第79話 私の想いを受け取って
迎えた金曜日。私はいよいよ作戦を実行することにする。
ただ、お兄ちゃんは部活をしてきて帰ってきた後、さらに街の中を走りに行くので、すぐに渡すというのは難しい。
なので、帰ってきてから渡すのが自然ということになる。
正直言って、そんなに待たされるのは私としては我慢ならない話になるわ。でも、強引に事を運ぶのは、いくらお兄ちゃんの妹として潜り込んだとはいえ、警戒感を与えてしまう。
そう、できる限り自然な流れの中で作戦を実行したい。だから、夕食の後までタイミングを待つことにした。
(おとなしく時を待つのよ、私……。うん、落ち着け)
いざバレンタインでチョコレートを渡そうとするも、ここに来てものすごく緊張してしまっている。こんなことは初めてだわ。
前世というか、生きていた頃の最後でだって、こんなに緊張した覚えはまったくない。むしろ、こういうものだと受け入れていた気持ちすらある。
(いやいや、いくらお兄ちゃんの魂が想い人のものだとはしても、さすがにここまで緊張するなんて思ってもみなかったわ。……私もこの時代の少女みたいになったとでもいうのかしらね)
とにかく、お兄ちゃんが戻ってくるまでの間、私はどのようにしてチョコレートを渡そうか、何度も練習をしてみた。
そんな中、ふと視線を感じたので窓の方を見る。
「……下僕が!」
そう、窓の外には私の下僕であるトラ猫がいた。まったく、にやけたような表情をして腹立たしいったらありゃしない。獣のくせに、いっちょ前に人のことを笑うんじゃないわよ。
私は怒りながら窓を開ける。
「にゃっ?!」
私の首根っこをつかまれた下僕は、ものすごく驚いて慌てている。生意気な下僕が、油断をするからそういうことになる。
「まったく、人の顔を見て笑うとは、いい身分になったものだわね」
私が睨むと、下僕は慌てたようにじたばたと暴れ始めた。
だが、逃げられると思うな。
「そういえば、チョコレートって猫にとっては毒なのよね。……お前に食わせたらどうなるか、その身で試してやろうか?」
『にゃにゃっ、やめて下さいにゃ! あたしがいなくなったら、あの女の監視は誰がするんですにゃ』
「うるさい。私の機嫌を損ねてくるお前がすべて悪い。死にたくなければ、笑ってないで仕事をしろ。この獣風情が……」
そう言いながらも、私は下僕を窓の外へと放り投げる。
『にゃにゃにゃっ?! それはあんまりというものですにゃ、主!』
そう言いながら、窓の外へと放り投げられた下僕は、器用に屋根の上に戻ってきた。ちっ、地味にしぶといやつだな。
その生存への執念に免じて、今回だけは許してやろう。
私は冷たく下僕を睨み続けた。
『本当に、主は冷淡ですにゃあ……。あたしじゃなきゃ、そのまま地面行きでしたよ』
部屋に入る前にきちんと足裏を処理して、文句を言いながらも下僕は部屋の中へと入ってくる。
無事に部屋に戻ってきたことに舌打ちをしながら、私は寒さをしのぐために窓を閉める。
「それで、何をしに来た。今日は作戦の決行日だから、早めに済ませておくれ」
『分かりましたにゃあ』
下僕の報告を聞いた私は、怒りがふつふつと湧いてきた。
「下僕、それは本当なのかしら」
『この目ではっきりと見たから間違いないですにゃ。あの女、主の兄と一緒に走っているのですにゃ』
「あの泥棒猫めが……」
私は怒りに震えた。
せっかくお兄ちゃんとの接点を断ち切っていて安心していたと思ったら、またそんな風に仲を取り戻しているとは思わなかったもの。なるほど、チョコレートを渡していたのも頷けるわ。
「……くそっ。今夜、絶対にこのまじないを効かせたチョコレートをお兄ちゃんに渡すわよ。あの女に、絶対お兄ちゃんを渡すものですか」
『主は、どうしてそこまでこだわるのにゃ?』
「お前には関係ない! さっさと監視に戻れ!」
『にゃにゃっ!?』
私はさすがに堪忍袋の緒が切れた。学校のカバンをそのまま下僕に投げつけると、しっぽを踏もうと力強く足を踏み出す。
だが、どちらもちゃんと躱すとは、下僕のくせに生意気だわね。
『あ、あたしは監視に戻りますにゃ。主の作戦が成功することを祈ってますにゃ』
さすがに身の危険を感じたらしく、下僕は器用に窓を開けて部屋を出ていく。本当に腹の立つ猫だわね。
しかし、いつまでも苛立ってばかりもいられない。今夜はいよいよ作戦を実行する時なのだから。
私はその時に向けて、すっと心を落ち着ける。このままじゃ成功するものも成功しなくなるわ。
(お兄ちゃんは私のものよ。他の誰にも渡さない。渡してなるものですか)
私は胸の前で拳を握りしめて、口角を高く上げて笑う。
そして、その時をただ静かに待った。
夕食も終わり、ある程度時間が過ぎた時だった。
私は台所にある冷蔵庫へと向かい、包みに入ったチョコレートを手に取る。前日の夜、頑張って作ったチョコレートよ。
私はその包みを持って、お兄ちゃんの部屋へと向かう。
一度深呼吸をして、落ち着いて部屋の扉をノックする。
「お兄ちゃん、ちょっとい~い?」
しばらくすると扉が開き、お兄ちゃんが出てくる。
「なんだ、真鈴。何かあったのか?」
「うん、お兄ちゃんにこれをあげる。ほら、今日って十四日だから」
「ああ、バレンタインか。うん、もらっておくよ」
お兄ちゃんは私からチョコレートを受け取ると、そのまま扉を閉めてしまいそうになる。
このままじゃ、食べてもらえないままに終わりそうだと慌てた私は、ドアが閉まらないように妨害する。
お兄ちゃんはびっくりしていたけれど、私は最後の仕上げにこう話しかけてあげたわ。
「私の目の前で食べてほしいの。お兄ちゃん、いいよね?」
私の言葉に困った顔をしながらも、お兄ちゃんは包みを開けてチョコレートをじっと見つめている。
そこへ、私はトドメとなるように言葉にまじないを乗せながらこうお願いした。
「私からのチョコレート、食べてほしいな」
ふふっ、私のまじないに抗えるかしら。
私は笑顔のまま、お兄ちゃんの様子を見守ったのだった。




