第四話:“出す”という覚悟
登場人物:
永田 昭太郎【62歳】
古本屋「ブック堂 カタスミ書房」の店主。ゆるいけど、刺さる。
高槻誠司の父の知人。現在、誠司のバイト先の雇い主でもある。
見た目は普通の“町の本屋のおじさん”だが、
誠司の『もっこり大戦争』を「意外と面白かったよ」と真顔で言える希少な理解者。
「先生、“出す”か“終わる”か、どっちかにしてください」
三ツ谷の言葉が、頭の奥にずっと引っかかっている。
彼女の目は冷たくはなかった。
むしろ、まっすぐすぎて正視できなかった。
その日の夜は、妙に静かだった。
古本屋の帰り道、自販機の灯りだけが道を照らしていた。
手に持ったままの、薄い企画書の束。
その表紙には、笑顔のパンツ星人がポーズを決めていた。
『もっこり大戦争 Re:装着編』
バカか。
俺は思わず、つぶやいて苦笑した。
でも、笑ってしまった自分に少しだけショックを受けた。
もしかして、もう“本気で書く”ことから逃げてるんじゃないか?
翌朝、カタスミ書房。
湿気で重くなった空気の中、
永田さんがアイスコーヒーを片手に新聞を読んでいた。
「昨日の編集の子、帰り際に“また来ますね”って言ってたよ。
うちの本、そんなに興味あるようには見えなかったけどな〜」
「そうですね。たぶん“在庫処分”の気配を感じたんでしょう」
俺が冗談交じりに答えると、永田さんは笑いもせず、こんなことを言った。
「……君さ、“あの本”書いた時、どんな気持ちだった?」
俺は思わず手を止めた。
「どんなって……まあ、ノリですよ。
勢いで書いて、途中で『バカすぎるな』って思ったけど……
投稿サイトでウケたら、止まんなくなって」
「ふーん。でも、なんかあの編集の子が言ってたよ。“先生は、あれを本気で書いた”って」
「え、それマジで言ってたんですか……?」
「うん。あとね。わし、正直言うけど――君のその『もっこり大戦争』、まだ読んでないんだわ」
「……ああ」
「タイトルが、こう、どうも直視できんくてな。
でもね、なんでか知らんけど、店に並べるとみんな指先だけで触って、結局買わずに戻すんよ」
「……呪いの装丁みたいですね」
「うん。でも、こうも思うんだよ。
“この本、ほんとはもっと違う形で読まれるべきだったんじゃないか”って。
なんとなく、そんな気がしたんだわ」
永田さんはコーヒーを一口飲んで、静かにこう続けた。
「君さ、ネタじゃなくて、“君”を書いてみたらどうだ?」
その言葉は、店内のラジオよりも、新聞の活字よりも、
俺の心にずっと強く響いていた。
昼下がり、店番の合間に俺は、
三ツ谷から受け取った企画書のページをそっと開いた。
そこに書かれたサブタイトルたち――
『もっこり無双伝 〜多様性への挑戦〜』
『パンツ星からの警告2025』
もう、どれもネタとしてすら笑えなかった。
ペンを握った手が、少しだけ震えた。
それでも俺は書いた。
「ごめん。俺は、“もっこりの続編”は書けません。」
その文字を見つめながら、俺は少しだけホッとした。
夕方、カタスミ書房のドアがカランと鳴った。
三ツ谷が入ってきて、俺の差し出した紙を黙って読んだ。
そして――
「先生。ダサくてもいいんです。
だから、“自分の本気”を出してください」
その言葉に、モッコリウスですら口を挟まなかった。
つづく




