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ex2 夏休みは計画的に、健全に

 とある名探偵に背中を押される形で、野々宮に告白をした俺だったが、今ではあれが告白として成立していたのか疑問すら感じている。

 返事は後でいい、などと男らしくないことを言ったのがいけないのか。野々宮の返答は一向になかった。

 幸いなことに関係がぎくしゃくすることもなく、普段通りに接することができるのだが、そのまま一週間、二週間と経ち、終業式を迎えた。

 校長先生の単調で眠くなる話を聞いて、生活指導から夏休みを健全に過ごすように言われ、プリントや課題を鞄に詰め込んだ。それだけのイベントをこなしても、両手に荷物がないというだけで清々しい。

 これで告白の返事さえ気になっていなければ、俺の心も夏の空のように晴れ渡っているのだが。


「明日から夏休みですよ、新藤さん」

「そうだな」


 野々宮がいつもの調子なので、俺も平然と答えざるを得ない。しかし、頭の片隅には常に返事のことが渦巻いている。


「新藤さんは宿題をすぐに終わらせますか、それとも最後の三日間ですか?」

「三日間という具体的な数字が出るということは、野々宮はそういうことだな。よし、俺と七月中に終わらせようか」

「わ、わーっ、それは勘弁して下さいっ!」


 わたわたと腕を振って抗議する野々宮。

 果たして俺と一緒が嫌なのか、宿題を早く終わらせることが嫌なのか。あからさまに訊ねる勇気はない。

 もしかして、あんな言い方をしたから、告白を冗談と取られてしまったのかもしれない。

 有り得る。野々宮はよく気が付くし、何気ない一言が鋭いこともあるのだが、全身から滲み出る天然オーラは簡単に消せるものではない。

 一世一代の告白をしたと思ったのは俺だけで、野々宮からすれば軽口の延長線のように感じたのだろう。

 だとすれば、俺はこんなところで呑気にしていていいのか。というか、そもそも。


「……俺たちは何をしてるんだろうな」


 ギラギラとした夏の日差しが照りつける玄関で、楽しげに休暇の予定を話しながら帰る生徒たちを見送る。

 何故、帰りもせずにこんな暑いところでじっとしているのだろう。

 野々宮は何を言ってるんですか、と首を傾げる。


「明智さんを待ってるんですよ? 教室や部室に探偵グッズを置き過ぎたー、って言ってましたから」

「少しずつ持ち帰れよ……」

「まぁ、それどころじゃありませんでしたからね」


 妙に達観した野々宮が面白くて、つい口元が緩む。

 野々宮の言葉通り、明智は数週間前、探偵として殺人事件に関わっていた。その後も探偵疲れで見るからに覇気がなく、身の回りを整理する余裕がなかったのも頷ける。

 非日常に憧れていても実際にその状況になれば、しんどいのは当たり前だ。慣れていなければ、尚更だろう。

 そう考えると仕方ないか、と納得しかけたが、いやいやと首を振る。


「それで俺たちが待つ理由になるのか?」

「でも、部活がない日くらい一緒に帰りたいって言った明智さんに、二つ返事で了承したのは新藤さんじゃないですか」

「……俺が?」

「はい。私も賛成しましたけど」


 二つ返事の了承どころか、明智にそう言われたことすら覚えがない。重症だな、と反省しつつ、溜息を零す。


「まぁ、明智が言い出したんなら、何か理由があるんだろうな」

「一緒に帰るのに理由がいります?」

「いらないけどさ、あいつなら……」


 余計な気を回してくれるはず、と言いかけたところで隣にいるのが野々宮であることを思い出す。

 俺は本格的に頭を診てもらった方がいい。馬鹿につける薬は何処で処方してもらえるのだろう。

 言葉を不自然に区切った俺を見て、野々宮は待つように黙っている。いけない。


「いや、明智なら整理や持ち運びを手伝えと言い出しても不思議じゃないよな、って」


 誤魔化すための言葉だけど、そんなに大変なら手伝いを頼めばいいのに、と思った。

 そんなことを考えていると、野々宮が訳知り顔で言った。


「秘密兵器もあるので、荷物は見せられないそうですよ」

「探偵の秘密兵器って何だよ……」

「蝶ネクタイと時計型麻酔銃じゃないですか?」

「あいつは多分、そういう探偵に憧れてはいない」

「そうなんですか?」

「きっと、安楽椅子でぷかぷかとパイプをくゆらせて、無駄に速くて長い脚を組み、紅茶一杯を飲み終えるまでに解決するような探偵になりたいんだ」


 未成年がパイプをくゆらせることはできないけど、と付け足そうとして、野々宮がこちらを見ていないことに気付く。


「自分から聞いといて何だよ」

「聞いてますよ、聞いてますけどぉ……」


 ますます遠くを見つめるように目を細めて、口を尖らせる。

 何かまずいこと言ったかと思い返してみるも、それらしい記憶はない。まぁ、そういうのは言った本人が気付けるものじゃないか。


「はぁ、どうしたもんですかねぇ」


 そして、この溜息である。

 俺にがっかりしている様子だが、それはつまり見捨てられていないということか。現在も査定続行中で、告白の返事に迷っているのか。

 いっそ、そういうことなのかと聞いてしまいたいけど、聞けるわけがない。

 せめて、俺は溜息をつかないようにしようと上を向く。太陽が眩しいぜ、ちくしょう。


「新藤さんは必殺技を身につけて、立派ですよね」

「えっ?」


 話が飛んだので素っ頓狂な声をあげてしまったが、野々宮の頭ではつながっているらしい。

 俺が困惑を顔に浮かべているのもお構いなしに、野々宮が続ける。


「格好いいじゃないですか、ヒーローナッコォ、クォ、クォゥ……?」

「発音はいいんだよ、ナックルで」

「せっかくの技名なのに」


 まだ空に雲があり、雨も降っていた時期の話だ。

 黒染仮面とともに、謎の組織が作り出した怪物を倒した事件。そのときに会得したのが必殺技である。

 ヒーローパンチは相手を吹っ飛ばすが威力は低く、ヒーローナックルは純粋に威力を重視した技だ。

 黒染のようにキックを格好よく決める自信がないので、キックの必殺技を考えるつもりはない。俺の足は回避で手一杯、否、足一杯である。


「まぁ、戦いやすくなったのは助かるな」

「……はぁ、それに比べて私は何をやってるんでしょうね。タイムリミットは刻々と迫っているのに」

「野々宮は頑張ってるじゃないか。明智を助けようとしてたなんて、俺知らなかったし」


 何処かで野々宮を支えるのは俺だと思っていたのか、一人で頑張っているのを知って感心しつつ、寂しく感じたりもした。

 ちょっと心配しすぎかもしれない。しかし、その野々宮は今も落ち込むように下を向いている。


「失敗したじゃないですか。いえ、魔法は成功してましたけど、勘違いで余計なことして、しかも犯人が出て……」

「それは許したじゃ――ない、か」


 野々宮がフッと笑った。その小さな微笑みはいつもの優しい笑みではなく、呆れた感じだった。

 それもそのはず。俺は許した話を思い出し、あの場面も思い出し、しまったという感情を思いっきり顔に出したからだ。

 野々宮は意地悪な視線をこちらに向けると、妙にきっぱりした口調で言った。


「ここしばらく、自分からその話をしないように気をつけてましたよね」

「……バレバレだったか」

「バレバレですよ。私だってずっと考えてたんですから、わかりますよ」


 何でもないような言い方だったが、かなり恥ずかしいことを言われた気がする。

 それを指摘する方も恥ずかしいので、俺は安堵するだけで黙っていた。野々宮は告白を忘れたわけでも、冗談と思ったわけでもなかった。

 そうなると、ここまで返事を待たされているのは何故だろう。パッと思いつく理由というと。


「別に断られたって、これからも野々宮のことは助けるけど」

「鈍い主人公みたいなこと言わないで下さい、怒りますよ?」


 野々宮は迫力ゼロの声で言うと、キッと目を鋭くし、ワンテンポ遅れて右手をグーにして振り上げる。

 怒られるのは嫌なので、腕を組んで唸る。あと、思い浮かぶのは。


「じゃあ、あれか。今の関係性を壊したくないってか」

「違います。けど、違わなくもないですね……色んな意味で」

「どんな意味で?」

「今更、焦って気持ちを口にしなくたって、わかってるんですよ。お互い」


 俺も大概おかしいけど、野々宮も相当におかしい。俺たち二人とも太陽に焼かれすぎて、のぼせてるんじゃないか。

 どうして告白と返事もまともにできないのに、こんな会話を平然とした顔で交わしているのだろう。

 もっと過程があるはずだ。具体的にはよくわからないけど。


「……友達が少なすぎて、お互いに勘違いしてるってことはないよな?」

「じゃあ、明智さんに告白されたらどうするんですか?」

「ねーな」

「ちょっとは考えて下さいっ!」


 考えたって絶対にない。明智には野々宮のことが好きだと告白しているのだ。野々宮よりも先に。何でだ。

 そんな風に、俺はまったく関係ないことを考えていたのだが、野々宮は先程の質問を少し変えて、再び訊ねてくる。


「じゃあ、他の可愛い女の子に迫られたら断れます?」

「もちろん」

「……それで新藤さんが断るんだろうなぁ、って思ってしまう私もだいぶアレですけど」


 流石に恥ずかしくなってきたのか、野々宮が顔をそらしながらぼそぼそと言った。ここまであけすけな話をしてきて、今更である。

 俺はというと、野々宮のこの態度にすっかり安心していた。しかし、これで満足してしまうと、野々宮の言ったような関係性が続くことになる。

 それでもいいかなと思う自分もいれば、はっきりさせたいと思う自分もいる。

 贅沢な悩みだな、と思っていると、野々宮が話を終わらせたいというように強い口調で言った。


「そういうことで! あの話はそんな感じってことにしときませんか?」

「気持ちは言葉にしてほしいもんだけどな」

「それは女の子の台詞ですよ」


 男らしくないと言われている気がする。確かに細かいことを気にして、グチグチとしつこいかもしれない。

 必殺技を習得したとはいえ、たいして強くなったわけでもない。最近の活動は、明智に助けられただけ。

 よく考えると、俺って何一つ格好よくないのではないか。


「……やっぱりちゃんとしたヒーローにならないと駄目かぁ」

「ど、どうしてそうなるんですか。新藤さんはしっかりヒーローやってますよ」

「いや、野々宮にフラれて自信をなくした」

「フッてませんて! 今回は私の都合が悪いといいますか……」


 野々宮が一瞬、しまったという表情になったのを俺は見逃さなかった。そうか、相手の顔を見てるから、ちょっとした変化に気付けるのか。

 先程のお返しとばかりに口元を歪ませて、しれっとした顔をしている野々宮に問いかける。


「んー? 何の都合だ、言ってみろよ?」

「い、いえ、私の問題ですから、新藤さんを煩わせることになりますので」

「それで思いつめて予告メール送ってきた奴はどいつだ。まだ消してないぞ、見せてやろうか?」


 俺が携帯電話を取り出すと、野々宮がうっと声を詰まらせて、睨むような目を向ける。


「卑怯ですよ、それは! 新藤さんだって、架空の犯人のことを隠そうとしたじゃないですか!」


 痛いところを指摘されてしまい、勢いと携帯電話を引っ込める。だが、まだ負けてはいないはずだ。


「あ、あれは野々宮のことを思ってだな……」

「こっちだって似たようなもんですよっ」


 そう言われては反論できず、むしろ何をやっているんだという気持ちが大きくなり、黙り込んでしまった。

 野々宮も俺の様子を見て、申し訳なさそうな顔で目を伏せる。

 俺は我慢していた溜息を吐いた。気張っても仕方ないのは、わかっていたことじゃないか。


「やめにしよう。俺たちはこっそり人を助けられるほど、器用じゃない」

「……ヒーローと魔法少女として、致命的じゃありません?」

「と、とにかく、変な隠し事はナシにしないか? 何もかも話せとは言わないから」

「……ですかねぇ」


 諦めと納得。そして、安心感。野々宮の呟きは複雑な思いが込められているような気がした。

 俺は野々宮が自分から口を開くのを待った。しばらくして、野々宮は明るく、悩みなんかないように話し出す。


「もうすぐ、十六歳になるんですよ」

「……そういや、誕生日が八月の、七日だったっけ」


 野々宮が驚いたように口をぽかんと開けて、ハッと目をぱちくりさせる。


「よく覚えてましたね、新藤さん」

「忘れてなかっただけだ」


 そうですか、と楽しそうに呟く。


「誕生日やメールのことで、危機感が湧いてきたというか。大丈夫かな、私はこの先どうなるのかな、って思うんです」


 野々宮が魔法少女になったのは、魔法界存亡の危機を救うためである。当初は嫌々だったそうだが、今では使命感を持っているという。

 魔法で人助けをして、ありがとうと言われることで魔力が生まれる。感謝の気持ちが、優しい魔法となるのだ。

 目標はありがとう百個。六年間も魔法少女を続けて、現在は九十三個。それでも俺は褒めてやりたい。


「こういうのは時間ギリギリで何とかなるもんだ。計算では十月頃だろ? 夏休みくらい楽しく過ごしていい」

「何とかなるまでは告白の返事はできませんけど、それでもいいんですか?」

「うん、ギリギリなんて駄目だな。夏休みの宿題のように、さっさとやるべきだ」

「どっちなんですか、もう……ふふっ」


 野々宮は吹き出して、笑いを堪えるように肩を震わせる。その仕草を見ていると、ここ数週間の悩みが消え去るようだった。


「要は身辺の整理がつくまで、返事はお預けってことか」

「そういうことです」

「……じゃあ、誕生日はどうすっかなぁ」

「何がです?」


 俺がぼんやりと空を見上げると、野々宮は笑うのをやめて首を傾げた。


「プレゼントだよ。友達ってなると、変わってくるからな」

「えーっ……それは何か嫌ですよ、立場で扱いが変わるなんて」

「いや、大事な人は特別扱いしてやりたいんだが」

「……特別って響きは何だか素敵ですけど」


 実際のところ、誕生日に何をあげるのかといったことは考えてもいなかった。

 友達に誕生日プレゼントなんて考えもしない。女同士ならあり得るのだろうか。あるいは、恋人なら。

 とにかく、誕生日とはいえ物を贈るなら、それなりに理由が必要というか、何というか。

 俺がまた悩み事のループに突入しかけていると、野々宮がぽんと手を叩いた。


「そうだ、映画。今度こそ、映画を観に行きましょうよ」

「誕生日に? そんなのでいいのか?」

「甘く見ないで下さい。きっと買い物もするでしょうし、何かねだるかもしれませんよ?」

「そっちだって、特に趣味のない男の財布を甘く見るなよっ」


 変なところで張り合って、お互いに息苦しさから解放されたように笑った。

 そのとき、下駄箱で物音がしたので反射的に振り向く。俺につられて、野々宮も振り向いた。


「……えっと」


 落としてしまったらしい懐中時計を拾い上げて、何とも言えない表情で立ち尽くす明智がいた。

 俺と野々宮も戸惑っていたが、明智もかなり困っていた。こちらを直視できない様子で、ちらちらと懐中時計に目をやっている。


「その、時間を確認しようと、ね。いつまで話してるのかなー、何て思ったのよ……」


 恐らく、整理を終えて合流しようとしたが、俺たちの話が真剣そうだったので気遣いのつもりで待ったのだろう。一方的に明智を悪いとは言えない。

 しかし、俺たちが話し込んでいたのが悪いと謝ったところで、明智は納得しないだろう。泥沼の謝罪合戦が始まり、居た堪れない気持ちになるだけだ。

 時が止まったかのように思えたが、蝉の鳴き声で時間の流れを実感することができた。今まで気付きもしなかった蝉の声が、やけにうるさい。

 ここは俺がどうにかしなければ。どうする。考えろ。グッと唾を呑み込み、俺は重い口を開く。


「明日から夏休みだ。早く帰ろうぜ!」

「そうですね!」

「そうね!」


 なかったことにした。

 告白もそうだけど、俺は色々と先延ばししすぎである。後悔して悩むのはわかっているのに、何故なのか。

 きっと、それは俺がまだ若くて、時間が余っていて、悩んでも許される身分だからなのだろう。

 学生の特権、夏休みが始まる。

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