すれ違う二人(2024年編集)
~ 十月六日、富山県立山 ~
(……まずいな)
あすなろ物産の芝山は、残りの秘境を、念入りに下見している。富山県の立山は、上高地と、どちらを『死地』に見立てるか、迷った経緯があるからだ。
次に予定している、犯行場所の猿島が、上高地同様、警視庁に先手を打たれた場合、参加者からの問い合わせが殺到し、後手に回ってしまう。もし、そうなった場合の代替え地として、捨てがたいのだ。正直、上高地で、広告看板を見た時は、度肝を抜かれた。シンプルで、誰もが、注目する、厄介な代物であり、見た瞬間、『これを見た参加者を、どうやって、言いくるめれば良いのか』、頭を抱えた。
北原や佐野と同じ列車に乗った芝山は、同じタイミングで、広告看板に気が付いた。見た瞬間、考えるよりも早く、携帯電話の電源を切り、問い合わせの回答時間を稼いだが、答えを出すまでに、かなりの時間を要してしまう。頓挫した計画を軌道修正するまでに、実に、八時間掛かってしまい、秘境の中で殺害するのを、諦めざるを得なくなった。
(やはり、佐久間は侮れない。目の前の光景は、マグレではない。上高地と立山の地を、作品から予測している。一体どこまで、先を読んでいる?私の予見を、悠々と超えてきているじゃないか。今回も、力及ばないのか?)
芝山の心が折れるのも、無理はない。
先日の捜査会議で、佐久間は的を絞り、猿島へ誘導する為に、立山、足尾銅山、木更津などの怪しい箇所は、徹底的に、広告看板を増加させた。佐久間の仕掛けは半端なく、どの観光客も不審がるくらいに、あすなろ物産の秘境ツアーが、危険である事を吹聴している。
この看板が、残りの参加者たちの目に触れれば、その場で、事件が終わってしまう。先遣している竹中から、次々と『この場所も、計画には使えなくなった』と、報告が入る。
(ぐぬぬ、至るところで、広告看板が視界に飛び込んでくる。これでは、犯行に支障をきたすではないか。かといって、秘境でもない所など、今更変更出来ないし、練り上げた計画も、頓挫する。…猿島の様子を、見てからにするか。この場所も名残惜しいが、諦めるしかない。…この段階で、流れを押し戻されるとは、正直、佐久間を舐めていた。何で、過小評価してしまったんだ)
練り上げた、犯行日の期限が迫っている。
(一ヶ月切っている。こうなった以上、計画自体を、一度諦めるか)
~ 十月八日、猿島中心部 ~
ダメ元で、神奈川県横須賀港から、猿島に渡った芝山は、島の様子に、安堵の溜息をついた。警察官の姿は無く、看板もない。観光客は、自由に、キャンプを楽しんでいる。
(……良かった。この場所は、警視庁が介入していない。初めて、佐久間を出し抜けたぞ。『春風のフルート』に出てくる猿島は、二小節目だから、『もう捜査対象ではない』と、候補から外したのだろうが、それが、お前の甘さだよ。これで、手筈通り進めても、問題ないだろう。猿島の内部は、ほぼ把握出来たし、何かあっても、地理的にも、逃げやすい)
気を良くした芝山は、竹中に電話を入れると、『猿島での決行』を指示する。
「お疲れ様です」
「私だ、猿島は問題ない。当初のまま決行するぞ」
「了解です。次の参加者には、もう連絡済みですか?」
「今から、入れる。お前も、直ぐに行動を開始してくれ。時間がないぞ」
「あっしは、大丈夫です。では、潜ります」
(良し、まずは、第一段階オッケーだ。お次はと……)
芝山は、予定参加者の、鈴木淳一郎と熊谷雄一郎に、連絡を入れる。
「プルルルルル」
「はい、鈴木です。どなたですか?」
「あすなろ物産の芝山です。長らくお待たせして、申し訳ありません。ツアー日程が決まりましたので、ご案内いたします」
「はあ、そうなんですか?」
(ん、何だ?ノリが悪いな)
様子がおかしいと思いつつ、引き下がる訳にもいかない。まずは、マニュアル通りに、誘い文句を掛ける。
「鈴木さまは、十一月一日に、猿島に現地入りを、お願いいたします。ミステリー作家の鈴木さまに、相応しいコテージをご用意いたしますので、存分に、猿島の魅力を挙げてください」
(………)
「…それなんですがね、辞退しても良いですか?説明会の直後なら、やる気あったんですけれど、期間が空いたら、面倒臭くって」
(はあ、今更、何を言ってんの、こいつは)
「いやいや、億万長者になれるんですよ。千載一遇のチャンスです」
(………)
「うーん、億万長者は、確かに魅力的だけれど、生涯年収で考えると、三億円以上は稼げるんですよね。だって、自分は作家だし。一山当てれば、印税入ってくるし。何か、気分が乗れないんですよ」
(------!)
「なっ、何を仰いますか?猿島は、『正に、鈴木さまの為に存在する、秘境スポット』です。これは、他の方には、絶対言わないで欲しいのですが、当社は、鈴木さまに、一番期待をしているんです。選考だって、優遇する事が決まっているのです。ミステリー作家が見る世界、普通の者では、辿り着けない境地。それを、世に訴える事が出来る、唯一無二の存在。それが、鈴木淳一郎さん、あなたです!」
「はあ、そうなんですか?…でも、どうせ、大した記事、書けないですよ。期待は嬉しいのですが」
(何て、否定的な奴なんだ。…ああああ、今直ぐ、殺したい)
「謙遜しなくても、宜しいですよ。現地入りすれば、その才覚が発揮されるでしょう。私は、信じて疑いませんよ。…そうだ!他の方には内緒で、私の誠意をお見せするのは、如何でしょう?」
(誠意?)
「何か、期待しちゃいますが、誠意って?」
「鈴木さまが、連泊される間、日替わりで、娼婦をお連れします。好みがあれば、伺っておくし、毎日、指名して頂いても結構です。昼間は、何かと、頭を使うでしょうから、夜伽の相手として、心のケアをして頂ければ、幸いでございます」
(------!)
「本当ですか!」
「ええ、せめてもの誠意でございます。…ですが、これは特別な事なので、絶対に、他言無用でお願いしますよ。…鈴木さまへの期待度を、ご理解頂けますか?」
受話器越しに、鈴木の高揚が見える。
「ええ、感じますよ。…そこまで、買われちゃ男が廃る。粉骨砕身、取り組みましょう。猿島の魅力を、ミステリー作家目線で、引き出してやりますよ。……その、今の約束は、頼みますよ。因みに、好みは、二十代後半から三十代半ばで、スレンダーで、感度が良い娘です」
(注文が多いな。まあ、そこら辺に転がっているだろう)
「重々、承知しました。では、当日、よろしくお願いいたします」
鈴木を上手く誘導出来たが、疲労感が残る。
(初日だけは、楽しませてやるか、最後の夜だしな。次は…熊谷か。……こいつは、確か、評論家のくせに、テレビ以外では、無口で、辛気臭い奴だったな)
「プルルルルル」
「はい、熊谷ですが」
「熊谷評論家、ご無沙汰しております。私です、あすなろ物産の芝山です」
(………)
「…何だ、芝山か?日取り、決まったのか?」
「はい。現地入りの日程は、十一月一日になります。思う存分、秘境を堪能され、魅力をお伝えくださいませ」
「ふん、俺は、辛口の評論家だ。秘境といっても、魅力がない場合には、辛口コメントしか書かんぞ。芝山は、俺が書いたレポートを、鼻で笑わないよな?」
「勿論です。あすなろ物産は、熊谷さまの、忖度しない、大胆な切り口に、心底陶酔しています。熊谷さまなら、独特の表現で、猿島の隠れた魅力を、十二分に引き出して頂けると、確信しております」
「…分かった、十一月一日だな?どこに、泊まるんだ」
「熊谷さまには、静かな民宿を、ご用意しております」
「民宿だって?…嫌だぞ、そんな貧乏臭い所。もっと、こう、洒落たホテルとか、コテージとかあるだろう?変更しろよ。俺の知名度を、知らない訳あるまい?」
(これだから、評論家ってのは、面倒臭いんだ)
「…仰る事は、ご尤もです。ですが、これには理由があります」
「理由?何だ?」
「ご用意した宿ですが、そこの女将は、美人で、しかも未亡人です。滞在時には、熊谷さま以外、誰も宿泊しない様、手筈を整えております」
(ごくん)
熊谷は、生唾を飲んだ。
「…それって、つまり?」
「熊谷さま、……確か、昨年に離婚されましたよね?」
「…ああ、よく調べたな」
「これは、千載一遇のチャンスですよ。再婚したらどうだとか、野暮は言いません。私の方から、大金を女将に掴ませ、熊谷さまが、如何に優秀で、多彩な才能の持ち主であるか、よーく、言い聞かせておきます。滞在中は、何をされても、結構ですよ。全ては、お望みのままに……」
(マジか!)
「ふっ、芝山、中々、話が分かる男じゃないか。評価してやる。予定通り伺うよ。…あすなろ物産の未来は、前途洋々だな」
「ありがとうございます。では、当日、よろしくお願いいたします」
(これで、熊谷も落ちた。さてと、後の事は、竹中に段取りさせよう。嬉しい悲鳴で、助かった)
~ 猿島、船発着場 ~
「警部、これで良かったんですかね」
潮風に飛ばされそうになる帽子を、両手で押さえながら、山川は、観光客に目をやった。
船着き場を降りると、四百メートル程の桟橋が、オーシャンズキッチンまで続く。海水浴場は、泳ぐ者はいないが、各々が、バーベキューを楽しんでいる。
(あーあー、平和だねえ。これから、戦場となる事も知らずに、ご苦労なこった)
当初は、船から、桟橋に降りた正面、桟橋の途中、オーシャンズキッチン、海水浴場、レンタルショップの至る所に、設置するはずだった。だが、作戦の為、急遽中止を掛けたのである。
「まだ、模倣犯が、この場所を選ぶとは、確定していません。もし、他の場所なら、警察組織は、大きく後手に回ります」
佐久間は、満面の笑みを浮かべ、山川の心配を払拭する。
「大丈夫だよ、山さん。猿島には、注意喚起の看板がない。模倣犯は、必ず、下見に来ている。『もうこの場所は、捜査対象から外れたから、安心だ』と、参加者を呼び込む算段をしているはずだ」
「では、計画通りに行動すると、お考えですか?」
「十一月二日犯行となると、天候も計算して、十一月一日には、呼び込む算段だろう。警察組織は、十月三十日から、怪しまれない様に、現地入りする。テントを張って、キャンプしている客に扮して張り込もう。地図では、小さな島だと、高を括っていたが、実際、訪れてみて分かった。思ったよりも、広そうだ。港エリア、砂浜エリア、森林エリア。島全体を囲う様に、分散して待機しようじゃないか。山さんは、班編制を頼むよ」
「承知しました。適材適所を考えます」
「うん、今日のところは、まだ時間がある。島の外周をグルッと回ってみよう。それと、猿島要塞と呼ばれる箇所、展望台広場、猿島砲台跡も見ておこうじゃないか」
「そうですな、秘境といっても、どこを指すのか、検討がつきません。事件関係者の気持ちになって、どこを探索するのか、警察組織も把握しておきますか」
「最終便は、何時だったかな?」
「十七時です。これを逃すと、帰れません」
(今、十四時三十七分だから、まだ余裕があるな)
佐久間たちは、猿島を右回りに、探索する事にした。レンタルショップ前の階段を上がり、発電所の方へ、歩いていく。左手には、多目的ホールがあるが、今日は、然程、人の気配は無い。佐久間は、ちらりと中を確認し、前を向いて歩き出す。
~ 十秒後、多目的ホール脇 ~
(ふう、奥まで行ったから、結構、時間を食ったな。フェリーの時間は……。危ない、危ない。一時間に一本か。急げば、あのフェリーで帰れるな。十四時四十五分発か)
佐久間たちが、多目的ホールの右脇を通過するタイミングで、芝山が、左脇から戻ってきた。
皮肉な事に、同じ日、同じ猿島、同じ多目的ホール付近で、芝山と佐久間は、十秒違いですれ違う。二人は、一便違いで現地入りし、一便違いで島を後にする。
神の悪戯であろうか。
『時』は、まだ、この二人を、対峙させない。




