第四話 フレームアウトの亡霊 その3
それから一時間後、メジロと骨皮は横浜赤レンガ倉庫の一階にある、大きなカフェのオープンテラスの特等席に、向かい合って座っていた。
日はとっぷりと暮れていた。遠く沖合の方で、船の揺れる光が幻想的に輝いている。
決して安いとは言えない店だったが、骨皮はメジロに、なんでも好きなものを注文していい、と言った。それはもちろんメジロへの同情心からくるものであったが、そんなことに気づかないメジロは、大きなメニューごしに、骨皮を文字通り、頭のてっぺんからつま先まで見つめて、偉そうに言った。
「あの、私が今、一番食べたいのは、このトリュフ入りのパンケーキなんですけど」
骨皮は値段を見てびっくりした。
「はあ、でも、そっちよりこっちの方が、美味しそうではありませんか」
骨皮は慌てて、パンケーキの下にある、地味なケーキを指差した。
「じゃあ、それにしておきます。私、一般庶民から、お金をむしり取る趣味はないから。」
そう言ってメジロは、店員に、ケーキとコーヒー、それからサラダのセットを注文した。骨皮は頭の中で財布とそっと交信しあって、コーヒーだけにしておいた。
「はあ、疲れました。私、今日は1日、カメラの前に立ってたので」
「そうですか。」
「バッキーと仕事だったんですよ。知ってます、バッキー?テレビ見なくても、さすがにバッキーは知ってますよね?」
「はあ、知ってます」
「バッキーと仕事するのはこれで二回目なんです」
「はあ…」
「バッキー、かわいいですよね。男の人って、みんなバッキーが好きでしょ。」
「はあ」
「だけど、私はバッキーとは違う路線だから。あんまりライバル意識とかはないんです」
「はあ」
「ねえ、ロマンチックですね、このお店。」
「はあ」
「私の父がね、ロマンチックじゃない男とは、食事をするなって、昔よく言ってました。カメラマンさんは、合格ですね。」
「はあ」
メジロはわざとらしい仕草で、両手で頬杖をつくと、にっこり笑った。
骨皮はしかしメジロの笑顔には気づかなかった。なぜなら、彼は今、しきりにあたりを落ち着きなく、見回していたからだった。しかしどこにも、アダムジャッキーの幽霊の姿は、見当たらなかった。
「誰か探してるんですか?」
「え、あ、いや、なんでも。」
「ふうん。」メジロは面白くなさそうに、頬杖をやめた。「そうだ、写真、早くみせてください」
骨皮は無言で、バッグから、裏返した写真と、一万円の入った封筒を取り出して、テーブルの上に置いた。メジロは手馴れた上品な仕草で一万円を確かめ、それから写真をひっくり返した。
骨皮は、メジロの顔色がみるみるうちに青ざめてゆくのを、目の当たりにした。
「ふうん」メジロの声はしかし、かすれたり、震えたりはしていなかった。さすがに、表舞台に出たがりの人間だけのことはある、と骨皮は思った。「確かに、うまく撮れてる」
「そうでしょう」
「素晴らしい合成技術ですね。やることの趣味は、限りなく悪いと思いますけど」
「合成ではありません」
「私の父は確かにあのアダムジャッキーです。私は彼が日本に来た時に残した、置き土産代わりの愛人の娘。そのことを知る人は少ないです。あなたがどうしてそれを嗅ぎつけたかは知りませんが、こんなやり方は最低」
「私はありのままの写真をお渡ししただけです」
「あなたの言いたいことはよくわかります。あれほどの高名な俳優の血を引く娘が、こんな無名のまま地下でくすぶっているなんて、ダサいって、そう言いたいんでしょ。だけどそれは違う。私は自分のやり方で近いうちにのし上がるつもりだし、父よりもずっと有名になるつもりだから。父よりももっと多くの作品に出るつもりだし、そうなった時に、逆に父の名前は邪魔になると思ったんです。でもあなたのような人は本当に許せない、吐き気がしそう。このネタを、週刊誌にでもばらまくつもりです?アダムジャッキーの私生児の娘は、日本の無名モデルだってネタを?そうやって、金を揺する?ああ、早くここを逃げ出したい。」
そう言いながらも、メジロは椅子から立ち上がろうとはしなかった。骨皮の視線に気づくと、「もちろん、ケーキを食べてから」と言い訳がましくつぶやいた。
「あの、目黒川さん。あなたは大きな勘違いをされています。私は何も合成したわけではありませんし、ネタを売るとか、そんなことは」
「ケーキを食べ終えるまでは、私、口をききません」
「目黒川さん、では、これを見てください」
骨皮はそう言って、スマホのカメラでメジロの写真をバシャリと撮ると、メジロに向かって突き出した。
メジロはその写真を横目でチラリと見てから一旦目をそらし、それからもう一度、その写真をまじまじと見た。そこには不機嫌なメジロと、そのメジロに寄りかかってピースサインを決める、アダムジャッキーの幽霊が写っていた。
「ああやっぱり、あなたにくっついているんですね」骨皮はため息をついた。「だけど、私の前には出てきてくれない。つまりあなたと同じで、ただの出たがりってことなんだなあ」
ひとりごちる骨皮を、メジロは目を細めて見つめた。新種の生き物でも見るような眼差しだった。
「カメラマンさん」メジロは運ばれてきたケーキには目もくれずに尋ねた。「あなたは何者なんですか」
「心霊カメラマンです」骨皮は悲しげに返事をした。
海からのそよ風が、二人の髪の毛を慰めるように揺らした。
*
「前にも、似たようなことがあって。父の死んだ後、彼氏と二人で撮った写真に」ケーキのカスをフォークの先でちびちびとつまみながら、メジロはいった。
「こんなにはっきりとではないですけど。もっと薄く、もやっぽく、映り込んだことがあって。で、そのせいでか知らないけど、気味悪がられて、ふられちゃって。はあ、このケーキ、めっちゃ美味しい。」
「はあ」
「今までは、お金なくても、その彼氏に食べさせてもらってきたんですけど。」
「ああ」
「やっぱり、父だったんですね。そうじゃないかなとは思ってましたけど。はあ。やっぱいるんですね。また写りこまれたら困るな。私モデルなのに。ああ、このケーキ、カスまで美味しい。」
「それは困りますね」
「お祓いとか、行った方がいいのかな。」
「それはいけません」骨皮は身を乗り出した。テーブルのカップが、ガチャンと鳴った。
「どうして?」
「ダメです。絶対。あなたのお父さんですよ。悪霊みたいに扱ってはいけません」
「だけど、私にとっては、悪霊以外の何物でもないです」
「ダメです。ダメです」
骨皮はメジロのグラスの水を一気に飲み干してしまってから、続けた。
「それよりも、あなたのお父さんが、何かあなたに対して思い残したことがあるはずです。それを解消してあげることが一番です」
「そうすれば、成仏してくれるんです?」
「してくれるだなんて!」骨皮は唇に指を当てた。「言葉に気をつけないと。全部聞かれていますよ」
「ふふふ」メジロは身を揺らして笑い始めた。
「あはは、カメラマンさんおかしいの」
「私は真面目に言ってるんです」
「わかってますよ」メジロは笑い涙をぬぐった。「思い残したことねえ。うーん、ありすぎて逆にわかりません」
骨皮は深いため息をついた。そして、深入りしそうになっている自分に気がついて、はっとした。まずい。これではいつもと同じでないか。私はこんなことに関わっている暇はないのだ。これ以上頭を突っ込んだところで、アダムジャッキーに会える確率は低いのだし、私が好きなのはフィルムの中に「生きている」アダムジャッキーであって、亡霊のアダムではない。
骨皮はやおらに立ち上がると、伝票をひっつかんで会計に向かった。メジロはまだ一人で笑い続けている。骨皮はバカ高い会計を終えると、一人で店を出た。
後ろから、ヒールの音が追いかけてくる。横断歩道の前で、メジロがグイッと骨皮の痩せた肩を掴んで、振り向かせた。甘いオレンジの香水の匂いがした。骨皮は、メジロが自分と会う前に、化粧を直し、香水をふりかけたのだと気がついて、一瞬、どきりとした。
「ねえカメラマンさん。」メジロはまだ笑いを残した顔で、骨皮を覗き込んだ。「あなた、なんとかできませんか」
「なんとかとは」
「だから、心霊カメラマンなんでしょう。幽霊と直接話せたりするんでしょう」
「それは時と場合と幽霊によります」
「そんなら、私のお父さんと話してみて。それで、どうしてほしいか、聞いてくれません。」
「ですがー」
「ねえ、お願いします。お願い。こんなこと他に頼める人いませんから。」
骨皮はメジロのまっすぐの眼差しから目をそらした。そうして、ああ、まただ。また、巻き込まれてしまったのだ、とすっかり諦めてまぶたを閉じた。
しかし、すべては最初から決まっていることなのだと、今回ばかりはそういうように思った。すべては抗えない運命である。そうだ、男女の出会いがそういうものであるように。生者と死者の出会いもまた、運命なのだと。それは、メジロの華やかな良い香りが、くたびれた骨皮に、そう思わせるだけのことであった。




