静寂があたりを支配する。

「分かりました。いえ…」

 不信感をあらわにするユーリエ。

「わけが分からないという事が分かりました」 

 無理もない,と心の中で苦笑する。

「…話せば長くなる事だが,今は時間がない」

「どういう事でしょうか…?」

「…時間をかければ,私の部下達にも,そしてこの国の者たちにも被害が出る。それを出さないためにも,頼みを聞いてほしい」

「被害…?言っていることが分かりません…」

「…貴女も言った通り,防衛システムは起動している。我々はそれを無効化することでここに居るが,そう長くはもたない」

「えっ…?」

 意外そうな声を上げるユーリエ。当然だ。そこだけ見ればわざわざ弱点を教えられているに等しい。いよいよ混乱しているだろう。

「…そして,今城内に居る手の者たちは,みな多かれ少なかれ龍戦士の力を備えている」

「!?」

「…つまり,限界がきてしまえば,それを解放せざるを得なくなるのだ。その結果がどうなるかは分からないが,貴女やこの城に居る者たちが無事に済むというのは楽観に過ぎるだろう」

「…」

 ちょっと考える仕草を見せるユーリエ。だがすぐに顔を上げて言う。

「その状況を避けるために,私に要求を呑めという事なのでしょうか?」

 劇的と言っても差し支えないほどの変化。おそらくはこちらよりもはるかに龍戦士というものを熟知しているのだろう。

「…頼みを聞いて欲しい,というだけだ」

 聞いてくれなければこちらがこちらの最善を尽くすだけの話だ,と付け加える。

 またちょっと考える仕草を見せて,ユーリエは口を開く。

「防衛システムを解除しろという事ならば,残念ですが私にはどうしようもありません」

「…偉大なる父祖とやらが,それ自身の意思で動いているから,か?」

「!…どうしてそれを…」

 半信半疑ではあったが,相手の反応でそれが紛う事なき現実なのだと悟る。

「…かなり前から,見られている感覚はあった。今は我々の存在を確認しようと躍起になっているな」

 そうして圧力が強まれば強まっただけ限界が訪れるのは早い,だからこそ時間が無いのだ,と告げる。

「しかし私には…」

 同じ言葉を繰り返そうとする。その声の調子に混じる困惑の響きから,それが事実であると判断する。

「…そこへ,私を案内して欲しい」

「!?…会って,どうなさるおつもりです?」

「…無害化は譲れない。それがたとえば解除であれ,あるいは破壊であれだ」

「…」

 言葉に詰まるユーリエ。悲しみの気配が伝わってくる。

「…もし貴女の意にも添えるような選択肢があるならば,それがこちらにとっても最善の道だ…」

「えっ…?」

「…だがどのみち,会わねば先へは進むまい?」

 しばし沈黙して考え込むユーリエだが,やがて意を決して口を開く。

「分かりました。現状ではこちらに選択肢はありません。…ご案内します」

「…感謝する」

 ユーリエはベッドから抜け出し,そのままこちらへと二,三歩進む。

「…女王」

 手でそれを制する。

「何でしょうか?」

「…いくら急いでいるとはいえ,せめて何か羽織るだけでもして欲しい。裸のまま案内させたとあっては我々の沽券にかかわる。」

「あっ…」

 動揺。どうやら自分の格好を全く失念していたらしい。今度は二,三歩後ずさる。

「…すまないな。それに気が回らぬほどの緊張を強いてしまったこと,申し訳なく思っている」

「あの…もしや,それで目を…?」

 そこではじめて,こちらの行動の意味を理解するユーリエ。

「…すまない」

 くるりと後ろを向く。

 背後で遠ざかる衣擦れの音。それを目で追っているリリーに声をかける。

「…頼む」

「任せて」

 感触としてはまず無いと言っても良いだろうが,抜け道などを使われても困る。

 ぱたぱたとそちらへ走っていくリリー。それとは逆の,窓の方へ顔を向けて目を開く。

「…ふぅ」

 まずは一段落だ。月を見ながら小さく息をついた。

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