第四話 フレームアウトの亡霊 その6
メジロから、次の日曜日に会いませんかというメールが来たが、骨皮はそれを断った。心霊スポット特集の仕事も、風邪という、見え透いた嘘をついて休んだ。黒猫のマタタビは、近頃めっきり姿を現さない。
その間何をしていたかというと、一人で街へ出て、幽霊を探し続けていた。しかし、踏切にも、高いビルの屋上にも、駅のホームにも、幽霊は見当たらなかった。そこにいるのは、生きている者たちだけだった。
墓石に赤外線カメラを向けても、火葬場のトンネルの煙を連写しても、同じことだった。
*
茫然自失の骨皮がその足で向かったのは、都内に建つ、巨大な黄金寺であった。ここほど潤っている寺は、都内近郊では、ちょっと他には見当たらない。
金ピカに輝く黄金の門をくぐると、狛犬の代わりに、対になった金の狸が出迎える。彼らの金タマは小銭ではちきれそうに膨らんでいる。狸のしたり顔はここの住職そっくりだ。
ベタベタと金箔のそこらじゅうに張られた本堂の中を覗くと、金の袈裟に身を包んだ住職が、老人相手に講釈を垂れているところであった。そっと耳を傾けると(傾ける必要もないくらい大声なのだが)、なにやらインチキくさいことをさもありなんという口調で言っている。
「あなたのご先祖さまは、あなたの息子さんを信用するなとおっしゃっております」
「ほほう!」
「あなたの息子はあなたの遺産をギャンブルと酒とおっぱいパブで食いつぶすであろうし、そうなると全ての物事に対する感謝も忘れて、あなたのお墓にもめっぽう顔を出さなくなる。それを防ぐ方法として、息子に渡す遺産は極力減らし、その分をあなたの菩提寺に納めるべきである」
「ご先祖はそう言うてはるのか」
「そうです、確かにそうおっしゃられました。わしには聞こえますのです、あなたのご先祖の霊がそう叫んでいらっしゃるのが」
「ははァ!これは、えらいこっちゃ!いますぐ帰って、遺産分配に関する遺言を書きなおさねばならん!」
骨皮は柳の木に寄りかかって深いため息を吐いた。どうやらここのご住職は相変わらずのようである。
「ヤァそこにいるのは骨皮くんでないかね!めずらしいねどうしたんだ!」
老人を見送りに出てきたご住職が、影に溶け込んだ骨皮を目ざとく見つけて駆け寄ってきた。
まさに古狸。ワックスを塗りたくられた頭はご来光のごとくビカビカと輝き、頬は金の飴玉でも舐めているのではないかと思うほどにぶくぶくと膨れ上がっている。一見穏やかそうに見える目つきには、これは注意深く観察せねばならないが、善き人の心を騙すことをなんとも思わぬ強欲な悪魔がちらりと顔を覗かせる。
「茶をのみにきたのです」
「茶だと!君が、茶!まさか!」住職は、「は、は、は、」と天に向かって口を開けて豪快に笑った。
その笑いだけで札束の雨でも降らせそうな勢いである。しかし何がそんなにおかしいのやら、骨皮にはさっぱりわからない。しかし彼は昔からそうなのである。骨皮が何かをするたび彼独自のツボに入ってしまってたまらないらしい。そう、この住職、名をタヌキチといい、骨皮の小学校からの「お友達」なのである。
「ところで君、まだ、生きているのか?それともとっくに、死んでいるのか?」今度はそう言って、ベタベタと体に触れ出した。骨皮は避けようと思うのだが、タヌキチの太い手ががっちり彼の痩せた腕を掴んで離さない。
「おやァ?」タヌキチは意地悪い目で骨皮を見つめた。「どうやらまだ生きながらえているらしい!とっとと冥土に向かえば楽になるものを。趣味の悪い男だなァ!」
住職はひいひい笑いの尾を曳きながら骨皮をお堂の方へと連れて行った。骨皮はやはりくるのではなかったと後悔したが、時すでに遅しであった。
*
お堂の中は白檀の線香の心地よい香りが漂っていた。お堂の中央では、天井ギリギリに収まった巨大な大日如来像が座禅を組んでこちらをじっと見据えている。
「ところで、骨皮君。わしの降霊術を見たかね」
「ハァ、みました」
「進化したろう」
「はあ、ある意味では」
「またまたァ!」そう言って住職は茶をなみなみと注いだ。口にするとそれはツンとする日本酒の匂いがした。
「それで君はどうなんだね、相変わらず、幽霊ばかり見ながら暮らしておるのかね」
「それなんですがね、君。」骨皮はふと、無数の視線を感じて顔を上げた。周囲をたくさんの仏像が囲んでおり、静かにこちらを見据えている。骨皮はじわりと汗がにじむのを感じた。
「おかしなことが起きたものでして。」
「ほほう?」タヌキチは木魚に臭い足を乗せながら興味深そうに旧友を見据えた。
「これなんですがね」骨皮はポケットから、ぐしゃぐしゃの写真を取り出して、タヌキチの臭い足の傍に置いた。タヌキチはそれには触れずに、大きな目玉で一枚一枚を見据えて、「君が撮ったのかね?」と尋ねた。
「そうなんです」
「幽霊どもが写っていないようだが」
「そう、そうなんです」
「ほほう!」住職は写真を取り上げてじっと見つめた。「君も人間になったということかね?」
「そうだといいんですが」
「君の願いが叶ったというわけだ」住職は丸々太った腹を撫でた。「まともなカメラマンにはなれそうかね?」
「いやそれが、そうでもないのです」
「ほほう!」タヌキチはくしゃみを一つした。その拍子にお尻からふわふわのしっぽが飛び出したが、それには気づいていないようだった。
「タヌキチさん、あなたは今までの人生で」骨皮はお茶を一気に飲み干した。
「うまく化けられなくなった時はありましたか」
「ないなァ」タヌキチはふん、と力んで、大きなしっぽを引っ込ませた。「わしは天才だから」
「しかし、挫折もあったでしょう」
「うーん、あったかなァ」
「例えば何か、誰かを好きになったりして、自分の中の時計が、狂ってしまうようなことは」
「うーんそうだなあ。嫁に一目惚れした時には、もっと化け術に、磨きがかかったっけなあ」
「…さようですか」
「ほほう骨皮君?」タヌキチの目つきがさっと変わった。骨皮は慌てて目をそらした。
「なんだなんだ、そういう話かね?」タヌキチは木魚を開けて、中から缶ビールを取り出すと、骨皮の湯のみにグイグイ注いだ。「なんだね、君、そういうことかね。ふうむ。君がねえ。ところで相手は生きているのかね?死んでいるのかね?」
骨皮はこんな卑しい狸に大事な相談をしようと一瞬でも思ってしまった自分を恥じた。そして、やおらに立ち上がると、暇を告げて、飛び出した。後ろから、「婚礼の儀ならうちでやりたまえよ!」という声が追いかけてきた。「相手が生きている女ならね!」
*
骨皮がメジロをテレビで見かけたのは、その翌日のことだった。
それはあるコンタクトレンズのコマーシャルで、メジロは「あんたがゴロゴロするんですっ」と、コンタクトレンズ役のイケメン俳優に向かって文句を言う役柄で、その堂々たる写り具合をみていると、あのバッキーと比べられて罵られていた頃と比べて、ずいぶんな大出世のように思われた。
骨皮はメジロが、あのいけ好かないプロデューサーのプロポーズを受け入れたのだと思った。だが骨皮は、メジロに直接尋ねる勇気が出なかった。あの日以来、骨皮は、メジロの連絡を完全に無視していたから、余計だった。
*
骨皮がメジロを呼び出したのは、その次の日曜日のことだった。日中でも蒸し暑く、1日半袖で過ごしても、平気な気候になり始めていた。
二人が待ち合わせをしたのは、あの赤レンガ倉庫の喫茶店であった。その店は人でごった返していて、いつまでたっても入れなかった。予約をする余裕もなかった骨皮は、長く伸びた列の真ん中で、後から来るはずのメジロの姿を必死に探していた。
メジロは約束の10分後にようやく姿を表した。列は全然動く気配がなく、骨皮は相変わらず先頭から10番目ぐらいの位置で亡霊のように青い顔で立ち尽くしていた。そんな彼を見て、メジロはぎこちなく店を変えよう、といった。
「でも、あなたはまだ」骨皮は乾いた唇を力なく動かして言った、「この店の、一番食べたいパンケーキを食べていませんよね」
「ええ、だけど、そんなことは別にどうでも」
「大丈夫、ほら、あと五分…10分も待てば、座れますから。店も広いですし」
「だけど、私、あんまり時間がなくて」メジロはすまなさそうにそう言った。「今、撮影の休憩中で、30
分したら、また戻らないと」
「ああ、そうですか」骨皮はミイラのように落ちくぼんだ瞳をメジロに向けた。
「わかりました、それならここで、済ませてしまいましょう」
そう言って骨皮は、ポケットから封筒を取り出して、メジロの手に握らせた。
「開けてみてください」
メジロは戸惑いながら、封を開いて中を見た。それは、10枚ほどの、街中の風景を切り取った、インスタント写真だった。
メジロはその一枚一枚を、ゆっくりめくって確かめて行った。それを見るメジロの瞳が震えるのを、骨皮は満足げに見つめていた。
「これは、あなたが撮ったの」
「そうです」
「幽霊が写ってる」
「そうです」
「これを、どうするの」
「石川さんに見せて、お金にしてくださいませんか」
メジロは目を見開いて骨皮を見つめた。
「そのお金で、二人で一緒にまた、どこかへ」骨皮は昨日から何度も練習していたセリフを言いかけた。しかし、それは覆いかぶさってきたメジロの声に、あっけなくかき消された。
「私がだまされると思った?」
「は」
「こんな安い合成写真で?」
骨皮はメジロの憤った視線に言い淀んだ。
「ご、合成では」
「ひどい合成。本物と全然違う。誰が見たってわかるよ。撮る本人はわかってないみたいだけど」
骨皮は噴き出す汗の粒をぬぐった。あまりにもあっけないバレ方であった。メジロは写真を力任せに、骨皮の胸に投げつけた。
「どういうつもり?」
「その…なんといいますか、その、ですね」
「霊感が消えたなら、素直にそういえばいいじゃないの」
「…」
「ずっと無視されてて、久しぶりに連絡きたと思ったら、これ?」
「すみません」
骨皮は地面に散らばった写真を拾い上げた。真夜中、自分の部屋で合成ソフトを弄っていた時は、素晴らしい出来に思えたのに、今こうして日の当たる場所で見ると、確かにどれもがひどい出来だった。
「確かに、これはひどい…」骨皮は笑いに変えようとして呟いた。「ねえ、メジロさん…確かにこれは」
しかし顔を上げた時、メジロはもういなかった。
「あの、お客様」呆然と立ち尽くす骨皮に、店員が声をかける。「一名様でよろしいですか?」
骨皮はゆっくりと振り向いた。そうして、「私は本当に一名様でしょうか」とぼんやり尋ねた。
「はい?」
「私、一名様でしょうか。あるいは、私の後ろに、なんか、いませんか。それはもしかしたら、生きてはいないかもしれません。いるはずなんです。私は一人ではないはずなんです」
店員は化け物でも見るような目で骨皮を見つめた。そうして、長年の接客経験から、目の前の危ない客を、この場にいないものとして扱うことを決めたようだ。店員は骨皮を無視し、次の客の誘導を始めた。骨皮はしばらく隅っこに呆然と佇んでいた。そんな彼に目を向けるものは、もう誰一人としていなかった。




