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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
4. ヒーロー候補と名探偵
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4.7 野々宮千恵の童心

 事件が始まってから三日が経ち、本日は水曜日。

 流石に放課後のことを考えるとテストに集中できず、不安の残る結果となってしまった。

 過去を振り返らず、未来を見据えるというテストへの姿勢が裏目に出たこととなる。

 担任の短い話が終わって放課後になり、サトーに連絡しようと携帯電話の電源を入れた――途端、鳴った。


「もしもし?」

「昌宏。準備が出来次第、すぐに向かう。教室で待機しているように」

「了解……って、ここで!?」


 俺は驚きつつ聞き返したが、了解と言った時点で通話が切れていた。

 首を捻って辺りを見回す。推理を披露するのに教室は相応しい場所とは言えない。無関係な生徒もいるし、明智も話しづらいだろう。

 唸ってみるがサトーを待つほかない。仕方がないので関係者に声をかけておく。


「野々宮、サトーが教室で待て、だとさ」

「えっ、もしも犯人が現れたらどうするんですか!?」

「テストの調子悪かったし、今日は出ないかもな」


 そうは言っても流石に赤点を取るほど駄目だったとは思えない。

 気休めになればと言ってはみたが、野々宮は落ち着くどころか焦りを増していた。


「これ以上、魔法の被害を広げるわけには」

「大丈夫。明智は大体わかってる……と、言ってた」

「……本当、ですか?」

「どうだろうな、すべては魔法のせいだった、なんてわかっても言えないよな」


 野々宮の表情も硬く、不安な様子がうかがえる。

 この事件は明智を名探偵にするため、野々宮が使った魔法によって始まったものだろう。

 何だかんだで常識的な明智では、この結論を信じ切れるのか不安なところはある。


「さて、その探偵は……」


 自分の席で肘をついて両手を組み、組んだ手に顎を乗せて考え事をしていた。

 声をかけて邪魔をしてはいけないと思ったが、俺の視線に気付いたらしく、明智が席を立つ。


「どうしたの?」

「いや、サトーがここで待てって……それより何か考えてたんじゃないのか?」

「私なりに推理に必要なものを用意したのだけど、足りないものに気付いたのよ」


 物理的なトリックを説明する必要もなければ、証拠となる物品も俺の携帯電話に残されたメールくらいのものだ。

 何が必要なのか見当もつかないが、明智の深刻な顔を見ると訊ねずにはいられない。


「大変じゃないか、何が要るんだ?」

「懐中時計とパイプよ。持ってくれば良かったわ……」

「……お前、大丈夫か?」

「心配無用よ。これで何とかしてみせるから!」


 そう言って取り出したのは茶色でチェック柄のハンチング帽。明智はくるりと一回転させて被った。

 更に鞄から着込まれて色落ちしている薄茶色のトレンチコートを引っ張りだし、制服の上から羽織る。忘れないでほしい、今は七月である。


「父さんのお古を貰ったのよ、似合う?」

「……いいんじゃないか」

「でしょう!」

「重要なのは格好ではなく中身ではないのか?」


 俺が呆れ混じりに明智を褒めたところに、あんまりな正論を浴びせたのは久我だった。

 正直、どんなに外側を格好つけたところで、それを武器として振るうには行動しなければならない。そして、行動するためのスイッチは内側にある。

 しかし、久我の言い方はあからさますぎる。


「わかりやすく言えば、眼鏡をかけても君の頭は良くならないと――っ!?」


 久我の暴言に明智が思わず手を出し、寸前で止め、引っ込みがつかずに久我の肩に乗せ、凄まじい力で押しつけていた。

 久我も一度は膝を曲げたものの、近くの机に手をかけて支えにし、押し戻そうと必死だ。

 暴力事件に発展せずに何よりだが、互いに相手を見下そうとしているさまは実に滑稽である。


「私の頭は灰色の脳細胞が詰まってるんだから……!」

「口より先に手が出るなんて、君は探偵脳というより犯罪脳だな……!」

「なっ!? 犯罪者……せめて、知能犯にして!」

「ええい、素養がない、素養が!」


 事件について一つも語ろうとしていないのに、早くも事態は混迷を極めていた。サトー、早く来てくれー。

 そのとき、教室のドアが勢いよく開かれた。


「待たせたな」

「来た、サトー来た! これで助かる……」


 サトーは安楽椅子を抱えていた。本当に持ってきやがった。


「きゃあ、安楽椅子よ! 念願の安楽椅子探偵よ!」

「良かったですね、明智さん」

「ありがとう、野々宮さん! 私、座るわ!」


 何でもいいから早く始めてくれ。俺は推理の前にたっぷりと溜息を吐いた。

 いつの間にか隣には久我がいた。明智の物理的重圧から解放され、肩をさすっている。

 教室の机を脇に寄せながら、安楽椅子を何処に設置するかで盛り上がる集団に加わりたくないのだろう。俺もだ。


「……新藤」

「何だよ」

「僕は君たちを見てると、自分に腹が立つ」

「……はぁ?」


 また嫌味かと思ったが、そういう雰囲気でもない。俺は訝しげな視線を久我に向け、次の言葉を待った。


「テスト直前に喋っていたり、探偵ごっこに興じたり、勉強してそうにない奴が地頭で点を取ることに嫉妬するんだ」

「えっ? 俺はわりと放課後を勉強時間に割いてるし、授業態度も悪いつもりは……」

「だから、偏見で一方的に悪い印象を持ったことを謝る。僕の悪い癖だ、一方的に嫌って、話もせずに決めつけるのは」


 久我に謝罪されるとは予想外で、呆然としてしまった。

 そんな俺を見て、久我は付け加えるように言った。


「あの醜態を見る限り、明智に謝る気にはなれないがな」

「……そっか、久我の言う嫌味って、意外と程度が低いのか」

「どういう意味か知らないが、不愉快な表現だ」

「感情のこもった嫌味じゃないってことだよ、良い意味で」


 俺は表情を緩ませながら言った。久我はふん、と顔をそらしたが、すぐに難しい顔でこちらを向いた。


「ところで、あれは安楽椅子探偵ではなく、単に安楽椅子に座った探偵ではないのか?」

「ややこしくなるから、言わないでおこう」

「……そうだな」


 俺の言葉に久我が全面的に同意を示したのは、これが初めてだったと思う。


   + + +


「さて、今晩この教室に皆が集められた理由は、既におわかりでしょう?」

「夕方だけどな」

「さあさあ、これから私の名推理をお話しするわ!」


 教室のど真ん中に安楽椅子を置き、明智は脚を組んで座っている。

 俺と野々宮と久我は適当な椅子を引っ張ってきて、明智に向かい合うように座る。サトーは少し離れた窓際に立っていた。

 夕陽の差しこむ教室には不思議なことに五人しかいない。偶然か、サトーの仕業か。

 しかし、この舞台を整えたのは誰かなんてどうでもいい。今は、犯人は誰かを解き明かす時間だ。

 明智は深呼吸し、落ち着き払った声で言った。


「この事件の始まりは一件のメール。新藤君に赤点を強要し、従わなければ殺すという内容。悪戯染みてはいるけれど、ここにいる五人は冗談ではないことを知っているわね」

「本気であれば、もったいぶらずに一言で済ませたらどうだ」

「久我君、これは単なる殺人予告ではないのよ。解決するには事件を事件らしく、探偵は探偵らしくしなければいけない。馬鹿らしくても、私の我が侭に付き合ってちょうだい?」

「……ふん」


 事件を整理し、問題を一つずつ片付けて、間違った道筋を取り除いていけば、残る一本の線が真実となる。

 回りくどいことも名探偵の資質であるならば、俺は余計なことは言わずに聞き手になろう。


「それでは久我君を安心させるためにも、彼が事件に無関係であるところから話しましょうか」

「何を言ってるんだ。証明されなくても当然だ」

「だって、怪しいでしょう。教師の兄を持ち、やけに突っかかるクラスメイトなんて」

「君たちが思っている通り、僕の性格が悪いだけだ」

「それだけではないわ。久我君は新藤君の意外な成績の良さも、野々宮さんの意外な成績の悪さも知っていたじゃない」

「そ、それは……」


 久我がばつの悪そうな顔で黙り込む。

 俺は図書室で野々宮が嫌味を言われたとき、無性に憤りを感じたことを思い出す。

 勉強した方がいい、というのは久我なりに嫌味混じりの忠告だったのかもしれないが、今思えば野々宮の成績が振るわないことを知らなければ言えない言葉だ。


「久我君」

「……成績の順位だけだ。中学までは発表されたが、高校からされなくて、僕はそれがモチベーションだから、仕方なく」

「くーがーくーん?」

「わかった! もうやめる! これでいいのか!」


 明智は正義は我にありと満足そうに微笑む。


「久我君は成績の情報は得ていたけど、メールアドレスは知らない。これで犯人という疑惑は晴れたわね、安心した?」


 久我は無言で俯いている。

 確かに悪いことをしたのは反省するべきだが、悪用してたわけではあるまい。否、野々宮への悪口の材料にしてたな、もっと反省すべき。

 とにかく、久我の態度は本人の性格によるもので事件性はないと証明された。

 明智は一仕事終えたように息を吐いて、解決編のメインへと進む。


「あとは入部届けのアドレスを目にしたのは部長さんだけで、彼はアドレスを覚えてもいなかった。そうなると新藤君にメールを送れるのは登録された四人だけね」

「おい、それは最初に否定しただろ」


 明智が妙なことを言い出すので、つい反論してしまった。明智はしれっとした顔をしている。


「そうだったかしら、理由は?」

「誰ひとり動機がないし、登録された相手からのメールは名前がわかるはずだ」

「そうね……その通りだわ」


 その言葉とは裏腹に、明智は一切納得してない表情で教室を見渡し、俺を見て止まった。


「……あまり悠長に話している時間はないようね」

「えっ?」


 明智は感情が消え失せたように冷たく、鋭い視線を俺の背後に向けていた。

 何事かと思い、目だけを動かして久我と野々宮の様子をうかがうと、二人とも俺の背後に注意を向け、固まったように動かない。

 意を決して振り向こうと首を回すと、サトーの鋭い声が耳に刺さる。


「動くな」


 俺は全身を硬直させたが、既に視界の端に黒い影を捉えていた。背後にいる。

 犯人を意識した途端、首筋に冷たい何かが押しつけられている気がした。

 何故、一思いに殺されないのだろう。これまでは全力で襲いかかってきたのに。


「サトー、俺は……」

「どうにかしたいが間に合わん。今、できることは……」


 悔しそうなサトーの声に押されて、首をゆっくりと前に戻す。明智がいた。


「明智」

「……何」

「推理の続きを頼む」

「わかったわ」


 架空の犯人同席での解決編。

 全員が緊張した面持ちで明智の言葉を待つが、先程までの余裕が明智から感じられない。

 それどころか、焦りすら感じられない。奇妙なほどの落ち着きと真剣さ。それはまるで冷酷無比に真相を言い当てる、名探偵のように。


「そこの犯人からわかるように、この事件には不思議な力が働いている」


 明智は言葉を区切ると椅子から立ち上がり、教室をふらふらと歩き出した。


「憧れだけの素人探偵も、存在自体が非常識な真っ黒な犯人も、事件のきっかけとなったメールも……そうそう、このハンチング帽も」


 明智は歩みを止めて、優雅な所作でハンチング帽を脱ぐと、野々宮に被せた。


「すべては魔法のせいよ」


 その行動の意味はわからないが、魔法というナンセンスなオチに無事辿り着いて――


「ち、違います!」


 それを野々宮が否定した。えっ、どうして否定した。俺は思わず口を出す。


「違わなくないだろ? 久我も青柳部長も関係ないし、登録された四人なわけがない。今更、新しい名前が出てきても困るぞ」

「で、ですが……」

「大丈夫よ、野々宮さん」


 混乱している俺と野々宮をなだめるように、明智が言葉を引き取る。


「新藤君のアドレスを知らない人はメールを出しようがない。知っている人は登録されているから名前がわかってしまう」

「だから、メールだって魔法のせいだろ?」

「いいえ、アドレス変更は魔法がなくても可能よ」

「アドレス、変更……」


 俺のアドレス帳に載っている四人のうち三人は長い付き合いである。皆、メールアドレスを変更するようなタイプではないことも知っている。

 そして、昨日。送信したはずのメールを読んでいないと言っていたのは、もしかして。


「野々宮さん。貴方が新藤君にメールを送ったのね?」


 明智は指を差したり、大声で指摘したりはせず、確認するようにぽつりと呟いた。

 野々宮の顔には驚きも怒りもなく、何処か安心したような悲しい微笑みがあった。そして、一言。


「はい」


 野々宮が肯定した事実を、俺は否定したかった。

 スッと、首にあてられていた鋭い感触が離れる。俺は明智に詰め寄っていた。


「そんなわけあるか! 野々宮がどうして!」

「そうですよ、明智さん」


 俺の勢いを殺すように、野々宮が優しく、何処か寂しい声で言った。


「ちゃんと説明して下さい。魔法なんかじゃないって」

「いいでしょう。貴方はアドレスを変更して新藤君にメールを送った。そうすることで容疑から逃れようとしたのね」

「……えっ、と」

「しかし、新藤君が昨日送ったメールを読めなかったというところでピンと来たわ。アドレスを変更したせいで、届かなかったのよ」


 野々宮は安堵の表情から一転、困惑を瞳に浮かべている。

 身に覚えのない容疑をかけられて戸惑っているのだと思いたかったが、そういうことでもないらしい。

 正直、事件の真相について考えられる心理状況ではない。何故、野々宮に命を狙われなければならないんだ。

 取り返しのつかない悪行をしたのだろうかと記憶を掘り返していると、野々宮が口をもごもごとさせる。


「そ、その理由だと、私は犯人になりません……」


 背後に再び、黒い影が迫る。

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