17 取り戻した笑み
「すみません、お待たせしました」
しばらくして戻ってきたフェリスを前に、ラフニカはしみじみと思った。——彼が獣化しているときに告白して正解だった、と。
己の恋心を自覚してから久々に会う、人型のフェリスの姿。
彼を直視した途端、言葉が出なくなるほどに喉の奥がぎゅうっと詰まって心臓が早鐘を打ちはじめる。こんな状態で告白なんて、到底できなかったに違いない。
歩み寄るフェリスは、何故か思い詰めたような緊張した顔をしていた。そしてさらに不思議なことに、以前ラフニカが絶賛した儀礼服を身に纏っていた。その姿は、相変わらず直視できないほどに麗わしい。
この後何か用事があるのだろうか、とぼんやり考えるラフニカの前まで来ると、フェリスは恭しく膝をつく。そして壊れ物に触れるかのような慎重な手つきでラフニカの手をとり、彼は切り出した。
「俺、フェリスは貴女に永遠の愛と忠誠を尽くすことを誓います。どうか、命尽きるまで貴女の傍にいることをお許しください」
言い終えても跪いたまま、フェリスはじっとラフニカを見つめる。その告げられた言葉と彼の視線の熱さに、ラフニカはただ言葉を失った。
彼の言葉は、騎士の誓いをベースにした有名な愛の告白だ。麗しの騎士が最愛の女性に愛を乞う——それはまるで絵物語のように美しい光景。
これが自分と関係なければ、その姿にただうっとりと見惚れたであろう。——フェリスの目が、ただ一心に自分に向けられていなければ。
「どうか、許す、と」
凍りついたように動けずにいるラフニカに、フェリスが囁いた。考えることを放棄した口が勝手に言葉を紡ぐ。
「許します」
その瞬間窓から風が舞い込み、跪くフェリスの髪を吹き上げた。あらわになったフェリスの顔が喜びに彩られていく。
そのとき見せたフェリスの笑みを、ラフニカはきっと一生忘れないだろう。色気に満ちて、それでいて少年のような純真な笑み。パァっと輝いた顔で、その答えが嬉しいと全力で伝えてくる。
その顔に思わず見惚れるラフニカの手をそっと持ち上げ、フェリスは唇を押し当てた。その柔らかな感触に、迷走していた思考が一瞬クリアになり、そして爆発する。
「〜〜〜〜〜〜!!」
「嬉しい……俺、生きてて良かったホントに……」
真っ赤な顔でジタバタするラフニカを置き去りに、フェリスはうっとりと目を細める。いつの間にか手は絡めとられ、そして何度もすり、と頬擦りされていた。
「……抱き締めても良い??」
うるうるとした上目遣いで訊かれる。わざわざ確認される羞恥に目を合わせることもできず、俯いて頷いた。途端、待ちきれなかったとばかりにガバリとフェリスの腕が首筋に回される。
「ラフニカちゃんから言ってもらえるなんて……いや、男としては自分から告白すべきなのかもだけど、もうホントに嬉しくて……俺、死にそう……」
「大袈裟ですよ」
躊躇いながらもラフニカもフェリスの背中に手を回す。それを受けて、フェリスはさらに抱き締める力を強めた。
首筋に感じる彼の吐息、全身をすっぽりと覆う彼の体温、息が苦しくなるほどの抱擁——幸福感に脳が焼き切れそうだ。
「ずっと、ラフニカちゃんに拾われたときからずっと、好きだったんです。死にかけた俺を助けてくれた恩だけじゃない。あの頃からラフニカちゃんは真っ直ぐで、泥にまみれても輝いていて、易きに流されずいつも真摯だった。その在り方が眩しくて、貴女の価値を認めない周囲が歯痒くて仕方なかった。ラフニカちゃんは素敵な人なのに、誰も……ラフニカちゃん自身すらそれを認めないことが悔しくて。でも、当時の俺は人型になれなかったからそれを伝えられなくて」
ぐ、とラフニカをもう一度引き戻すように抱き締め、フェリスは言葉が間に合わないとでも言うかのようにもどかしそうに続ける。
「ラフニカちゃん自身が信じてなくても、俺にとって貴女は何よりも価値のある存在で、唯一で、絶対なんだ。そんな貴女が呪われて平気でなんて……いられない」
好きなんです、とフェリスの声が耳元で囁く。
耳元をくすぐる官能的な吐息に、ラフニカの身体が思わず固くなった。その反応に「あ、そうだ」とフェリスは慌てたような声を洩らす。
「その、そういえば言っときたいことがあって! 俺が女たらしだって噂、あれウソですから!! そりゃ確かにラフニカちゃんの好みが『モテる男』だと思っていた時期は女性に好かれるように振る舞っていましたけど……でも、その、女性とそういう関係になったことは一度もないですし、俺ずっとラフニカちゃんのことしか見てなかったんで……!!」
抱擁をやめアタフタと顔の周りで何度も手を振って、フェリスは一生懸命主張する。そして「信じて」と懇願するようにラフニカの胸元にすがりついた。
落ち着かなそうに振られる尻尾が、パシン、パシンと音を立てて地面に叩きつけられる。
「まぁ」
そんな彼を前に、ラフニカはじわじわと笑いが込み上げてくるのを感じていた。
その必死な姿と、突然明かされたフェリスの『遊び人』として振る舞っていた理由。そのどちらもが思いがけなくて、可愛らしく愛おしい。
「ええ、ええ。安心してください。そのことはもう、スィーン団長から聞いていますよ」
慰めるようにフェリスの髪を撫でる。その反応に嬉しそうに顔を上げたフェリスは、驚きに満ちた声を上げた。
「ラフニカちゃん、笑ってる……?」
え、と頬に手を当てる。
今まで何度試みても、ピクリとも動くことのなかった口角。それが。
「私、笑ってる……?」
——フェリスが指摘したとおり、確かに上がっていた。
「そうか、呪いが解けたから……」
掠れた声で呟いて、フェリスは恥ずかしそうに顔を覆う。そして何度も何度も首を振った。
「マジで、マジで可愛すぎる……ラフニカちゃんの笑顔がもう一度見られるなんて……俺、本当に良かった……」
涙ぐみながら抱きつくフェリスに、ラフニカはもう「大袈裟ですよ」とは言えなかった。
苦しくなるほどの全力のハグを受け止めて、ゆっくりと目を閉じる。
——確かめなくても、はっきりとわかる。
その唇には、今までで一番幸せな微笑みが浮かんでいた。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
——一方、その頃。
「イヤァァアアア、痛い痛い痛い! 苦しい、痛い、イタイ、どうして私が……!!」
遠く離れた館で、床の上で転がり回って苦しむ女性と、それをただオロオロと見守ることしかできない男が居た。
ラフニカを呪っていたリリアと、その夫……かつてのラフニカの婚約者、ジファールである。
「だ、大丈夫かい、リリア……」
しばらくして悲鳴が収まった彼女を抱き起こして、ジファールは目を見開いた。腕の中の彼女が……若くて美しい自慢の新妻が、まるで老婆のような姿に成り果てていたからだ。
思わず身を引こうとする彼を逃すまいとするかのように、老婆はジファールの腕に縋りつく。その腕もかつての瑞々しさは消え、枯れ枝のように細く、色褪せ、皺とシミが目立つものとなっていた。
「どうして距離をとろうとするの、アル様?」
ゼイゼイとした呼吸の中、リリアは恨めしそうに言う。老いさらばえた姿になってもなお、その眼光だけはまだ鋭い。
「あなたは思いやりに満ちた優しい方ですもの。苦しんでいる私を捨てたりはしないでしょう?」
「も……もちろんさ」
喉に言葉をつかえさせながらも、ジファールはなんとか返す。その返事が自分の首を絞めることになるとわかっていても、そう答えるよりほかなかった。
——今まで周囲に好青年と映るように振る舞って生きてきたジファール。その虚像を守ることに常に意識を払ってきた彼がそのようなこと、口にできるはずがない。自分が築いてきたその人物像を覆すには、あまりに覚悟も時間も足りていなかった。
さらに現実的な話をするのであれば、この婚姻は元々の縁談を捻じ曲げてまで成したもの。その政略的な意味合いを無視してリリアを切り捨てるなど、許されるはずもない。
「良かった、アル様。愛してるわ……」
苦悶の表情を浮かべながらも、リリアはカサカサの声で愛の言葉を囁く。
普段から口にしている、羽よりも軽い愛の言葉。それに対するジファールの答えはない。
——どうして、こんなことに。私はただ、自分に相応しいアルマンドを手に入れたかっただけなのに。
焦点の霞む目で、リリアは夫の顔を見あげる。ラフニカを押し除けてでも手に入れたかった、理想の相手。
お互い目が合った瞬間に一目で恋に落ち、許されざる愛に燃え上がり、最良の伴侶を勝ち取ったはずだった。
それなのに今、彼の瞳にあの時の熱はない。……それはきっと、リリアも同じこと。
——自分は結局、何を手に入れたのだろう。
お互いの顔を見合わせる。そこにあると信じていた愛の炎はもう跡形もなく、ただ執着と虚飾と後悔の色だけが残っていた。
これにて本編終了です。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
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