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第6奏パート2: 疾風≪かぜ≫の先に見た光(10話)

俺は、あの日の衝動を、今でも昨日のことのように覚えている。


あれはまだ、アブラゼミがけたたましく鳴く頃だった。


そう――。


7月30日、だったと思う。


この日の俺も、いつもと同じように、何かが胸の奥に突っかかっているような感覚を覚えていた。


それは、うまく言葉にできない。


そう、雲を掴むような感覚。


目の前にあるのは分かるのに、手を伸ばしても触れられない。


輪郭は見えているのに、実体だけがどこにもない。


だから俺は、そんなふうにむしゃくしゃした時は決まって、愛車で走ることにしていた。


何処へ行くかって?


別に、行く当ても予定もない。


ただ、疾風≪かぜ≫を感じていた。


疾風≪かぜ≫を感じている時だけは、余計なことを考えずに済むから。


愛車に跨り、コイツの重量を身体で感じ取ると、何故だか少しだけ落ち着く。


重厚なボディに、メタリックなカラー。


太陽の日差しをいっぱいに吸い込んで輝くその姿は、先日の洗車とワックスのお陰だろう。


額から流れる汗を手の甲で拭いながら、俺はそんなことを思った。


ハンドルを握り、マフラーをふかす。


それはまるで、クラブミュージックにも似た重低音だった。


車体を通して、腹の底まで響いてくる。


この排気音と振動感は、一度味わったら忘れられない。


愛車の調子の良さに満足した俺は、左胸にしまった煙草とライターに手をかけた。


さっき買ったばかりの煙草のフィルムを剥がし、箱の口を切る。


それから、リズミカルに箱の底を叩いて一本取り出した。


口に咥えて、右手に持ったライターで火をつける。


あとは思いきり、この苦い味を肺の奥に溜め込むだけ。


吐き出した紫煙は、最初こそ大きな輪を描いていた。


けれど、それもすぐに輪郭を失い、品川の空へと馴染んでいく。


何も考えずに、空に浮かぶ雲を見ていた。


その時だった。


ズボンにしまったスマホが、小さく揺れた。


ポケットからスマホを取り出すと、何件か通知が入っていることに気づく。


“オヤジ”や仲間からの連絡。


それに、ネットニュース。


何となくタップしてスクロールしてみると、そこには、最近ハマっているソシャゲについての記事が特集されていた。


先日プレリリースされた最新版について。


連日連夜、GS秋葉原店やGS新宿店には長蛇の列ができているらしい。


特に、XR搭載の体験型というワードに、俺の心は少しだけ躍った。


詳しく読み進めると、今日が第1回目の大型討伐イベントだとも書かれていた。


そこで俺は、ようやく思い出した。


参加するのを忘れていたこと。


それと同時に、結城とアリサから参加要請が来ていたことを。


「あぁぁ〜、ヤベ!! 結城はともかく、アリサへの言い訳が面倒くせ〜」


そうひとりごちた瞬間、案の定、アリサから鬼電が来た。


手のひらでけたたましく鳴るスマホの画面を見ながら、面倒くさいから“フルシカト”という言葉が一瞬、頭を過った。


けれど、その後にメンヘラ化するアリサの対応を考えると、ここで電話を取るのが一番無難だ。


そう思って、俺は諦めにも似たため息をついた。


画面をスライドして電話に出る。


すると――。


「翼ちゃん!! 今何処!? 今日何の日か忘れたの!?」


スピーカー越しに、捲し立てるようなけたたましい声が響き渡った。


「ワリーワリー、忘れてた♪ 今まだ品川だから……俺は無理かな♪」


俺は、いつものお調子者のふりをして、軽く流した。


さすがに俺には甘いアリサでも、この返答にはブチギレたらしい。


スピーカー越しに、アリサの癇癪と、スマホが床に叩きつけられたような音が響いてきた。


相変わらずヒスってるな。


そんなことを思っていると、今度は結城が電話に出た。


「翼……今日、マジで来れないの?」


「なんかね〜、雲見てたら全部が面倒くさくなってさぁ〜♪ そっちに智則いる? アイツもハマってやってるんだから、声かけたら?」


気怠そうに言う俺に呆れたのか、今度は結城のため息が漏れて聞こえてきた。


「そんなことだと思って、声はかけてあるぞ。それに……今日、何の日か忘れたのか?」


結城の声が、そこで少しだけ低くなった。


「……アリサのやつ、朝から楽しみにしてたぞ」


その言葉で、俺は思い出した。


7月30日。


アリサの、16歳の誕生日だった。


俺が気づいたことを察したのか、結城はまたため息をついた。


「……お前って、そういうところあるよな」


「いや、マジで忘れてたわ」


「知ってる。だから言ってんだよ」


結城は、呆れたように笑った。


「とりあえず、アリサのことは俺と智則で何とかするから、現地に来い。さすがに今日すっぽかしたら、アリサに刺されるぞ♪」


最後は笑いながら、電話を切られた。


“アリサに刺されるぞ”は、仲間内で流行っているネタだった。


以前、アリサが強引なナンパを受けた時。


俺たちが助けに入るより先に、あいつは鞄に隠し持っていたナイフでナンパ男を刺した。


それ以来、アリサを怒らせると刺されるぞ、とみんなで笑っていた。


けれど――。


自分が対象になると、さすがに笑えない。


「アイツ……他人事だと思って笑いやがって」


そう思ったが、全ては忘れていた俺が悪い。


アリサに刺されるのはマジで勘弁だ。


観念した俺は、口に咥えていた煙草を携帯灰皿に押しつけ、火を消した。


それから携帯灰皿をポケットにしまい、愛車のエンジンをもう一度ふかす。


その後、俺は山手通りを抜け、渋谷方面から新宿へ向かった。


品川からなら、GS秋葉原店の方が近い。


最初はそっちからログインしようと思った。


けれど、さっき見たネットニュースの内容を思い出してやめた。


GS新宿店なら、ワンチャン、結城たちの護衛メンバーに合流できるかもしれない。


そう思ったからだ。


正直、あの頃の俺は、新宿に来るのが好きじゃなかった。


新宿には、歌舞伎町を拠点とする未満シティーがある。


そして、俺たち“品川青龍会”は一応、“トランプ”とも和平協定中だった。


だから余計なトラブルは避けたい。


表向きは、そういうことになっている。


けれど実際は、どこの街にも境界線がある。


踏み越えたら面倒になる線。


笑って誤魔化せる線。


金で済む線。


そして、血を流さないと戻れなくなる線。


俺たちは、そういう線の上をいつも歩いていた。


そんなことを考えているうちに、新宿駅の東口に着いた。


GS新宿店にいる他の仲間に連絡すると、施設の駐車場は満車だと言われた。


さらに、秋葉原と同じように、こっちも混みすぎて入れないらしい。


ただし、駅前なら超大型XRモニターで討伐戦が中継されるとも聞いた。


アリサに刺される覚悟を決めて、俺はそこから観ることにした。


幸い、近くにバイクを停められるパーキングがあった。


愛車を停め、近くの自販機で好きな炭酸飲料を見つけたので、ついでに買っておく。


超大型XRモニターから映し出される映像に、俺は衝撃を受けた。


それと同時に、少しだけ後悔した。


画面越しなのに、迫力がある。


臨場感がある。


まるでスポーツ観戦のように、周りで一緒に観ている人間たちの熱気まで伝わってくる。


気づけば、新宿駅前には俺と同じように立ち止まり、モニターを見上げる観客が増えていた。


その時だった。


俺の運命の出逢いは。


XRモニターの中では、大量の小鬼達が草原全土を埋め尽くすほどの群れとなって押し寄せていた。


俺は、それがゲームだと分かっていた。


けれど、それでも“終わったな”と思った。


喧嘩をするから分かる。


多勢に無勢にも程がある。


いくらマーウィンに慣れてきたと言っていたアリサや結城、智則でも、あの数を相手に勝てるとは思えなかった。


きっと負ける。


そして悔しがりながら泣いて帰ってくるアリサを、どう宥めるか。


ついでに、どうすれば刺されずに済むか。


そんなことを考えていた時だった。


XRモニターには、最前線に立つチームがピックアップされていた。


あれは……弓兵と魔術師……クラス?


そんなことを思いながら、俺は右手に持った炭酸飲料を口へ運ぶ。


夏の暑さに呼応するように、甘味と刺激が口の中から喉の奥へと滑り落ちていく。


それらを一気に飲み干し、空き缶を片手で潰した。


その時だった。


俺と同じようにXRモニターを見ていた観衆の、ざわめく声が耳に入ってきた。


ふと、モニターを見上げる。


そこに映っていた光景に――。


俺は、息を呑んだ。


XRモニターに映し出される2人。


いや、違う。


モニターからまるで抜け出してきたように、2人の姿が新宿駅前の空間そのものを占拠していた。


「まるで、巨人の襲来みたいだな……」


観衆の誰かが、そんなことを呟いた。


次の瞬間だった。


彼らの周りを、光の泡沫が包み込んだ。


それに呼応するように、XRモニター以外の電気照明が点滅し始める。


地鳴りのような音も聞こえた。


新宿の街中が、一瞬、地震かと騒ぎ始める。


でも、それは違った。


XRモニターに映し出される2人へと、周りの光が集まっていたからだ。


ドクンッ!!


自分の胸の鼓動が、内側から爆ぜるのを感じた。


俺は、自分でも分からなかった。


胸の奥が高鳴っている。


今にも沸騰してしまいそうな何かが、身体の内側から込み上げてくる。


右手で押さえた心臓の鼓動が、最高潮に高まった瞬間。


それは、起きた。


いや――。


2人の声が、聞こえた。


「ノゾミ!!」


「うん♪ 行くよ、湊!!」


そのあと、2人の声が重なり、こう聞こえた。


「「無限の流星群≪プレテュス・アステーローン≫――!!」」


弓兵の少年が放った金色の矢は、一度、夜空へと消えた。


そう思った瞬間、巨大な魔法陣が空に展開される。


そこから、流星のごとき光が大地へ降り注いだ。


轟音。


閃光。


爆風。


戦場全体が、金色の光に覆い尽くされていく。


その後だった。


XRモニターの照明が落ちるのと同時に、新宿の街から光が消えた。


周りでは、停電を疑う声が飛び交う。


新宿駅前は一瞬、パニックになった。


けれどすぐに、新宿区の管理AIから、予備電源が作動し、まもなく復旧するというアナウンスが流れる。


その言葉通り、ものの数分で新宿駅前は光を取り戻した。


幸い、大きな事故も怪我もなかった。


それは後になって、誰かから聞いた話だ。


でも、その時の俺には、そんなことはどうでもよかった。


俺は、初めて他人に対して感動したことに驚いていた。


XRモニターに映された2人が、俺には美しくも、カッコよく見えた。


金色に輝く、目には見えない絆のようなもの。


確かに、2人


の間にはそれがあった。


俺たちの世界にはないものだった。


怒鳴り声。


煙草の煙。


拳同士のぶつかり合い。


刺すだの、刺されるだのと笑い合う、湿った夜の空気。


そんなものばかりの場所で生きてきた俺には、あの2人がひどく眩しく見えた。


眩しくて。


綺麗で。


腹が立つほど、遠かった。


何より――。


あの2人を見ていた時、俺は何かを掴めそうな気がした。


あと少しで。


普段から胸の奥に突っかかっていたものの正体を、掴めそうな気がした。


だから俺は、決めた。


あの2人が欲しい、と。

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