第十話 情けない男
夫婦と入れ替わりのようにして、アイシャが入ってきた。
「身体は大丈夫?」
そう言った彼女の声は震えている。
その目を見れば、相当心配してくれたのが分かるほど、真っ赤に充血している。
「はい、おかげさまで」
「良かった。あの時の柊さんはぼろぼろで、本当に生きた心地がしなかったんだから」
「心配かけてごめん」
そう言えば、彼女に対しては、いつも絶体絶命の状態を見せている。
初めて出会った時もそうだし、ワイバーンとの戦闘の時も魔力切れで倒れていたし、始祖竜の時なんかは生きているのが不思議な状態だったし、今日だってそうだ。
ヴィゼッタさんの話を聞いている分だけ余計に、なんだか申し訳なってくる。
「ああ、気にしないでください。私も気にしていませんから。というか、悪いのは、ヴィゼッタさんですから。いくら、柊さんの力を見たいからって、あそこまでやることはなかったもの。一応、最後の最後でワイバーンを捕獲する魔法を準備はしていたみたいだから、命の危険性はなかったけど、それでも生きた心地がしなかったよ」
「……負けたら、見捨てた、というわけではなかったんだ」
「さすがに、そこまでひどい人じゃないよ」
「そりゃそうだ」
もし、僕の想像通りのひどい人間だったら、彼女が慕うわけがない。
「そう言えば、柊さん、あの人に、私の昔のこと聞いたんだよね」
一瞬誰のことか分からなかったが、すぐにぴんと来た。
彼女の声の固さと過去で繋がり、僕と彼女の共通の知人なんて言うと限られてくる。
おそらく、アレックス隊長のことだろう。
ただ、いきなりの話題転換、しかも驚くような急所突きだ。
「……アレックス隊長とのことなら、ちゃんと聞いたわけじゃないけど、複雑な過去を持っていることをにおわせるようなことは聞きました」
この場面で誤魔化すことは出来ない。
どうして、それを知っているのかなんて分からない。
あの時、あそこにいたのは、僕と殿下とアレックス隊長だけで、それ以外には誰もいない。
アレックス隊長を敵視している彼女が彼と通じている可能性もないし、会うことができないと言っていた殿下とも会えない以上、話の出所なんて全く分からない。
だけど、彼女は確信を持って言っている以上逃げられるとは思えない。
「そう。それでも、やっぱり私に会いに来てくれたのは、ヴィゼッタさんが言っていたけど、自分の命に執着していないからなの?」
更に痛いところをついてくれる。
出来れば誤魔化したり、話を別の方向へと持っていきたいけれど、彼女の眼を見ると、そんなことができるとは思えない。
真剣な目で僕を見ている以上、ごまかしがきくとは思えない。
「執着していないわけじゃないんだ。ただ、諦めているだけで」
言いたくはないけど、本当のことを言うしかない。
「いつだって、痛いのだって嫌だし、死ぬのは嫌だ。出来るなら、気楽に生きるほうがいいとは思っている」
別に僕は被虐趣味のある変態でもなければ、自殺志願者というわけではもない。
「でも、それと同時に生きることを諦めていたんだ」
ただ、全てを諦めているだけのことなのだ。
「今まで、ずっといつも一人だったし、これからも一人なんだろうと思っていた。なら別に最終的に死んでも、後悔はするだろうけど、納得は出来るし、諦めもつくと思っていた。だって、生き残らなくちゃいけない理由がないから。僕が死ぬことで、悲しむ人はいない。何が何でもやらないといけないやり残したことなんて言うものもないから、未練もない」
何かを求めるから、未練が残る。
でも、もう、僕に求めるものは何もない。
初めて、自分の力を知った時、僕はそれに戸惑いながらも、誇らしかった。
他の誰とも違う自分だけの力、自分だけが持つことが許された特別な力、そう思ったらひどく嬉しかった。
だけど、それも少しずつ成長していくごとに変わっていって、やがてそれを疎ましく思い、否定するようになった。
特別だからと言って幸せなわけじゃないし、むしろ不幸なことの方が多いことを知ってしまい、時には自分を否定されるようなことまで言われた。
笑われて、避けられて、僕はどんどん居場所がなくなった。
だったら、もうそれでいいと思った。
何もいらない、何も求めない、それでいいと思った。
「ご両親はどうなの?」
「悲しんでくれるとは思うよ。でも、家族のことは、ちょっと、ね」
「何かあるの?」
濁した言葉を無視して、彼女は僕の心に踏み込む。
それは、彼女の境遇からくるものなのかもしれない。
殿下が言っていた家族を失った境遇を持つ彼女だからこそ、気になるのかもしれない。
「一度だけ話したことがあるんだ、力のことを。だけど、笑って否定されたよ。まともにとりあってくれることはなかった」
今でも覚えている。
自分の特殊性に違和感を覚えて、それが辛くて苦しくて、誰かに助けて欲しくて、それで子供のときに相談した。
でも、それに答えてくれることはなかった。
「だから、貴方がいなくなって、悲しませてもいいと思ったの?」
「無理に悲しませるつもりもないし、別に嫌いって言うわけじゃないし、普通に笑って過ごせることも出来ると思う」
別に嫌っているわけではないし、家族仲は良好ではある。
若くして死んでしまえば、悲しませてしまうだろうし、怒られるもするだろう。
親より先に死んで、なんという親不孝者だ、と。
「だけど、両親にとって僕は普通の息子なんだよね。剣を持って魔法を使って戦うような息子じゃない。そんな僕は受け入れられない」
ゲームのしすぎ、漫画の読みすぎ、なんて言われたものだ。
だから、こちらに来るときは本当のことは言っていない。
「だから、両親に受け入れられようと思ったら、いろんな自分をごまかして、家族のために自分自身のすべてを否定して、存在しないことにしないといけない。でも、それってすごく苦しいんだ。本当の僕のことの存在さえ許してくれないわけだからさ」
別に悪い人じゃない。
非常に常識的な人だ。
むしろ、常識的だからこそ、この非常識な僕という存在を認められない。
僕だって何も知らなければ認められないだろうし、他の人だってそうだろう。
だけど、それはつまり本当の僕は要らないことの証でもある。
本当の僕の存在が不必要なら、別に消えてしまってもかまわないだろう。
僕自身は、周りが望んでいる僕ではいないわけなのだから。
「だから、自分を苦しめるだけならもういいかなとも思ってた。僕が守り続けて、幸せにしないといけないというわけでもないし、僕は僕の幸せのために生きているわけだしね。一身に受ける不幸から逃れるために結果的に死なないといけないんだったら、それでいいとも思ってた。」
両親が否定した世界にいるということは、その住人である僕もまた、否定していることにもなる。
その人たちにとって、その世界が存在しえない以上その世界の住人もまた存在するはずがなく、存在しない人間が誰かにその存在を、その存在の状態教えることなんてできない。
存在しない以上認識なんてできやしないんだから。
「それで柊さんはいいんですか?寂しくはないんですか?」
失うことの痛みを誰よりも知っている彼女だからこそ、言ってくれるのだろう。
今、みずからその大切なものを失おうとしていることを見ていられないんだろう。
「もう諦めているからね。僕は一人で良いんだ。誰かと一緒にいると辛い。一人になった時の寂しさ、苦しさで胸が痛くなる。そんな思いしたくない。せめて、寂しさを紛らわせてくれる誰かがいてくれれば、それでいい。それだけで十分だ」
離れて行かれる時の苦しさは、もう二度と味わいたくない。
「私には、そう思えません。私は一人が嫌です。誰かに一緒にいてもらいたいと思います」
たぶん、それが正しいんだと思う。
僕は弱いから。
傷つくことを怖がる弱い人間だから。
だから、その普通なことですらできない。
「私は、昔、大変な事件を起こしました。大好きだったお父さんとお母さん、お兄ちゃんを失いました。それが悲しくて苦しくて、いろんなことが見えなくなって、頭の中がぐちゃぐちゃでした。もう、何も考えることができませんでした。だから、私は、罪を犯しました。いろんな人に迷惑をかけて、地位も名誉も家も名前も取り上げられました。私の本当の名前は、アイシャ・スクルズ・ヴェー。ニダヴェリールの王位継承者でした。でも、全てを取り上げられた私は、ただのアイシャ。大好きだった家族と同じ家の名前を名乗ることすらできなくなってしまいました」
彼女の正体に対する疑問が氷解する。
確かに、それだけの位を持っていたのならば、殿下と親しくてもおかしくない。
「そんなときに助けてくれたのが、ミィーナだったんです。一人でさびしくて、苦しくて、それから逃げるように罪を犯していた私を、私の間違いを、止めてくれました。止めて、私を受け止めてくれました。ミィーナがいたから、今の私がいるんです。一人だったら、私はきっとここにはいなかった。ううん、きっと私は自分で自分の命を絶っていたと思います」
だからこそ、二人はあれだけ信頼し合っているのだろう。
お互いのことを大切に思いあっているんだろう。
短い時間だったけれど、それでも二人がどれだけ信頼しあえているのかはよくわかった。
「人はやっぱり一人じゃ生きられないと思います。ユグドラシルの森で、一緒にいた時、ふと柊さんを見ると、遠いところを見ている目をしていました。ひどく冷めた、だけど、それ以上に悲しみを湛えた瞳をしていました。それを見ると、どうしても、思い出してしまうんです。ミィーナに会う前の自分のことを。柊さんの目は、ミィーナに会う前の、私と同じ目をしているように思えたんです」
「だから、あんなに僕のことを心配してくれていたんだね」
僕にとっては、密度の濃い時間だったが、それでも短い時間でしかなかったのに、それには不釣り合いなほどの気持ちを僕にぶつけてくれていたのは、自分とだぶったから、そういうことなんだろう。
「柊さん。一人でいいだなんて言わないでください。柊さんがいなくなっても、悲しんでくれる人がいないなんて言わないでください。柊さんがいなくなれば、私は悲しくなります。ミィーナだってそうです。お願いだから、自分のことを大事にしてください」
「それは、大丈夫。ヴィゼッタさんにきつく言われたからね」
決して、僕は誰かを傷つけてまで、消えてしまいたいわけじゃない。
消えたところで、何も変わらないから、消えても構わないと諦めているだけにすぎない。
本当の僕を分かった上で受け入れてくれる人が居るのならば、偽者の自分を演じなくても受け入れてくれるのであれば、僕が居てもかまわないのであれば、好んで消えるつもりはない。
「柊さん、寂しくなったり、辛くなったりしたら、私たちのところに来てください。私たちは、柊さんのことを大切な友達だと思っていますし、大切な友達だからこそ、力を貸してあげたいと思います」
本当に、僕は何をしているんだろう。
年下の女の子に慰められるとは、何とも情けない。
ここに来てから、男を下げてばかりだ。
「ありがとう」
でも、だけど、それがひどく嬉しい。
情けないと思うし、そんな自分をひっぱたいてやりたいと思うけど、それでも、嬉しく思ってしまう。
別れがつらくて苦しいから特別な誰かは要らないと思っていても、拒絶していても、それでもやっぱり欲しいと思ってしまう。
やっぱり一人は寂しいから。
「本当にありがとう」
僕は、深々と頭を下げた。




