特別編 白虎と影虎①
※なぜ二人は剣を交える運命となったのか。その始まりを描く特別編です。
「止める者と壊れる者」(前編)
江戸の町外れ。
薄い霧のかかった早朝。
木刀がぶつかる音が、静かな空気を裂いていた。
「遅い!」
伊納政宗の声が響く。
次の瞬間、佐納総史の肩を木刀が打つ。
「くっ……!」
総史は一歩下がる。
額には汗。
息は荒い。
だが目は死んでいない。
二人は子供の頃からずっと一緒だった。
同じ師に預けられ、
同じ剣を学び、
同じように叩き込まれた。
「剣は生きるための道具だ」
それだけが、二人の世界のルールだった。
政宗は構えを崩さない。
「お前、まだ迷ってるだろ」
総史は歯を食いしばる。
「迷ってねえよ」
「なら遅れる理由がない」
その言葉は、冷たくない。
ただ事実だった。
総史は強かった。
だが政宗は“速かった”。
それが、いつも差になった。
夜。
縁側。
二人は並んで座っていた。
虫の声が遠くに響く。
総史がぽつりと言う。
「なあ、政宗」
「なんだ」
「剣ってさ……正しいことに使うもんじゃないのか」
政宗は空を見上げたまま答える。
「正しいってなんだ」
総史は詰まる。
政宗は続ける。
「助けたいと思っても、助けられないやつはいる」
「そいつを見てる時間の方が、俺は嫌だ」
総史はその言葉の意味を、まだ理解できなかった。
それから数年後。
二人は町奉行所に入る。
同心として。
そこは思っていた場所とは違った。
正義を振るう場所ではない。
正義を“処理する場所”だった。
ある日。
小さな盗みの事件が起きた。
犯人は少年だった。
痩せている。
震えている。
「腹が減って……それだけで……」
総史は拳を握る。
「……こんなのを裁くのか?」
政宗は犯人を見ていた。
何も言わない。
だが目だけが、わずかに沈んでいる。
上役の同心が言う。
「処理しろ」
「例外はない」
総史は声を上げる。
「待ってください!」
だが政宗が先に言った。
「……分かった」
総史は驚く。
「政宗!」
政宗は少年の前にしゃがむ。
目線を合わせる。
その声は静かだった。
「怖かったか」
少年は泣き出す。
総史はその光景を見ていた。
「何をする気だ……」
政宗は立ち上がる。
「これ以上は苦しむだけだ」
その瞬間だった。
まだ総史は気づいていない。
この出来事が、後に白虎を壊す“最初の歪み”になることを。
夜。
総史は道場跡にいた。
政宗もいる。
「お前……本当にそれでよかったのか」
政宗は答えない。
少し間を置いて言う。
「救いにはならない」
総史は首を振る。
「でも、生かす道もあっただろ」
政宗はようやく振り返る。
その目は静かだ。
だがどこか、痛みがある。
「生かすのは簡単だ」
「そのあと、どうなる?」
総史は答えられない。
政宗は言う。
「俺は“後悔”を増やしたくないだけだ」
その言葉が、少しだけ重く残る。
そして、ある事件が起きる。
町で起きた暴動。
奉行所は動けない。
証拠もない。
命令も出ない。
混乱の中。
総史は現場に出る。
そこにいたのは、暴れる男たち。
武器を持っている。
総史は刀を抜く。
「止める……!」
その瞬間。
一人目を斬った。
静寂。
総史は固まる。
「……っ」
血の匂い。
手の感触。
その時だった。
ほんの一瞬。
胸の奥で何かが“ほどけた”。
(……楽だ)
総史の目が揺れる。
政宗が駆けつける。
「総史!」
総史は振り向く。
その顔は、まだ“正気”だった。
だが何かが違う。
「政宗……」
「俺、今……」
言葉が途切れる。
政宗は一瞬で理解する。
「やめろ」
だが総史は小さく笑ってしまう。
「これ……早いな」
政宗の表情が変わる。
「戻れ」
総史は刀を見下ろす。
「俺は……」
その瞬間、風が止まる。
ここで物語はまだ壊れない。
だが、もう戻れないところまで来ている。




