手痛い失念
私の名はヴァニティ。
帝国の命運を賭けた作戦の許可は下りた。
帝国が勝利を掴むまで,アリシアに留まり続ける事になるだろう。その事をバナドルスに伝え,後事を託しておく必要がある。
「おお将軍。久しいですな。いつお戻りになっていたのです?前線はよろしいのですか?」
執務室を訪ねると,バナドルスは笑顔で迎えてくれた。
「…つい先ほどだ。陛下に謁見してきた」
言いながら,扉の脇に控えている騎士の方をちらりと見る。いや,正確にはそちらを気にする素振りをバナドルスに見せる。
「私は将軍と大事な話がある。すまんが呼ぶまで外していてくれ」
すぐさま察したバナドルスが騎士に命じ,騎士はこちらに一礼すると外へ出て行った。
「…助かる。さすがに”深慮の白虎”は違うな」
扉が閉められた事を確認してから,バナドルスに笑って見せる。
”深慮の白虎”とはいつの頃からかバナドルスについた二つ名だ。いつも物静かで慎重な状況分析と冷静な思考を重ね,しかしひとたび戦いとなれば虎の如き勇猛さを発揮する白銀の鎧。
「世辞はいい。それより,大事な話なのか?ジョウ?将軍が前線を離れて陛下に謁見するなどおよそ尋常ではないぞ」
立場を気にする必要がなくなり,バナドルスも昔の,砕けた物言いになる。
勧められるままに椅子に腰を掛け,相手が対座に座るのを待って口を開く。
「…実は先ほど陛下に作戦の許可を貰って来た」
「ほう…,よほどの作戦ということか」
「…妖魔の指揮はレヤーネンに任せ,私は黒軍でアリシアを制圧する」
「な…!?」
さすがに予想の斜め上を行ったようで,目を丸くするバナドルス。
「詳細を聞いても?それだけでは尋常でないどころか,突拍子もない話だ」
「…ああ」
苦笑して,レヤーネンの要求を発端とするこれまでの経緯を話す。
「なんと…それは…いや…しかし…」
あれこれと思案を巡らせた後で,うむぅ,と唸るバナドルス。
「…正直なところ,今の攻撃軍の規模では一方の国に側面を晒しながらもう一方を攻略することなど不可能だ。かといって二正面作戦などできるわけもない。となれば,戦力が整うまでの間,最大の不安要素である伝説の龍戦士を私が阻止する必要がある」
「言いたいことは分かる…。確かに我らが生き残る可能性が最も高い策と言えよう。…しかし…」
「…」
うつむき加減のまま表情の晴れないバナドルスを見て,一抹の不安を感じる。
”深慮”の二つ名は伊達ではない。ハンの側にあって,まだまだ決して盤石とは言えない帝国の土台を支え続けてきたのだ。どちらかと言えば豪放磊落で臨機応変のハンと,理論的ではあるが攻撃的でもあるルマールを時には制し,重鎮と呼ぶに相応しい役割を担っている。
そのバナドルスが何かを考えている。いや,何かに引っかかっている。それはつまり,何か重大な見落としがあるかも知れないという事だ。
「ジョウ…」
やっと顔を上げてバナドルスは言う。
「陛下は,許可をしたのだな?」
「…ああ」
「預かる,責任を取る,と言ったのだな?」
「…そうだ」
「…陛下も,なかなかにお厳しい」
腕組みをして溜息をひとつ。バナドルスはつぶやく。
「…厳しい?」
「そうとも。おそらく本人にそのつもりはないが,責任を取るつもりなどないぞ」
「!」
驚く。そのつもりがないのに結果としてそうなっている,とはハンにはよくあることだが,ここでそれが起こるとはどういうことか。
「そうだろう?例えばお前が作戦に失敗したとしてだ。預かる陛下はひどく落胆するはずだ。命を落としたり別の世界に飛ばされたりしようものなら,それは終生続く」
「…」
「例えばお前に同行した部下たちが似たような事になり,お前が終生落胆することになっても。やはり陛下は落胆するだろうな」
「…」
「それを…お前は許容できるのか?ジョウ?」
「…う…っ」
思わずうめきが漏れる。そんなものが許容できるはずがない。
「できないとすれば,それはつまり…」
「…ハンに『失敗は許さん』と言わせたも同然という事か…」
「うむ。何せ,そう考えてしまうお前が相手だからな」
バナドルスはそう言って苦笑する。
結局ハンが何を言おうと,要はそれに甘えるという選択肢がこちらにあるかどうかの問題で。言われてみればそれははじめからこちらには無い。答えはいずれとハンは言ってくれたが,こと命に関わる件で見れば,それはすぐと何ら変わらない。
いや,許可は下りてしまったのだ。それはもはや,すでにと言っても差し支えないだろう。
「…ぐ…っ」
先ほどよりも重苦しいうめき。
「いつものお前ならば,俺に言われるまでもなくその程度の事には考え至ったのだろうが…」
やはり疲れてもいたのだろうし,追い詰められてもいたのだろうな,とバナドルスはこちらを気遣う。
「…」
「だが…考え至ったところで,結論が変わったとは思えぬな。陛下もそう言ったのだろう?」
肩をすくめ,苦笑しながらバナドルスは言う。
「確かに帝国にとっても最善の道で。お前にばかり重荷を背負わせ,追い詰めている事への申し訳なさも確かにあろう。せめてそのくらいはさせてくれという陛下の心持ちも分かる」
お前の立ち位置の事もあるから,その思いもひとしおだろう。そう付け加える。
「しかし…陛下の即断即決には毎度のことながら舌を巻くよ」
「…賽は投げられた,か…」
つぶやく。もはやあれこれと思い悩む段階ではないようにも思える。
「案ずるより産むがやすしという事もあるからな。その意味では確かに,陛下はお前の後押しをしたのだろう」
しかしそこでまた複雑な表情をするバナドルス。
「…まだ,何か?」
先ほどよりもはるかに大きな不安。
「俺が言わずともいずれお前なら気づくとは思うが…乗りかかった船だ」
ちょっと困った顔をして,溜息を一つついて。バナドルスは言葉を継ぐ。
「確か…お前の所の技術担当…」
「…リリー?…が,どうかしたのか?」
屈託のない笑顔が浮かぶ。そしてそれがこの場の重苦しさとまったくかみ合わず,落差の大きさに頭がついていけない。
「同行させるつもりか?…その,娘は」
ちょっと回りくどい言い方をするバナドルス。
リリーのことは,あまり表ざたにはなっていない。黒軍そのものが詳細不明の少数部隊という性格とも相まって,その位置づけはよく知られていないのだ。女であるという事を知る者はさらに少なく,はっきりそれと分かっているのはハンとバナドルスくらいのものだ。
「…まさか。危険な任務だ,そんなところに…」
言いながら,しかし頭はすぐさまいろいろに思いを巡らせ始める。この男が今更あらたまって,意味のない事を言うわけがない。
「…あ…」
ややあって,ハッと思い至る。そういう事か。
「…それは…いや…しかし…」
奇しくも,継いだ言葉が先ほどのバナドルスのそれと重なる。
「陛下も,お厳しい…」
「…ぐ…」
それもバナドルスの気遣いなのだろうが,現実的には自分が浅慮だと言われているのと同じだ。
しばし静寂が室内を支配する。
「すまんな,久しぶりの再会だというのに…」
さすがに申し訳なくなったのか,バナドルスが口を開く。
「…いや…むしろ感謝している。遅いか早いかの違いだけならば,早い方が良い…」
言いながらも,たとえわずかな可能性でも見逃すまいと頭を働かせ続ける。
しかし何をどう考えても,他の手は思いつきそうになかった。
「…く…っ」
思わずうめきが漏れる。
「ジョウ。やはりお前は心身ともに疲れているのだよ。どうだ?せめて今晩一晩はゆっくりと休養を取っていっては。疲れを癒せば,よい考えも浮かぶかも知れないぞ」
「…感謝する」
正直な心情が言葉となって漏れ出る。疲れていることも間違いは無いし,それを案じてくれるバナドルスの言葉も素直に嬉しかった。
「…だが…」
それで良い手が浮かぶとは到底思えない。いや,良い手の可能性があるのはむしろリリーのところで,時をかければそれは失われていく。
「…すまない」
まだ休むわけにはいかない。今できることがあるなら,それをみすみす見過ごすわけにはいかない。
「そうか」
仕方がないな,と小さく息をつくバナドルス。
「では将軍も元気で。武運を,お祈りしておりますぞ」
椅子から立ち上がり,元の口調に戻して言うと,踵をそろえて敬礼をする。
「…ああ。バナドルス,貴殿も身体には留意して欲しい。後事を託していくことになるが,よろしく頼む」
こちらも立ち上がると,敬礼を返す。
「次の機会には,是非積もる話でもしながらゆっくりしたいものですな」
「…そうだな。お互い,土産話をたくさん用意しよう」
握手を交わすと踵を返し,扉を開けて執務室を後にした。
「…賽は投げられた…な…」
つぶやきが漏れる。
もはや後戻りはできない。できることは,せいぜい良い目が出る様に力を加えてやることだ。
「…」
だがそれとて,良い方向に働くとは限らない。結局は,そうなることを信じて最善を尽くしていくことしかできないのだ。
「…願わくば…」
自分の為に心を砕いてくれる者たちすべてにとって,より納得のいく未来が訪れることを。
全ての可能性と条件とを分析し続ける理性の傍らで,そんなことを願った。




