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第2章 三度目ましての友達

 スマホが壊れたから、家族のことはおろか友達のことも分からない。

 そうなると大学のことも、当然分からないわけで……。


「夏休み中の課題って、あるのかな?」


 さすがに困ったため、大学へ行くことになった。先生に直接「課題はありますか?」と聞くためだ。といっても、私が何の講義を履修登録しているかすらも分からないため、まずはそこからの情報収集となる。


「夏休みっていうだけあって、人がまばらだ……」


 4ヶ月通った大学だけど、その記憶も無くなってしまったわけで。気持ち的には「部外者の私が、大学の中へ入ってもいいのかな?」である。


 明比野大学は、古くからある大学で、故に建物にも趣がある。屋根が特徴的で、なんだか可愛らしい棟なのだ。まるで、昔のお城みたいにとんがっている棟もあれば、アーチ状になっている棟もあり、屋根だけでも違いを楽しめる。


 それに床が木造になっている棟もある。踏むとギシギシ音が鳴り、面白くて何回か繰り返してしまった。渡り廊下なるもので繋がっている棟同士もあり、そこを渡っている時は大学にいることを忘れ、ウキウキしてしまった。


 大学だが、造りが大学らしくない、面白い建物ばかりだ。古くからある大学というだけあって、色んな風情を楽しめる。


 もっとも、それは建物だけに限らない。キャンパスの中には派手に髪を染めている人、個性的な服を着ている人、様々いた。今まで病院の景色しか知らなかった私にとって、右を見ても左を見ても興味深い光景ばかりだ。


「それにしても人が少ないなぁ。ラウンジに数人しかいないなんて。さすが夏休みだ」


 部活やサークルのために来ている人だけが集まるキャンパスは、とても閑散としている。いつものような混雑は皆無だ。

 まさかラウンジがすっからかんになるなんて。いつもは「お弁当を食べる席がない」、って困るほどなのに。


「……『いつも』?」


 ようやく記憶を拾ったらしい。大学を目の前にしても中に入っても、感じるのは新鮮さばかりで、何一つ記憶が戻らなかったというのに。

 この建物に漂う、空気感や雰囲気に触れたからだろうか?


 何にしろ、課題以外の目的を達成できてひと安心だ。もう少し、詳しい記憶も思い出したいところだけど。


「ん? あれ?」


 先生に会う前にラウンジで休憩していた時。見知った人物が、ドアを開けて入って来た。といっても記憶喪失中の私にとって「見知った人物」は一人しかいない。


「やぁ、芹香」


 この透き通るような紫の瞳。間違いない。


「フミ……どうしてココに? それに、頬の傷はどうしたの?」

「あ~、これね」


 フミは昨日と同じ、白いシャツに黒いパンツ、今にも脱げそうなダボダボの紺色カーディガンを身にまとっている。

 ただ一つ違うのは、昨日にはなかった頬の傷だ。ペンを走らせたような一直線の傷が、新たにできていた。白い肌に、赤くクッキリ伸びた線。出来たてホヤホヤなのか、血が滲んでいる。


 だけどフミは、この怪我について何か言うつもりはないらしい。「色々あってね」と、早々に話を閉じた。


 彼の肩には、もうお馴染みの星空バッグが掛けてある。……ということは、今は皆からフミが「視えていない時」だ。気をつけて振る舞わなければ。


「そう見ると、本当の大学生みたいだね」

「そりゃ嬉しいね」


 声を押し殺して話をする。

 フミは謙遜して笑ったけど、フミみたいな大学生って実際にいる。銀髪は、ちょっと派手すぎるけど。


「私が大学にいるから、フミも来たの? ごめんね、連れ回して」


 そういえばフミは、私が手紙を読むまで、私の傍から離れられないんだった――

 思い出して申し訳なく思っていると、フミは「いいや」と。ナチュラルに、私の前の席に座る。


「今日は、ココに用があって来た」


 ポンポンと、星空バッグを叩くフミ。つまり差出人から手紙を受け取った後、ということだ。


「昨日みたいに、私はフミに同行しなくて良かったの?」

「まぁ、今日くらいはね」


 言いながら、フミはチラリと見る。

 机上に置いたままの、新しくなった私のスマホを。


「……それ、残念だったね」

「あ……でも仕方ないよ。画面バキバキだったしね」


 覚悟はできてたからさ、と言うと、フミが眉を下げる。


「それでも、思い出の塊だ。今の芹香からすると、喉から手が出るほど欲しかったものだろうに」

「……うん」


 昨日ショップに戻ると、店員さんが申し訳なさそうに近づいてきた。その顔だけで察してしまった。データを復元できなかったんだって。


「そりゃ心細いって言ったらウソになるけど……。でも大丈夫だよ。大学に来ているお陰で、今日も少しずつ記憶を拾えているんだ。

 全ての記憶が戻るまで先は長いだろうけど、それは考えないようにしてる」

「ふっ、懸命だ」


 安心したように目を細めるフミを見て、ある考えがピンと降りてくる。


「あ、もしかして……。それで私に気を遣って、一人で差出人の所に行ったの?スマホのデータが戻らなかった私が落ち込んでいると思って?」


 フミは「うっ」と、声を詰まらせる。お人好しだなぁ。私はそこまで凹んでいないというのに。


 昨日、手紙屋をする彼を見て思ったけど……フミは優しい。相手の気持ちに寄り添うだけでなく、丁寧に気持ちを汲んであげていた。


 今の私にも、そうだ。私が凹んでいると思って、心が回復する時間を意図的に作ってくれた。そこまで慮ってもらえて、こちらとしては感謝しかない。

 といっても……フミは少々、私に過保護すぎる気もするが。


「明日からは、ちゃんと私も連れて行ってね。フミに同行した分だけ、記憶を取り戻すチャンスがあると思うから」

「うん、わかったよ」


 そこへ一組の男女が、私の横を通った。チラチラとこちらを見ている。

 しまった、独り言を喋っているって思われたかも。なんだか居辛いなぁ……。


 キュッと体を縮めた私を見たフミが、おもむろに星空バッグを肩から外す。昨日のようにクルクル巻いていく内に、いつの間にかネックレスへと姿を変えた。


 その瞬間、さっきの女子が「わっ」と声をあげた。彼女の顔を見ると、やや頬が赤らんでいる。その隣にいるのは彼氏だろう。フミを見て熱を上げる彼女へ、冷たい視線を送っている。


「これで僕と話しやすくなるかな?」

「そりゃあ私は有難いけど……。

 いいの? そんなポンポンと人間界に姿を見せちゃって」


 フミは「構わない」と言った。カバンを畳む前に取り出したのであろう、天の川が流れる手紙を二本の指で挟んでいる。


 私の手紙と違うのは、手紙の全容がハッキリ見えていること。私の手紙に流れる天の川は白色だけど、この手紙は鮮やかな青だ。私の物と違い、触れて開封することができるのだろう。私も、記憶さえ戻ったら手紙を開けるのにな。


「受取人は、この大学にいるからね。僕は今日、ここへ仕事をしに来たんだ」

「……へ?」


 少々落ち込んでいると、爆弾発言をされた。

 大学に、手紙の受取人がいる?


「もちろん、ついて来てくれるよね?」

「そりゃあ、さっきそう言ったけど……」


 私も同行させてほしい、と言ったばかりだけど……。同じ大学の人が、亡くなった人からの手紙を受け取るなんて。なんというか、すごい確率だ。


「じゃ、そろそろ行こうか。それとも先に、芹香の用事を済ます?」

「……ううん」


 私は、フミが持つ手紙を見る。


「先に渡しに行こう。だって、大事な手紙でしょ?」

「……うん」


 まるで「優先してくれてありがとう」と言うように、フミがニコリと笑った。……フミに手紙を預けた人は、幸せだろうな。ここまで手紙のことを思ってくれるのだから。


 フミがガタンと席を立つ。するとラウンジにいた女子達がビクリと肩を跳ね上げた。ペットボトルから、参考書から、ラケットカバーから……ありとあらゆる物から、顔を覗かせてフミを観察していたらしい。


 彼女たちは今や分かりやすい仕草で、「何も見ていませんよ」と言わんばかりに、あちこちに視線を彷徨わせている。


「ねぇフミ、ギリギリまで姿を見せない方がいいんじゃない?」


 見られることでソワソワしないだろうか?

 しかし気にする私とは反対に、当の本人はあっけらかんとしていた。


「全然。だって僕、日ごろは誰にも見られないからね。気にしてくれる人がいて、むしろ嬉しくなっちゃうほどだよ」

「そういうものなの?」

「『存在しない物として扱われる』のは、胸にくるものがあるよ。

 構ってほしくてちょっかいかけちゃう幽霊の気持ちが、少しだけ分かるもん」


 言いながら、上へ視線を彷徨わせるフミ。……まさか、この大学にもいるのだろうか。想像すると、ザッと体温が下がる。


 おそらく顔面蒼白になっていたのだろう。私を見たフミが「冗談だよ」と、やや慌てて訂正した。


「だけど、そういう意味では……

 僕の方が、君より孤独を知っているかもね」

「え?」

「なんてね、冗談だよ」


 そう言って笑ったフミだけど、やや影を落とした顔は「冗談」には見えなかった。きっと彼は何か理由があり、孤独を知る人なのだろう。


 彼が手紙屋に従事するのは、姿も声も届かない人の孤独を晴らしてあげるためじゃないかって。そんなことを思った。

 孤独を知るフミだからこそ、人と人を繋ぐ手紙の大切さを、誰よりも理解しているのかもしれない。





 半透明のコンパスを出して、そこから伸びる赤い糸を辿る。受取人は、なんと最上階にいるらしい。この棟は六階建て。残念なことに、エレベーターは存在しない。


「はぁ、はぁ……」

「四階まで来たね。ちょっと休憩しようか」

「ご、ごめん……」


 昨日もこんな事があったけど、これは昨日の比ではない。六階まで上るなんて、病み上がりの私には、もはや過酷な試練だ。意外にも、手紙屋さんって体力仕事……!


 壁に背を預け、浅い呼吸を繰り返す。ずっと階段を上ったから、もう足がパンパンだ。

 何か、何か別のことを考えないと……。

 この痛みを忘れる、別のことを!


「あ、そう言えば、手紙のシステムについて疑問があるの。

 どうして差出人と一緒に、受取人を探さないの?自分の手紙が相手に届く瞬間って、普通は見たいと思うけど」

「……さっきも言ったけど」


 フミは私を見た後。

 窓の外へ、ツイと視線を投げる。


「差出人は、死んだ人だ。受取人は基本、その姿を見ることができない。

 基本と言ったのは、稀に『霊感がある受け取り人がいるから』だ。その人であれば、死んだ差出人を見ることができるかもしれないけど……」


 それでも確率としては低い――と、フミは瞼を閉じる。


「目の前にいるのに、見てもらえない。触れないし、話もできない。

 ただでさえ死んだことで傷ついている差出人の心に、わざわざ追い打ちを掛けなくてもいい」


 そのために僕がいるんだ――と。

 フミはネックレスをチャリンと触る。


「それに会いたい人が目の前にいるなら、わざわざ手紙なんて書かなくていいだろう?

 文字なんて必要ない。言葉で伝えればいいんだから。僕が差出人の言葉を代弁することだって出来るしね」

「どうして、そうしないの?」

「手紙でしか伝えられない気持ちがあるからさ。

 あそこの男女を見てごらんよ」


 フミは、楽器を背負った男女を見る。距離感が近いところを見れば、カップルなのだろう。


 女性が「今日の髪がんばったんだ。似合う?」と質問している。瞬間、男性が明らかに困惑した。耳が赤いところを見ると「似合う」と思っているのだろうが……奥手なのだろう。キラキラした視線を向ける彼女から、フイと顔を逸らしてしまう。

 もちろん彼女は気に入らない。「ねぇ似合う? 似合わない?」と詰め寄った。


「うん。似合う、似合うから」


 彼氏が苦し紛れに答えた言葉は、女性にとってさぞ乱暴に響いたことだろう。

 答えを催促された男性が、面倒がって答えた――という図にしか見えない。当然、彼女はムッとする。


「もういいよ」

「え、ちょっと待ってよ」


 スタスタと先を行く彼女を、彼氏が慌てて追いかける。


「本当に似合うと思ってるって」と言っても、時すでに遅し。火に油を注ぐだけだ。

 ここから距離が離れても、二人の言い合いはしばらく響いていた。


「和歌なんて道具を用いて、遠回しに恋文を詠んでいた歴史があるように。

 自分の気持ちを素直に伝えることを、日本人は苦手とする。

 今際の際に、そんなすれ違いを起こしてほしくない。だって本当に最期だから。

 もう二度と気持ちを伝えられないという時に、さっきみたいにケンカになったらどうする?」


 私の答えを待たずにフミが、「代弁する俺が板挟みになる未来が見える」と肩を落とす。

 あ、自分のことを心配していたのか。てっきり、ケンカしたまま今生の別れになる二人に同情したのかと思った。


「つまり原点回帰だよ」


 フミは、平安時代に貴族が月を見上げたように。趣のある顔で、真夏の太陽を見る。


「文字を使えば素直な気持ちを伝えられるなら、どんどん手紙を書けばいい。その人の言葉で、その人の気持ちを伝えればいい。

 思いを込めて書いた手紙っていうのは……

 書いた人だけじゃなく、受け取る人をも救ってくれるからね」


 ふと昨日の老夫婦を思い出す。

 確かに手紙を出したおばあちゃんも、受け取ったおじいちゃんも、手紙のおかげで笑顔になっていた。


 大切な人と離れ離れになった人達にとって、手紙は「救い」になるのだと。私は初めて知る。


「声とは違い、形に残るのも良い。手紙に触ると、孤独が晴れる気がする。

 だから僕は手紙が好きなんだ。

 死んだ人だけじゃなく、生きてる人にも書いてほしいって思うよ」


 今は便利な物があるから難しいとは思うけどね、と。フミは、私が持つスマホを見やった。少し寂しそうな目で。


「――さ、休憩おわり。

 あぁ~。室内にいるのに、汗がすごいや」

「顔も少し赤い。さっき窓に顔を向けたからだね」

「そんなことで? そりゃセミも逃げるよ」


 自分が苦手に思うセミにまで、同情心を寄せるとは。フミって、本当にお人好しだ。


「それにしても、手紙かぁ……」


 久しぶりに書いてみたいと思った。

 そのためにも、早く記憶を見つけたい。


 記憶を思い出した時――

 私が一番に書く手紙は、誰に宛てるものだろう。

 

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