渡される
気を失ったネコに、俺はひたすら『気』を送り続けた。
あの怒涛の様な『気』の注入…その後一気に体温を下げて気を失ったネコ。
そして何より、己のいつまでも光りで包まれている様な充足感…あれは『玉女採戦』に違いない。
『榊の女』が房中術で、一方的に『気』を相手に与えるという『玉女採戦』…だが沙夜は、奪われる側は酷く身を損ねると言っていた。
無理をさせない様に優しく抱き続けると、やがて少しずつ体温を上げ顔色が戻っていった。
そして一度だけ目を開けると、ネコは満足そうに優しく微笑み、そのまま穏やかな眠りに落ちた。
腕の中の温かさが心地いい…夕べのあの、凍り付いてしまうのでは無いかと思う程の寂しさは、この温もりで無ければ癒せない。
ネコは、まだ出会った時の事がトラウマになっているのだ…そして、あの頬に傷を負った時の事を…まだ…俺に『捨てられるかもしれない』と心の底で怯えている。
思えば最初から、ネコは俺との事を『出会った』とは言わず、『拾って貰った』としか言わなかった。
そして、自分の中で燻る寂しさや怖れ、悲しみを、決して俺に見せてぶつけ様としない。
どうしたらその寂しさを払拭し、安心させてやれるだろう?
スルリと伸びた腕が俺の首に絡み付き、躙り寄ったネコが顎の下にキスをした。
「…ムー。」
「起きたか…おはよう。」
「…おはようじゃ無いんだよ。」
「何で?」
「おめでとう、柴さん!」
「…え?」
「え?じゃ無いよ!お誕生日でしょ!?」
「あ…そうだったな。」
「忘れてたの?あ…オヤジになるの嫌なんだぁ…35歳だもんねぇ。」
クスクスと顔の下で笑われて、又顎の下にキスをする。
「…大丈夫だよ…35になっても、柴さん素敵だから…。」
「…ナオ。」
「なぁに?」
「お前、躰平気なのか?」
「…何で?」
「夕べのアレ…『玉女採戦』だろ!?」
「…なぁんだ…知ってたんだ。お母さんに聞いたの?効き目…あんまり無かったみたいだね…心配事?…私の……。」
声のトーンと共にどんどん体温が下がる…俺は堪らずネコの躰を抱き込んだ。
「ごめんねぇ、柴さん。」
「…。」
「私、逃げないから…柴さんの傍に居るって言ったよ?」
「…お前、まだ…俺に捨てられると思ってるのか?」
瞬時に極限迄体温が下がり、強張った躰が痙攣を始める。
「…柴さんが……そう…決めたなら…。」
スルリと腕を解き起き上がったネコの躰が、心許無げに揺れる。
「…お前は?お前の気持ちは!?」
「…最初に…言った。」
「じゃあ、何故縋ら無い!!何故諦め様とする!?」
「だって…此所は、柴さんの家だもん。」
「違う!!ナオ!!」
「…。」
「此所は俺の家じゃねぇ…俺達の家だ!!」
俺は背後からネコを羽交い締めにし、肩口に顔を埋めた。
「…俺達の…家…。」
「そう…俺達の家だ。これから2人で家具も電化製品も選んで…2人の生活を築いて行く…2人の家だ。」
「…2人の…。」
「俺は、お前を決して捨てねぇ!!そう言ってるだろうが!?俺を捨てるのは…お前だ…。」
ヒクンとネコの躰が痙攣し、小さなくぐもった声が聞こえる。
「…前も、そう言ってた。」
「そうだ!これ以上離れるのは、堪えられねぇ!!俺が苦しいのは、お前が俺から逃げるからだって…何んでわからねぇんだ!?」
「…何度も…何度も期待したんだよ…。」
「何?」
低く静かに、それでもはっきりとした口調でネコは続けた。
「その度に…何度も裏切られた。優しくしてくれる人も…強引な人も居たけど、面倒な事や私が怖くて逃げ出したら、皆どっかに行っちゃった。酷い奴は乗り逃げなんだよ…有り得ないよね?」
「…ナオ。」
「親にも結局捨てられてさ…生まれて来たの迷惑みたいに言われて…どこ行っても出て行けって言われて、居場所無くて……正直、どうなってもいいって思ってた。」
ネコが自分の事を話すのは、いつ以来だろう…ようやく胸に溜めた物を吐露してくれている。
「柴さんの事も、最初は気紛れで…女ってバレて、ベッドに入れて犯られると思ったんだよ?ラーメンご馳走してくれたし、それも仕方無いかなって思った。だけど、優しく撫でて抱き締めてくれて、お粥作って医者に連れてってやるって…そんな事言ってくれる人誰も居なかった。まぁ、松田さんに連絡されて、逃げ出したんだけどね。」
フゥと息を吐いて、俺の腕から逃れた。
「その後探し出してくれて、引き取ってくれて…好きだって、惚れてるって言ってくれた。私…嬉しくて…でも怖くて…。」
「怖い?」
「榊に捕まっても、画家のおじいさんの所に捕まっても、柴さんちゃんと見付けてくれて、好きだって、愛してるって、いっぱい優しくしてもらって…でも、アキって人の言ってた通り、私じゃ柴さんに似合わないって思って…いっぱい迷惑掛けるし…遠くで柴さんの事想って生きてくのもアリかなって思ってたらさ…閉じ込められた。」
「…そうだったな。」
「あの頃からだよ…私の怖くて仕方が無い思いが、柴さんに移っちゃったんだねぇ。柴さん、ずっと『寂しい』『悲しい』って思ってて…昨日も…そうなんでしょ?」
「…。」
「そんな柴さん見てるの、私辛いんだよ…何とか出来ないのかって、あの頃からずっと考えてた。」
「…ナオ?」
「…終わりにしよう、柴さん。」
感情的では無い…凄く冷静なネコの声音に、俺の躰の刻が止まった。
ネコがスルリとベッドを降りるのを止められもせず、息をするのも忘れてネコが部屋を出て行くのを見ていた。
何をしている、俺は!?
早く…早くネコを追い掛けなければ!?
やはり…駄目なのか!?
どんなに追い掛けても、ネコの心には届かないのか!?
目が霞み、全身が痺れ…視界から色が無くなるのでは無いかと思った時、部屋の入口に再び全裸のネコが立っていた。
「…ナ…オ。」
「はい、コレ。」
ネコが、俺の鼻先に一枚の封筒を差し出した。
「私からの、お誕生日プレゼント。」
震える手で、封筒を持つ腕を引き寄せ、その身を絡め取る。
「嫌だっ!!」
「柴さん…。」
「絶対嫌だからなっ!!」
「柴さん…どうしたの?」
「ぜってぇ別れねぇ!!」
「柴さん…落ち着いて。」
「…嫌だ。」
「…顔上げて、柴さん。」
ネコが俺の頬を両手で挟み、頬に鼻先に、瞼にキスを落とし、最後に唇を重ねて来る。
その柔かで穏やかな優しいキスが離れた時、俺は放心しながら尋ねた。
「何故?」
「何が?」
「だってお前…終わりにしようって…。」
途端にネコの顔が赤面し、ワタワタと慌て出す。
「又…間違えた?あのね…違うよ…終わりにするのは、柴さんが色々悩む事……だから…。」
「ナオっ!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい…誤解した?ごめんなさい…。」
ネコの謝罪に、ガックリと項垂れた俺は、その場にふて寝した。
「ごめんね、柴さん。」
「…知らねぇ。」
「コレ、お誕生日プレゼント…。」
再び封筒を差し出すネコに膨れっ面を見せて、顔をしかめて舌を出す。
ネコは安心した様にクスクスと笑い、封筒を俺の横に置いて立ち上がった。
「私、シャワーして来る…気が向いたら、見てね?」
そう言って、部屋を出て行った。
何だったんだ、全く…一気に躰の力が抜けてしまった…。
誕生日の朝から、まるでフルスロットルのジェットコースターに乗っている様だ…。
寝返りを打つと、カサリと先程の封筒に触れた…手紙でも書いてくれたのだろうか?
中身を取り出すと、薄い紙が折り畳まれて…その中身を見て、俺は慌ててバスルームに飛んで行った。
「ナオっ!?」
「ふぇ?」
頭を洗っていたネコをを抱き締めると、泡だらけの躰をワタワタとさせて笑いだした。
「泡だらけになるよ、柴さん!いっその事、一緒に入っちゃう?このお風呂広いから、頭も背中も洗って上げられるよ?」
楽しそうにそう言うと、俺にシャワーを掛けて世話を焼きだした。
「なぁ…アレ…。」
「見たの?」
「お前…嫌がってたんじゃ無いのか?」
「ん?嫌じゃ無いって言わなかった?紙切れに拘って無かっただけだよ…そんな物に拘らなくても、幸せだから…。」
「だが…。」
「柴さん、アレに拘ってたし…だから…私がアレ渡したら、安心してくれるかなって思ったの。出す出さないは、柴さんに任す。」
「…いいのか、本当に?」
「アレ出したら、柴さん『寂しい』『悲しい』って思わなくなる?」
「効果覿面だ…だが、お前は?一体、何が怖いんだ?」
「わかんないんだよ…。」
俺の頭からシャワーを掛けながら、ネコは言った。
「馬鹿だから…何が怖いんだかわからないのかなぁ?スッゴい嬉しい時とか、楽しい時とかにも、急に怖くなる。今だって…怖いって自覚したら……もう…。」
シャワーヘッドがカランと床に落ち、濡れた床に丸まる様に座り込んだネコが、指を噛み呻き声を上げて震える。
「お前は、何でそうやって1人で耐えようとする?何で俺に縋らねぇんだ?」
抱き上げてバスタオルで包むと、少し安心した顔で微笑んだ。
「昼から外出するから…今日出すぞ、婚姻届。」
「うん。」
朝食のパンをかじりながら、何と無くボンヤリしているネコに声を掛けた。
「少し寝て来い…まだ、疲れてんだろ?」
「…へーき。」
「いいから…。」
べッドで添い寝してやると、ネコは直ぐに穏やかな寝息を立てる。
チャイムの音に、俺は寝室のドアを閉めると玄関に向かった。
「…アンタ達…ちゃんと連絡取れる様にしときなさいよ!」
玄関に入った途端悪態を吐く京子が、玄関に放り投げられたネコの上着やバッグを見て、フンと鼻を鳴らした。
「又…ネコちゃんに無体な事したんでしょ?」
ズカズカと入り込み、ネコのバッグから携帯を取り出し、床に置きっぱなし俺の携帯を合わせて差し出す。
「直ぐに充電する!!何かあったのかって心配したわ!」
「…悪い。」
充電機に携帯を置くと、京子はヤカンに水を入れながら尋ねた。
「ネコちゃんは?」
「さっき寝かせた。」
「誕生日プレゼント、貰った?」
「あぁ…今朝貰った。保証人、サインしてくれたんだな。」
「あの子、どうしても松田と私に保証人になって欲しいって、頭下げに来たの。」
「え?」
「私は二つ返事で了承したけど、松田には…土下座したのよ。」
「何故?」
「自分が又新宿に戻る事、これからも柴の世話になる事、許して欲しいって。柴を安心させる為に、婚姻届渡して遣りたいって。」
「…。」
「一番付き合いの長い私達に認めて貰わないと、意味が無いんだって…アンタには、過ぎた嫁だわ!?私が貰いたい位よ!!」
「…アレは、俺のだ。」
「今日出すんでしょ?」
「あぁ…昼から2人で出して来る。」
「夜、集まるから…結婚祝いと、序にアンタの誕生祝い。」
「場所は?」
「8時に『Bell』で。今日は、貸し切りだって。」
「…わかった。」
「じゃ…おめでとう、柴。良かったわね。」
「あぁ…ありがとな。」
珈琲一杯だけを飲むと、京子は口端を上げて帰って行った。
昼前にネコを起こし、用意をするのを待ちながら婚姻届を眺めていた。
「佐久間に…沙夜さんの所にも行ったのか?」
「役所の人がね、私が未成年だから、親のサインが必要だって教えてくれたの。序に本籍地も聞いてきたよ。榊の住所だって。」
「それで…榊に行ったのか?」
「何で知ってるの?お花をね…お供えに行ったんだよ。」
「…知ってたのか?」
「おじいさんの事?週刊誌で書いてあったの見たの…だから…。榊でね、森田さんって人に会ったよ?柴さんの事も知ってた。」
「あぁ…以前会った事が有る。」
「堂本さん…って人の所に、是非遊びにいらっしゃいって言ってた。お友達?」
「…古い知り合いだ。」
お待たせと言って出て来たネコを見て、ドキリとした。
淡い水色のワンピースを着て、薄化粧をしたネコは内から光輝く様で…。
「柴さん?」
「…ナオ…キスしていいか?」
顎を引き上げ唇を重ね、その柔かな唇の感触に酔い、ゆっくりと舌を絡め吸い上げた。
「夜は、パーティーだそうだ。」
喜びながら靴を履くネコが、不意に尋ねる。
「そういえばさぁ、柴さん。」
「ん?」
「私…柴さんのお嫁さんになって、何すんの?」
…全く…この娘ときたら…。
【Fin】
思いの外長い作品になって、驚いています。
そして、多くの方にご支持頂いた事に、本当に感謝しています。
作中、色々と矛盾点がありましたが…敢えて、そのまま突っ走りました。
例えば、沙夜さんと佐久間さんが結婚しても、ナオを佐久間さんが養子縁組しないと柴さんとナオは叔父と姪の関係にはならないんですよ…(^_^;)
通常は、佐久間さんと結婚した沙夜さんの名字は、音戸から佐久間に変更になりますが、ナオはそのまま音戸乃良のまんまなんです。
いやぁ…勉強不足で申し訳ありません。
最後迄、子供の様なナオでしたが…これからどうなるんだろう?(^_^;)
別ね作品で、ちらほら参加させて行きますので、お楽しみに…。
それでは、最後迄読了頂き、本当にありがとうごさいました!
又、次回の作品でお会い出来ることを楽しみに致しております。




