猿島攻防戦1(2024年編集)
~ 十一月二日、警視庁捜査一課 ~
犯行予想日の、朝を迎えた。
佐久間は、本日、犯行が行われると、確信している。不測の事態に備え、前日から泊まり込んで、捜査状況を確認しているが、今のところ、動きはない。何度か、似たような場面を経験してきたが、現場にいないのは、初めてであり、時間経過が遅く感じる。
午前中なのか、昼頃なのか、夕方なのか、それとも、深夜なのか。
(日が変わって、七時間過ぎた。残り、十七時間。事態が動くとしたら、模倣犯の事だ。一瞬で、決着をつけるだろう。それは、当然、警察組織の裏をかいた、予想外の事が起こると、考えた方が良い。そうなったら、現場での判断を信じるしかない。山さんの、指揮次第なのだが)
安藤が顔を出す。余程、顔に出ているのだろうか?心境を見透かされる。
「おはようさん。ついに、この日が来たな。今更だが、山川に任せて大丈夫かね?心配で、眠れなかったんじゃないのか?」
「おはようございます、そう言う課長こそ、お早いですね。…山さんなら、現場経験も豊富ですし、大丈夫だと信じたい。火事場に強いし、他の捜査官も大勢いて、山さん一人ではありません。現場にいる者たちを、信たいと思います」
(………)
「佐久間警部の、『育てたい』という気持ちも、分からんではないから、黙っているがね。…山川の事だ。模倣犯を目の前にすれば、簡単に逃走を許す事はないだろうが、一匹狼のところがあるからな。統率が悪ければ、包囲網を突破されるだろう。分かっちゃいるが、山川は、佐久間警部ではない。指揮系統が心配で、全然、寝られんかった。…ついつい、いつもより早く、電車に乗ってしまったよ」
(………)
「課長の憂いも、私の葛藤も、一緒です。捜査一課の、近々の課題でもあります。日下たち、若手の育成が、急務です。次世代を育てない限り、我々は、安心して隠居出来ません」
安藤の憂いは、的を射ている。それ故に、佐久間も最後まで、人選に悩んだのだ。
山川は、確かに、経験豊富な刑事だ。だが、性格は荒く、人徳に関しては、人並み以下である。不測の事態に、臨機応変に対応出来るかは微妙で、佐久間と比較すると、全ての面で見劣りする。だが、佐久間の気持ちも、理解が出来る。山川や、山川の部下を育てなければ、組織としては、成り立たない。それに、いつまでも、佐久間に頼り切りでは、捜査力が育たない。様々な状況判断は、現場でしか、培われないからだ。捜査一課の中で、多少強引でも、場を仕切って、舵取り出来るのも、筆頭が山川である。だが、万が一、山川が暴走した時、御せる者がいないのも事実である。この事は、佐久間も承知のはずだが、それを差し引いたうえでの、苦肉の賭けなのだろう。佐久間の、『現場を信じたい』の言葉に、全てが集約している。
(…組織力が薄い。佐久間警部が、もう一人、いればな。それを、誰よりも分かる故に、辛かろう。だが、後進を育てる責務は、佐久間警部が全部、背負う事はない。課長としても、同罪だ)
「鹿井とか言ったな、その者が現れる可能性はどうだ?」
「…正直、分かりません。鹿井を入れても、七名です。三名、足りません。顔写真は入手出来ましたので、鹿井が来れば、確保は出来ます。それ以外の三名ならば、状況判断が求められます」
(舞台を整える事が出来ても、警察組織が不利か。佐久間警部がいれば、安心なんだが、面が割れているし、やはり、話は、堂々巡りか)
犯行日と犯行場所は、猿島で間違いないだろう。
(山さん、偏った断定はするな。鹿井を確保しても、警戒を解くなよ。模倣犯は、必ず、猿島に姿を現す。模倣犯を確保しない限り、事件は終わりではない。目的を、見誤るなよ)
あとは、山川の統率力と、現場の組織力に賭けるしかない。黙って、吉報を待つしかない。
~ 一方その頃、猿島 ~
猿島では、警視庁の各課から招集されたメンバーが、五班編成で、船着場、廃墟、森林、トンネル、海岸沿岸部に特化して、張り込みを続けている。基本的には、各所でテントを張り、観光客に扮した捜査官が、通過する人間を、それとなく尾行し、映像を山川に送り、判断を委ねる手筈である。
山川は、各所から吸い上げた映像を、手配者か否かを判断する。また、モニター越しに、主要箇所に設置した防犯カメラ映像から、不審者がいないかを含め、島全体を監視しながら、指揮する選択を執った。
(佐久間警部なら、同じ手法を執ったはず。ここまでは、間違っていない。鹿井健一を見つけ次第、確保して、この事件は終わりだ)
それぞれの思惑を乗せて、時間がゆっくりと経過していく。
佐久間の期待とは、裏腹に、『鹿井健一を見つけ次第、確保すれば良い』と、山川は、視野が狭くなってしまっている。他の捜査官は、知る由もない。
警視庁にとって、余りにも分が悪い、事件が始まろうとしていた。
~ 時が過ぎた十四時、猿島のコテージ ~
アケミは、焦っている。
「鈴木さん。…ねっ、起きて。少し、散歩しましょう。昨日から、ずっと篭りっぱなしで、気分転換に、外の空気が吸いたいわ」
(早く起きてよ、時間無くなっちゃう)
「…やり過ぎて、疲れてるんだ。夕方でも良いじゃないか?…後で行こうよ」
(避妊具、一箱空けるんだもん、そりゃ疲れるわよ)
アケミは、ふて腐れる。
「後じゃ嫌。…だって、夕方には、次の女性が来るんでしょ?…私は、あなたと別れる前に、散歩がしたいのよ」
(美辞麗句を言うなんて、思わなかったな)
「君がそこまで言うのなら、仕方ないな。その代わり、今度もまた、逢えるかな?」
「勿論よ。私も、あなたと居たいわ。出来れば、この先もずっと。彼女にしてと言うのは、おこがましいけど、そのくらい、あなたに惹かれてしまった。風俗嬢失格だけど、惚れたのも事実なの」
(------!)
(私も良く言うわ。逢わないわよ、二度と)
鈴木は、この言葉に背中を押され、着替えを始める。
「…よし、行くか。レポートも書かなきゃな」
「本当?さすがは、愛しい人ね」
(…危ない、危ない。何とか、間に合いそうだわ)
アケミは、優しく接吻をすると、鈴木を、巧みに外に連れ出した。芝山たちから、大金を受け取り、『十一月二日の十四時に、鈴木淳一郎を、コテージから外に連れ出し、指定の場所へ誘導せよ』と、厳命を受けていたからである。厳命を果たせない場合は、報酬は没収。逆に成功すれば、五十万円の追加報酬を提示されていた。
(…確か、あそこの海岸を通って、岩場の横から断崖に上がって、真っ直ぐ進むと、光の洞窟があるから、そこに連れて行けば、良いのよね。…それにしても、何で、こんなに時間を掛けて、遠回りするのかしら?最短で行けば、楽なのに)
アケミと鈴木は、腕を組んで、海岸を歩く。アケミは、遠回りを悟られぬ様、細心の注意を払いながら、愛想を振りまいた。
「私たち、恋人に見えるかしら?でも、あなたは格好良いから、私は不釣り合いか。でも、これからも、こうして、一緒に歩けたら、幸せだな」
「……もし」
(………?)
「もし、なあに?」
「もし、本気と言うなら、風俗嬢を辞める気はあるかい?」
(------!)
アケミは、満面の笑みを浮かべ、鈴木に抱きついた。
「勿論、あります。本気で彼女にしてくれるのなら、今直ぐ、あなたの元へ、飛び込むわ」
(………)
自分を慕う美女が、側にいるだけでも、優越感を覚えるのに、こんな自分に、本気で付き合いたいと、求愛してくれている。他人の羨望の眼差しも、気分が良い。男冥利に尽きるが、今夜も、別の美女が、自分を求めるだろう。こんなに、モテた事は初めてだし、誰を最終的に選ぶのかは、正直分からない。だが、アケミは確かに美女だし、性格も申し分ない。とりあえず、今、この瞬間を、大切に噛みしめて、記憶に留めておこうと、アケミの歩調に合わせて歩いた。
「…結婚も視野に入れて考える。だから、少しだけ、時間が欲しい」
(------!)
「本当、うん、分かった。私、幾らでも待つわ」
(マジですか、ウケるんですけど)
「ありがとう。散歩も、良いもんだな」
~ 猿島、海岸沿いのテント内 ~
「山川さん、聞こえますか、どうぞ」
(------!)
「山川だ、どうぞ」
海岸に潜伏している捜査官から、山川に、無線連絡が入った。
「こちら、海岸班。現在、一組のカップルと、三組の家族連れが、海岸沿いを探索中、どうぞ」
「カップルの男は、鹿井健一か?」
「いえ、別人です」
「…了解。引き続き、監視を続けよ。警戒を怠るな」
「了解です」
(…おかしい。今のところ、該当者なしか。犯行は、夜なのか?)
山川が、苛立ちを見せ始める。日が変わってから、十四時間が経過すると言うのに、一向に事件が起きず、『犯行場所が違うのではないか』と、疑心暗鬼が芽生え始めている。
だが、佐久間の推理が外れるとは、思えない。
見えない敵と、進展が見えない状況に、胃が痛む。
(俺は、我慢が大嫌いなんだ。模倣犯よ、いい加減、早く動けってんだ)
~ 再び、猿島の海岸沿い ~
「あなたに見せたい所があるの」
「何か、知っているのか?」
「行けばわかるわ、確か、ここから上がるのよ。足元、気をつけて、ついてきて」
「分かった」
二人は、岩場の横から断崖に上がると、アケミは、前もって指示されていた道を辿った。程なくして、光の洞窟に、到着する。
海岸班の、『不審者なし』の無線を、傍受した廃墟、森林、トンネルの各班も、『不審者ではない、カップルならば、自分たちの前を通過しても、監視する必要はない』と、警戒を緩め、小休憩に入ってしまった。そんな状況下を、アケミは、知らず知らずのうちに、難なくクリアしたのである。
光の洞窟は、文字通り、神秘的な雰囲気を醸し出している。原初の自然が作り出した洞窟は、何百年もかけて降った雨水が、地表水となり、洞窟を浸食したのだろう。それによって出来た空洞に、太陽の光が差し込み、洞窟内で反射する事で、幻想的な空間を創り上げている。人の手が加わっていない、神聖な場所である事が、見た瞬間、伝わってくる。
(------!)
(------!)
「まあ、綺麗な洞窟。流石は、秘境ね!」
(------!)
鈴木は、この言葉に、驚いた。
「秘境の事を、知っているのか?」
「勿論よ。だって猿島は、秘境で有名じゃない。でも、この場所は、写真に載ってなかったな。幼馴染みの友達に、聞いた事があって、半信半疑だけど、来て良かったわ」
(------!)
「…そうか、載ってないか!」
(おいおい、散歩に来て良かったぞ。難なく、目標クリアじゃないか。これで、もう、探索しなくても良い。コテージで、女を待つ間に、レポートを仕上げて、毎晩、酒池肉林だ)
鈴木は、喜び勇んで、カメラを探すが、見当たらない。
「あれっ?確かに、ポケットに入れていたのに。どこかに、置き忘れたかな?…どこだっけ?」
これは、アケミの仕業である。
厳命された、重要事項の一つで、明け方のうちに、鈴木のポケットから、カメラを抜き取り、ダッシュボードに隠したのである。鈴木は、アケミから貰った精力増強剤の反動で、肉体を酷使し過ぎて、すっかり爆睡しており、アケミの行動を、知る由もない。
(あれだけ、腰振れば、疲れるわよ。私だって、ヘトヘトだわ)
「それなら、私が取りに行ってあげる。あなたは、お疲れの人だから、身体を労って。洞窟からなら、確か、裏道があったから、十五分もあれば、行って来られると思う。戻ってくるまで、暇だったら、ゆっくりと、探索してみて。この先、もっと綺麗なところが、見つかるかもよ」
この言葉も、用意していた答えである。
何と腰が軽く、気が利く女なのだろうと、鈴木の中で、アケミの株は、益々上昇する。
もし、鈴木が、普段通りであれば、ミステリー作家である。アケミの言葉に、違和感を覚えるだろう。来るときは、散々迂回し、時間を要したのに、裏道を使えば、直ぐに戻れるという点だ。無論、アケミも、馬鹿ではない。仮に鈴木から、この違和感について問われても、『私は、確かと、言ったわ。たまたま、今、思い出したの』と、追求をかわす算段をしていたのだから、結局のところ、鈴木に勝ち目はない。
「…すまないね。じゃあ、お言葉に甘えるよ。気をつけてね」
「うん、行ってくる。ちょっとだけ、待っていてね、ダーリン♪」
(本当に、良い女だな。今夜、違う味を堪能したら、明日の夜、また指名してやろう)
アケミは、直ぐに、その場を後にする。鈴木の身に、『これから、何かが起きる』と、感じざるを得なかったからだ。
洞窟を後にし、戻る道中で、人の気配に気がついた。十中八九、雇用主だろう。
(………)
(…ごめんなさい)
アケミは、神妙な面持ちで、コテージに向かう。その一方で、鈴木は、本来の目的を思い出し、光の洞窟の奥を、探索していた。アケミのさり気ない、『写真に、載ってなかったな』の一言が、やる気を起こさせたのだ。
明るいLED式の、懐中電灯を持参したお陰で、奥の方までよく見える。
(……良く見ると、本当に、凄い所だな)
進むにつれ、肌に伝わる神聖さが、増すのを感じる。ライトの光が、海碧色に光った鍾乳石を照らすと、どこまでも続く、神秘的な空間が、鈴木を魅了する。何故、この情報が、世に出ていないのかが、不思議で仕方が無い。
(世に出ていないのには、何か、理由があるに違いない。旧日本兵の自決場所だったか、国が、何かを隠蔽する情報操作をしたのかも、しれない)
(………)
(………)
(放映権も大事だが、迂闊に、この場所の情報を、世に出して良いのだろうか?まずは、由来を調べてみて、ヤバくないかを見極めた方が良い気がするし、執筆中の、推理小説に役立つかもしれない)
(………)
(……ん?奥のあれは、何だ?…今、小石みたいなのが、当たったような?)
鈴木は、懐中電灯を持ち替えると、鍾乳洞の隙間に、顔を入れて、覗き込んだ。
(------!)
「…なっ、うぐううう!!」
覗き込んだ先で、得体の知らない力が、鈴木の首に加わり、身体は、『ビクン、ビクン』と、一瞬だけ反応するものの、程なくして、人形のようにダランとした。
(良い機会だったよ。まずは、一人目完了。…次は、本日の豪華料理、熊谷雄一郎だ。この様子じゃ、楽勝だな」
厳重な捜査網が敷かれる中で、大胆に、犯行が行われた瞬間だった。
静かに、かつ、確実に、殺人計画が遂行されていく。
~ 十分後、猿島、山川が待機するテント内 ~
相変わらず、時間だけが、無駄に過ぎていく。
(あーあ、こりゃ、夜まで出番がないな。煙草、もう一箱買ってくるんだった)
山川は、欠伸をしながら、監視カメラ映像を眺めていると、一人で歩く女性姿に、眉をひそめた。
島内の様子が、手に取るように把握出来るが、これまで、女性が一人で歩く報告は、受けていない。
(………)
(この女、どこかで?)
(………)
(…思い出した。確か、三十分くらい前に、海岸沿いを、歩いていたカップルだ。…何で、森林を歩いている?一緒の男はどうした?痴話喧嘩でもしたのか?)
不審に思った山川は、直ちに、トンネル班と森林班に無線を入れる。
「トンネル班、聞こえるか?応答しろ!」
「こちら、トンネル班。どうしました?、どうぞ」
「海岸班が、三十分くらい前に、報告していたカップルなんだが、女だけが、今、森林内を歩いている。念の為、トンネルと、付近の洞窟を探索してくれ。男を見つけ次第、状況報告を。痴話喧嘩だと思うが、不安な種は、払拭しておこう」
「トンネル班、了解。直ちに、確認作業を行う」
「森林班、応答しろ!」
「…森林班、聞こえていますよ、どうぞ」
「今の女を、追跡しろ。現在、コテージ方向に移動中。見失うな、どうぞ」
(偉そうに、命令しやがって)
「…森林班、了解。直ちに、追跡を開始する」
五分が経過した。
これまでの空気を、払拭する無線連絡が、島の全捜査官たちに伝わる。
「洞窟内で、絞殺された男性一名を発見。カップルの男性と思われます。至急、女の身柄確保を!」
(------!)
(------!)
(------!)
「何だって!おい、森林班。聞こえるか?至急、女を拘束しろ。模倣犯だ!!」
(------!)
(------!)
(------!)
「こちら森林班、了解した。直ちに、確保に移る」
山川は、犠牲者情報に翻弄され、女の身柄確保に、全力を挙げた。
これこそが、模倣犯の真の狙いだったと、後の捜査で判明するのだが、佐久間が、この場にいれば、一人目の犠牲者が出ても、『事件は、まだ終わらない、これは、模倣犯の誘導作戦だ』と、二人目を予想し、監視カメラ映像から、目を離さなかっただろう。
だが、山川は、女が模倣犯であると、安易に断定してしまった。女の挙動だけに目を奪われ、視野が狭くなったのか、あすなろ物産の芝山と竹中の情報、安曇野警察署での出来事など、一切の記憶が、飛んでしまったのである。
佐久間の、山川に対する期待は、儚く消え、総力を挙げて臨んだ、猿島における攻防で、『警視庁の完敗』が、確定した瞬間であった。




