第十二話 婚約破棄
ティナから逃げ出したアンジェは王立魔法学園主催の定期パーティーに参加していた。
結局のところ、アンジェに逃げ場なんてなかった。公爵令嬢として、第一王子の婚約者として、そして聖女として。立場による鎖はアンジェの『個』の自由を許さない。好きにする、なんて想像すらできなかった。
仮面をかぶり、パーティーの参加者と最低限の挨拶を交わす。向こうもアンジェというよりは公爵令嬢や聖女といったものとの繋がりのために言葉を交わしているだけであって、そうでなければ『魔物のような』異形とは話しなくもないのだろう。笑顔で塗り潰したその奥、猛烈な忌避の感情は隠しても隠し切れないほど溢れている。
いつものことだった。
そういうものだと割り切っていた。
だけど、今はいつもの忌避が、悪意が、どうしようもない悪感情が、アンジェの精神を蝕んでいく。『当然』のことだと受け流すことができていた余裕が、今はもうなかったから。
(…………、)
ひそひそと、隠そうとも隠し切れない悪意の囁きがパーティー会場に響く。
『聞きましたか、ティナさんのお話は』『もちろんですわ。平民ながらに優秀な方だとは思っていましたけど、まさか浄化魔法まで扱いになられるとは』『しかも現在の、ええ、あくまで現在の聖女でも祓えなかった瘴気をいとも簡単に浄化せしめたのだとか』『本当素晴らしいことですわ。真っ当な人間が邪悪なる瘴気を打ち破る、それこそ世界のあるべき姿なのですから』
ティナは悪くない。アンジェのためを思って、そう、彼女が叫んでいた通り助けにきてくれただけだ。
ティナは悪くない。あのまま瘴気が浄化できなければ大量発生した魔物によって多くの命が失われていた。
ティナは悪くない。全てはアンジェの力のなさに起因する。瘴気を浄化できなかったのも、この身が異形と化したのも、そういうものだと忌避されているのも、全部アンジェのせいなのだ。
わかっている。
わかっている。
わかっている。
全てはアンジェが悪い。これはその末路でしかない。
(ティナさん……)
ああ、だけど。
もしも、いつか必ず裏切られるのだと、どうせ忌避されるに決まっているからとティナを拒絶せずに、大好きだと叫ぶ彼女の手を取っていれば、今もなおティナはそばにいてくれたのだろうか?
悪意が満ちたこの世界で、それでもアンジェの味方でいてくれたのだろうか?
『個』がもたらす想い、今もなお胸の内で燻る気持ちを受け入れてくれたのだろうか?
そういうものだと一人で勝手に諦めずに、きちんとティナを信じてあげれば──アンジェはひとりぼっちにならずに済んだのかもしれない。
ティナから逃げ出したアンジェがそんなことを考えるのはそれこそ今更なのだろうが。
と、その時だ。
ガツガツと荒々しい足音と共に彼はアンジェの目の前にやってきたのだ。
「久しいな、アンジェよ」
「殿下……」
第一王子。
アンジェの婚約者でありながらティナと懇意にしているという噂のある男は今にも唾を吐きそうな顔でアンジェを見据えていた。
……アンジェが異形と化したからは公的な場でさえもほとんど話しかけてこないのだが、今日は第一王子のほうからわざわざ声をかけてきたのだ。
普段のアンジェであれば警戒していただろうが、自己生産の悪感情をはじめとして内外からこうも悪意をぶつけられたことで精神的に不安定になっている影響が出ていた。ゆえに第一王子の言葉を止めるようなことができなかったのだ。
「今日は貴女に話があるのだよ。こうして祝いの手が揃ったこの場でこそな!!」
そして。
そして。
そして。
ゴッパァァァンッッッ!!!! と。
パーティー会場の扉を文字通り粉砕し、ティナが転がり込んできたのだ。
ーーー☆ーーー
王都まで戻ったティナはひとまず学園に顔を出して、アンジェの行方を探ることにした。学園の関係者ではないギルドマスターについてはアンジェの居場所を探るよう頼んで王都の一角に置いて、だ。
王立魔法学園に戻ったティナは以前貴族の令息から決闘の末に助けた食堂の給仕の女からアンジェは定期パーティーに参加していることを聞いた。
だからパーティーに乱入した。
一応学園の生徒であり、参加資格があるとはいえ魔物との戦闘で数日間昏睡状態に陥ったくらいには血みどろとなった痕がこびりついた格好で王族さえも参加するパーティーに途中参加するというのは難しいものがあったのだが──アンジェのことしか考えていないティナがそんな常識で止まるわけもなし。停止を促す者たちを振り払ってパーティー会場へと突っ込んでいったのだ。
「ティナ、さん……」
百人を超えるパーティー参加者のほとんどをティナは見ていなかった。ただ一人、呆然と呟くアンジェのみを捉えていた。
肩口より噴き出すように生える無数の触手? ひんやりと冷たく、独特の肌触りがするそれはまさしく至高と断言できる。
瘴気を連想させる不吉な黒き瞳や髪? 目が離せないほど綺麗な瞳や艶のある髪はどんな女性のそれも霞む身体的特徴の一つではないか。
肌を覆う漆黒の鱗? キラキラと輝くそれはどう見てもアンジェを彩るジュエリーに他ならないだろう。
もちろん誰彼構わず『そう』であれば見惚れるわけではない。異形と化す前のアンジェにだってティナは見惚れていたのだから。
アンジェ=トゥーリアだから、なのだ。
アンジェ=トゥーリアであれば異形だろうがそうでなかろうがティナは美しいと、大好きだって叫ぶに決まっている。
だから、ティナは真っ直ぐに進む。
アンジェを傷つけてしまったのならばいくらだって謝る。許してくれるなら何だってする。
だから、ティナは純粋に突き進む。
そこに不純物は一切必要ない。アンジェが大好き。その想いのままに拳を握るだけだ。
だから、ティナはブレない。
アンジェに拒絶されようが、逃げられたって、手を伸ばすことをやめやしない。
『あの時』。
無謀にも魔物や瘴気に立ち向かって死にかけていたティナをアンジェが助けてくれた『あの時』から身体も精神も魂だって魅了されてしまったのだから仕方がない。
とにかく今はアンジェを縛る呪縛を打ち破ろう、とティナは拳に力を込める。優先すべきはアンジェの身の安全。どう考えても不穏な呪縛を打ち破る力があるなら何においても優先して振るうべきだ。
「聖──」
「くっくっ、はーっはっはっはあ!! やはりティナは面白いっ。本当に面白い女なことで! それでこそ俺が惚れた女だ!!」
だから。
その言葉は、その男は、どこまでも邪魔だった。
「皆々様っ。本来であれば先に醜き女を追い払い、然るべき場を整えてから正式に招き入れる予定だったんだけど、見ての通り我が花嫁は型に収まらない魅力に満ち溢れている!! ゆえにこうして派手に登場してくれたのだよ!!」
「は?」
第一王子が無駄に派手に両手を動かしながらティナへと歩み寄ってくる。思わず拳を振るいそうになったが、流石に湧き上がる猛烈な感情のままに拳を振るえば殺してしまうと我慢したのは間違いだったのか。
言葉は続く。
「皆様も知っての通り、ティナは王国南部に発生した瘴気を浄化魔法によって祓ってみせた! そう、異形なりし女よりも優秀だと示してくれたのだよ!!」
だからこそ、と。
第一王子は告げる。
「ティナこそ俺の婚約者にふさわしいのは自明だ! ゆえにこの場でアンジェ=トゥーリアとの婚約を破棄し、真なる聖女にふさわしいティナを俺の婚約者にすることを宣言する!!」
ゴギリッッッ!!!! と。
握りしめた拳が悲鳴を上げるほどだというのに、第一王子は気づかない。
──師匠たるエルザから忠告は受けていた。彼女の娘が『事故死』した上に彼女自身も没落するに至った一連の流れに第一王子が関わっている『疑惑』がある。そのような危険人物とは関わりを持たないようするべきだと。もしも関わりを持ってしまったならば下手に刺激しないよう多少の我儘をぶつけられても我慢すべきなのだと。
だけど。
これは。
「ティナよ。これまで俺と何度も逢瀬を重ね、十分に愛は育んできただろう。だから、さあ、ティナよ。今こそ俺の手を取り、生涯を俺のそばに立つことを了承してはくれないか?」
愛の告白のつもり、なのだろう。
そのためにアンジェとの婚約を破棄したことも異形という汚点を取り除いて身綺麗にしたくらいにしか考えていないのだろう。
多少の我儘。
下手に刺激しては『疑惑』にあるような横暴がティナの身に降り注ぐかもしれない。
だから。
だから。
だから。
ゴッドン!!!! と。
魔物さえも軽々と蹴散らすティナの拳が第一王子の顔面に突き刺さった。
悲鳴も何もあったものではなかった。
血を噴き出しながら吹き飛んだ第一王子は勢いよく壁に叩きつけられ、泡を吐き出しながら力なく崩れ落ちたのだから。
「我慢の限界ですよ、クソ野郎」
うるさい奴を黙らせたことだし、早くアンジェを蝕む呪縛を打ち破ろうと魔法を発動しようとしたティナは気づく。
無数の触手の腕がアンジェの耳や目を覆うように巻きついていた。そう、まるで、ティナが第一王子を殴ったことがわからないように、だ。
ーーー☆ーーー
【名前】
アンジェ=トゥーリア
【性別】
女
【種族】
人間
【年齢】
十五歳
【称号】
女神より祝福されし聖女
【所有魔法】
浄化魔法(レベル99)
炎属性魔法(レベル99)
水属性魔法(レベル99)
土属性魔法(レベル99)
風属性魔法(レベル99)
雷属性魔法(レベル99)
身体強化魔法(レベル99)
転移魔法(レベル99)
収納魔法(レベル99)
重力魔法(レベル99)
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※全所有魔法を表示するには能力知覚魔法(レベル11)以上を使用してください。
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
※レベルは99が上限です。
【状態】
呪縛・心(レベル69)
呪縛・体(レベル100)
呪縛・浄(レベル69)
憑依・魔(レベル分類不可)
※詳細を表示するには能力知覚魔法(レベル20)以上を使用してください。
エラー発生。上限を超える情報が表示されています。再度能力知覚魔法を使用することを推奨します。




