夢は儚く現実は厳しく
私の名はヴァニティ。帝国軍の将軍だ。
和平の道を探る,とはつまり,最も困難な道を選ぶということだった。こちらにとって最も有利に事を運べるはずの侵攻策を棄て,相手に態勢を立て直す余裕を与えてしまう。
ハンの使命の為,帝国の掲げる理想の為に。敢えていばらの道を進んだ我々を待っていたものは,やはり絶望的な回答だった。
とはいえ。かなり後になって分かったことではあるが,こちら側からの和平の提案に,残る連合三国はそれぞれ異なった反応を見せたらしく,これがもっと早く分かっていたら違った道もあったかも知れない。
もっとも穏やかな国柄のアリシアは,例の予言の事もあるため多少懐疑的ではあったものの,平和的解決の道にもそれなりに理解を示したようだった。
もっとも合理的な考え方をするエリティアは,理屈ではない今回の提案の理解にかなり苦しんだようだったが,条件に折り合いがつけば応じる構えを見せた。
もっともおさまりがつかなかったのは,やはりルトリアだった。発端であるサナリア残党の受け入れに始まり,失地回復の手伝いをするどころか自国の領土まで失った彼ら。最大の版図と国力を誇っていたはずの彼らが圧倒的有利をひっくり返されて遷都の憂き目に遭い,さらにはそれを何の未練もないかのように手放される格好の和平提案。およそ彼らのプライドの立つ場所などどこにも見当たらないし,いよいよわけがわからない。
そこへ,封印に対する認識の違いも追い打ちをかけた。これも後に分かったことだが,ルトリアの持つ封印は王城の地下にあったのだ。
もともとこちらは封印にはあまり頓着しておらず,国王が持ち去ったかどこかに隠した,程度の認識でいた。血道をあげてまで探すようなものでもなければ,解放する必要性もほとんどなかったのだ。
ところが向こうからしてみると,封印はすでに敵の手に落ちている。解放されてしまうのは時間の問題で,この提案はそのための時間稼ぎとも疑われてしまったらしい。
結局,内情としてはルトリアが強硬に押し切って和平交渉は蹴られてしまったわけだが,その時点ではあくまでも,その決定は連合の総意によるものであった。当然のごとくハンは落胆し,他のさまざまの要因も絡みはしたが,以降帝国の会議の中でも和平の声が聞かれることはなくなってしまったのだ。
◇
和平交渉が決裂するまでの時間に,連合は残る総兵力をかき集めて態勢を立て直した。そして当然のごとく,ワ=ダオラ奪還へと動き出した。少なくとも彼らにとっては,これ以上の時をかければ国力的な不利がじわじわと効いてくるはずだし,封印が解かれてしまう危険も着々と増していくはずなのだ。
それに対してこちらが得たものは,ハンの落胆とルマールの溜息。レヤーネンのあからさまな侮蔑とそれに対するクラルフの憤りだけであった。
「分かっていると思うが,将軍。ここで負ければまた元のジリ貧状態へ逆戻りだ。心してかかってくれよ」
そう溜息交じりに言ったルマールは,別の仕込みがあるとかでいずこともなく姿を消した。いきおいバラナシオスで戦っていた頃の顔ぶれで戦う事となる。
こうなると,使える戦術もいつものお約束だ。すぐさまクラルフ率いる赤軍を出撃させて大きく迂回させる。それが到着して挟撃が可能となるまではひたすら耐える。経験上もっとも堅実で,もっとも失敗の少ない戦術。
「また私は壁役ですか。将軍,いい加減私に恨みでもあるのではないですか?」
肩書の力を得てより一層あからさまにぶつぶつ言うレヤーネンだが,今回はそれに構っている余裕は無い。肩書が大仰になっただけで,中身が変わったわけではない。レヤーネン自身の手腕が問題外のままである以上,役割を変更する訳には行かないのだ。
赤軍から遅れること数日。連合が到着する頃合いを見計らい,城を出て街道沿いに布陣する。左側は開けた平野,右側はややおいて森が広がっている。その向こうを回る赤軍は,順調に進んでいれば連合をやり過ごしてその後背を衝くことができるはずだ。
「…来たか」
やがて連合が視界にその姿を現した。報告ではもう少し時間的な余裕があるはずだったが,やや早い。
「…レヤーネン,予想よりも早い到着だ。赤軍が到着するまで多少粘らねばならん。正念場だぞ」
「…」
「…レヤーネン?」
「分かっておりますよ,将軍殿」
短く溜息をついて肩をすくめ,レヤーネンは前線の持ち場へ向かう。
「大丈夫ですかね,あの男?」
「よもや敵前逃亡は無いと思いますが…」
カールとシェスターが口々に懸念を表明する。
「…」
いっそルマールと同じ脅しを使うか,と考えてそれを追い払う。それをしたところでレヤーネンは足下を見てくるはずだし,そんな彼を処断できるかと言えば無理だろう。結局はレヤーネンの見立てが正しいという事だ。
「…敗色が濃厚になれば分からんが,そうでない限りは大丈夫だろう」
せっかく手に入れた指揮官の地位をはく奪されるのは避けたいはずだ。戦線さえ支えられれば問題はないはずだし,弱いところに強力な妖魔やカール隊,シェスター隊を投入すればそうそう簡単に崩れないはずだ。
「…カール,シェスター。感じているな?」
「やはり,居るのですね?」
確認をとってくるカールに頷いて見せる。無言で頷く二人。
今回はさすがに総力戦の覚悟で来ているのだろう。第四世代程度の微弱なものとはいえ,龍戦士らしき反応がいくつか感じられる。はっきりそれと認識できないまでも,二人もなんとなく重圧のようなものは感じているのだ。
「…くれぐれも無理はするな。こちらからは近づかなくていい。向こうから来たら隙をついて無力化してしまえ」
「はっ」
実力も自負もある戦士としては不本意な指示かも知れないが,自分たちの安全を最優先するがゆえのそれだと分かっている二人は二つ返事で承服する。
「…よし,来たぞ!抜かるなよ!」
矢の雨が前衛の青軍に降り注ぐ。彼方を見やれば連合の前衛が突撃を開始したところだ。対してこちらは,矢の雨を防ぎ切った後も同じ場所に留まり,守りを固める態勢に入る。
ややあって両軍は激突し,戦闘が始まった。レヤーネンが大きな身振りで指示を出す。だがその指示は的を外れている事もあれば,逆効果になることすらある。その穴を埋めるのがこちらの役割だ。
押し込まれたところへ部隊を投入し,妖魔はそのまま不足した戦力の穴埋めとしてそこに留まらせる。カール,シェスターの両隊には崩れた味方が立て直すまでの時間を稼がせ,立ち直れば一旦戻してまた別の所へ投入する。
いつもの戦術だ。レヤーネンは戦線を維持できているのが支援の賜物であることを知らない。ちょっと戦場を見渡せば自分の指示と違う動きになっていると気づいても良さそうなものだが,全くそれには気が付かず,すべて自分の指揮によるものだと勘違いをしているのだ。
「…何とか防げているな。クラルフが敵の後背を衝けば巻き返せる…」
兵力的な不利にも関わらず,友軍はよく持ちこたえていた。いやむしろ,彼我の戦力差からは考えられない
なほどの余裕すら生まれていた。
だがそこに,誤算が生じた。
「…何だと!?」
思わず叫ぶ。得た肩書も大きく影響したのだろう,連合を与しやすしと踏んだレヤーネンが突撃命令を出したのだ。
だが全体としてみればそれなりの余裕で維持できている戦線も,細かく見れば攻守の均衡にはそれなりのばらつきがある。敵が潰走を始めたのならばともかく,そうではない段階での突撃命令は当然の如くこちらの足並みのばらつきを生む。
突出した妖魔が半包囲を受けて討たれ,そこに穴ができる。それで薄くなった箇所から防衛線が次々と破られ,ズタズタになっていく。こつこつと積み重ねた優位が瞬く間に崩れ去り,形勢は雪崩を打って悪い方向へと転げ落ちて行った。
「…レヤーネンっ!」
思わずそう叫ぶ。あまりにも箇所が多すぎて,こちらの部隊投入も間に合わない。赤軍ならばまだ支えることができたかも知れないが,彼らは連合を挟んで向こう側だ。
うろたえるレヤーネン。こうなってしまえば,もう完全に逃げ腰となった彼にできることは一つしかない。
「ひ,退けっ,退けェ!」
「…くっ!」
ついに味方は潰走を始める。その場にとどまっているこちらの脇を抜けるようにして撤退していく青軍の妖魔たち。
「…退くな!レヤーネン!」
その中に紛れるようにして,しかし隠しようもない醜態を晒しながら逃げて来る豪奢な鎧に,吐き捨てる。
「何ッ!?この状態で留まれと言うのか!?さては私を囮にして自分だけ助かろうという魂胆で…」
「…貴様ッ!」
自分の不始末を棚に上げて激高するレヤーネン。その醜悪さについに感情が抑えきれなくなり,左手が蛟龍の鞘を握った,その時。
「あれは!?」
カールが叫ぶ。その視線を追いかけて,前線に目を移すと,そこには巨大な生き物の姿。
「…!」
それは魔獣と呼ぶに相応しい生き物だった。ライオンとヤギの二つの頭を持ち,尻尾がヘビの頭になっている四足歩行の獣。
それが,二体。絶好の好機とかさにかかって突撃をはじめた連合の側面に突如として現れたそれは,各々の頭から燃え盛る炎を吐いて,意表を突かれた連合兵たちを片端から焼き払っていく。
「将軍!反対側にも!」
今度はシェスターが叫ぶ。視線を移せば,そちらにも二体。つごう,四体の魔獣が完全に連合を挟撃している。
「…ルマール…」
つぶやく。仕込みとはこの事だったのか。おそらくは魔法で姿を消し,待機させていたのだろう。万一に対する備えなのか,どんな意図があってのこのタイミングなのか,次々と疑問が湧いてくる。
だがそれはそれとして,ともかくこの機会を無駄にするわけには行かない。
「…レヤーネン,今のうちだ!軍勢を立て直せ!」
「は…はっ!」
すっかり毒気を抜かれたレヤーネンは先ほどの激高もどこへやら,慌てた様子で軍の立て直しに奔走する。
その間にも魔獣は炎を浴びせ続ける。完全に不意を突かれた連合は浮足立ち,魔獣への反撃も散発になってことごとく返り討ちになっていた。肉の焼けこげる臭いがあたりに充満する。
一方的で圧倒的な殺戮劇。ただただ見守るこちらを尻目に,連合兵を思うさま蹂躙する魔獣たち。
それが一段落する頃。全体の八割程度を物言わぬ骸に変えられ,連合は遂に撤退を始めた。
「…」
複雑な思いでそれを見守る。和平の道が断たれたのは間違いないと言っても差し支えない現状。これが帝国の目指した道だったのか。
だが逆に言えば,このタイミングなのはルマールの最大限の配慮だったのかもしれない。レヤーネンの暴走が無ければ,作戦が機能して勝利を収めていれば,魔獣の投入も無かったのかもしれない。
「将軍,傍観者をしている暇はないぞ」
そこへルマールがやってくる。
「…ルマール…」
「問答は後だ。今はすぐに追撃を出せ。敵の敗残は赤軍とかちあうだろうが,それを挟撃して殲滅してしまうのだ。ガイカースに籠られては厄介だからな,この勢いで落としてしまおう」
「…分かった」
確かに,過ぎ去った時の流れを元に戻すことはできない。
「…レヤーネン!先行して赤軍と連携し,残敵を掃討しろ」
「は…はっ!」
頭が展開に全くついていけていないのだろう。あり得ないほど従順なレヤーネンはすぐさま追撃を開始する。
「さぁ我らも行こう,将軍」
「…あぁ」
だがこちらは,感情がついていけていない。割り切れない思いを抱えながら,進軍を開始した。




