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第四話 フレームアウトの亡霊 その4


 写真の中にしか写りこまない幽霊と話をしてほしいというのは、前代未聞の頼みごとである。


 そこで骨皮はビデオカメラを使ってみることにした。ビデオを回し、メジロを収め、そこに動くアダムが現れれば、モニター越しに会話ができるのではないかと考えたのだ。


 第一回目のチャレンジは、山下公園で行われた。そこはメジロがアダムに連れてきてもらった、最初で最後の場所だった。


 ずらりと並んだベンチは、若いカップルで埋め尽くされている。骨皮は彼らを見ないように、事務的に、カメラの準備をする。


 ベンチに座ったメジロにレンズを向ける。


「あのうすみませんもう少し左へ…」


 骨皮は肉眼で見るメジロが、先日よりもずいぶん濃い目に化粧を施していることに気づいて、はっとする。慌ててモニターに視線を戻し、平衡を調整する。

 

 モニターを凝視するが、今の所、アダムジャッキーの姿はない。モニター内のメジロが、楽しそうに口を開く。


「あの、質問してもいいですか?」


「はあどうぞ」


「今まで幽霊を成仏させたこと、あるんです?」


「はあ、まあ、ざっと百人位」


「すごいやっぱりそうなんだ。すごいなあ!」


 メジロはサンダルを脱いで、つま先をくるくる回し始めた。


「私、そんな人初めて見ました。上手な写真を撮る人はたくさん知ってるけど、幽霊を写すだなんて。すごいですね。まさに才能だな」


「はあ」


 骨皮は、録画ボタンを押してみる。しかし、アダムらしきものの姿は、どこにもない。カメラが映し出すのは、喋り続けるメジロと、青い空、平穏な緑、幸福そうな後ろの家族連れだけだ。


「もしかして、ハリウッドスターに、こんな安いカメラを向けようとすること自体、失礼千万なんではないでしょうか」


「そんなことないです。だって、この前のはアイフォンで撮ったやつだし」


「そうですけど。映像となると違うのかもしれません。」骨皮は考え込んだ。「フィルムカメラは持ってい

ませんが、知り合いの機材屋に頼めば、もしかしたら…」


 骨皮はそこで、メジロが眩しそうに目を細めているのに気がついた。いくら無名とはいえ一応はモデルなのだ。骨皮は立ち位置を移動し、メジロに降り注ぐ太陽を、遮るようにして斜めに立った。しかし、メジロはそれでもまだ、眩しそうに目を細めて、骨皮を見つめ続けているのだった。


「あの、まだ、眩しいんですか」


「え?」


「いや、眩しそうにしてるものですから」


 メジロはそこで、大きく目を見開いた。少しだけ青みがかった瞳が、骨皮に向けられた。「いいえ。ほら、私、眩しくありません」


 その時だったー


 骨皮が、メジロの大きな瞳の中に、往年のアダムジャッキーの姿を見たのは。


 骨皮はカメラをなぎ倒して、メジロの瞳を覗き込んだ。ビックリしたメジロの頬をガッと掴んで、瞳の中を必死に探す。しかし、アダムの姿は跡形もなく消えてしまっていた。


「あ、あの」


 メジロの声に、骨皮は慌てて後ずさった。そうして、非礼を詫びた。メジロはただ頬を染めて、何にも言わなかった。


 それから二人は夕方まで待ったが、結局アダムは現れなかった。


                      *


 二回目のチャレンジは、その次の日曜日に、骨皮の家で行われた。というのは、メジロが是非そうしたいと言ってきかなかったのと、骨皮のぼろアパート周りは霊力が強いので、幽霊をおびき寄せやすいという理由からだった。


 骨皮は女を招き入れたことなどなかったので、これ以上ないほどに緊張し、動揺し、混乱していた。メジロをちゃぶ台の前に座らせて、湿った座布団を敷いてやり、近所の不二家で買ってきたケーキを出して、出がらしのお茶を淹れた。テレビは壊れていてつかなかった。


 しばし沈黙が流れた。開けはなしの窓の向こうから、この世のものではない悲鳴が聞こえてくる。しかしメジロには聞こえていないであろうから、実質沈黙が流れているのであって、だとしたら、自分は何か気の利いた話題を振らねばならないわけであるからしてー


「あの、目黒川さん」 

 

 するとメジロは、口の端についた生クリームをさっと拭いながら、か細い声で、「…メジロでいいです」と言った。

 

 骨皮は何で今日はそんなにしおらしいのだろう、そう思いながら、訳も分からず、メジロを下の名前で呼んだ。気のせいか、化粧も今までで一番濃いという気がする。


「猫はお好きですか」


「うん好きです」


「猫がいるんですよ、猫がね」


 そう言いながら、骨皮は窓の外へ身を乗り出して、干したパンツを暖簾のようにしてくぐりながら、「くるぶしさん」と叫んだ。


 しかし、黒猫のくるぶしはこういう日に限って見当たらなかった。いつもは呼んだら、誰にも撫でてもらえない頭を撫でられに飛んでくるのに。


「くるぶしっていうのは、全身が黒いのに、足の先だけ白くて、くるぶしソックスを履いているみたいだから、そういう名前なんです」骨皮は聞かれてもいないのに早口で説明した。「そうなんですね」


「くるぶしは、私が生まれる前から、このアパートに住んでいて…」


「生まれる前から」


「はあ、そうなんです、生まれる前から」


「…」


「…」


 骨皮はやってしまったと思った。しかしなんといって謝れば良いのか、もしくはごまかせば良いのか、骨皮にはわからなかった。 


 骨皮は無言でレンタルしたフィルムカメラを用意し始めた。


「あの、カメラさん」


「はあ」


「休日なのに、すいません」


「いいえ暇ですから。」


「ちゃんとお金は払います。ツケ払いはききますか」


「いいえ、これは、奉仕ということで、いいんです。人助けというか、幽霊助けというか」

 メジロは俯いて黙り込んだ。彼女なりに、葛藤しているようだった。

 

「カメラさん」メジロは意を決したように切り出した。


「私を貧乏と思って、哀れんでるの」


「いえ、そういうわけでは」


「私のこと、バカにしてるんですか。売れない、中途半端で、バカなモデルだって」


「いえ、そんなつもりは」


「じゃあ、どうして、この前、見て見ぬ振りをしたの」


「この前って」


「横浜のスタジオで、私がひどい扱いを受けているの、こっそり見てたでしょ」


 骨皮はレンズを拭く手を止めた。磨き上げたレンズには、自分のくたびれた顔が映り込んでいる。


「…すみません」


「ほら。謝るってことは、バカにしてるんだ」


「いいえ、私は別に」


「ひどい。みんな、バカにして。」


 メジロはそう言って、拗ねた子供のように、部屋の隅にうずくまった。骨皮に、「そうではない」と言ってもらえるのを、メジロは期待しているのだった。


 しかし骨皮には、メジロの思いは伝わらなかった。それどころか、メジロの甘え切ったその態度に、怒りさえわいてきた。


「あなたの方こそ」骨皮は呟いた。


「え?」


「あなたの方こそ、私をバカにしているでしょう。」


「どうしてそうなるの」


「気弱そうで、盗撮くらいしかすることのない、哀れな独身男性だって、そう思ったから、お金をせびりに来たんですね、あの時」


 メジロは思いがけない反撃に、目を大きく見開いた。そうして、彼女もまた、慰めるどころか拗ね始めたこの男に対して、怒りがわき上がってきたのだった。


「そうですよ?」メジロは先ほどの態度を一変させて、ちゃぶ台にどんと足を投げ出した。骨皮は目を大きく見開いた。


「パンツが見えています」


「見せてるの」


「やめてください」


「そう、あの時のことだけど」メジロは無視して、話を続けた。「カメラさんの言う通り、私、あなたのこと、いいカモだと思った」


「ええ、そうでしょうね」


「だけど、今はそうじゃない。全然見る目が変わったの」


 メジロの言葉に、骨皮ははっと顔を上げたが、パンツが見えたので、慌てて視線を畳の上に落とした。


「今は、だけど、尊敬してる」メジロは頬をほんのり赤くした。「才能ある人だと思ってる。そうして、私にとって、才能のある人というのは、自分の才能をひけらかしたり、自慢したりしない人のことを言うの。」


 骨皮は吹き出してくる汗をぬぐった。


「ですからこれは、才能ではありません」


「父さんも同じだった。父さんは、自分のことを、シリアスな役に向いてると思ってた。だけど実際は全然違う。何をやっても面白くなっちゃうんだもの。だけどそれって、不思議なことに、受けを狙おうとして演技すると、失敗するの。父さんは悩んでいたな。私には、どうしてそんなことで悩むのか、わからなかった。だって才能があるくせに悩むなんて、贅沢の極みというものじゃない。だから今でもわかんないの。だって私にはおよそ才能というものがないから」


 骨皮は何にも言えなくなった。


「…だから、つまり、言いたいのは、お金をとって、とそういうことだけ」


「しかし、うまくいくかもわかりませんし」


「それなら、うまくいったら、お金をとってくれる?」


「わかりました、うまくいったらー」


 メジロはそれから黙り込んだ。骨皮もなんとなく黙り込んだ。骨皮は最後まで、メジロと猫一匹分の距離を保ち続けた。結局その日も、アダムジャッキーは現れなかった。骨皮は現れなかったアダムに、こっそり感謝している自分に気がついた。


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