第10話 見知らぬ天蓋(後)
「大丈夫です。マチルダは変わりましたのよ。もう、皆様に心配をかけたりしません」
そういう空回りっぽいところが不安なんだけどね。
「じゃあ、君たちのことを教えてくれよ。魔人狩りのこと。マチルダも凄かったじゃないか。魔法みたいに光を飛ばしてさ」
俺は露骨におどけてみせた。彼女には立派なリーダーになって欲しいけど、彼女の教育係は俺じゃない。学ばないといけないのは俺の方だ。
「そうですねぇ。魔人狩りについてですが……前もお話ししたように肝心なことは父から何も聞いていません。全ては聞きかじりの知識です。ですから、あまり面白いお話もできそうにないですわ」
そう言って考え込んでしまう。
俺は急かすまいと黙ってじっと彼女を見つめる。
うーんうーんとうなってようやく何かを閃めいたようで、部屋の壁一方に飾られた二本角の兎のレリーフを指さす。
「我々は、ウェザーエザー家の紋章にちなんで『ホーンド・ヘアー』(角ある兎)と呼ばれていますわ」
「兎に角だな」
「何がとにかくですの?」
「いや、英語では説明できない。僕が悪かった」
話題が途切れたのを待ち構えていたように、鐘の音が鳴る。
「さて、十兵衛様。屋敷にはいつまで居ていただいても構いませんのよ。ですから、時間はいくらでもあります。続きは夕食を食べながらでも構いませんよね。十兵衛様が、『また』お腹を減らしたら大変なことになりますもの」
いや、勝手に腹ペコキャラにされても困るぞ。むしろ何日も飲まず食わずで旅をしていたんだ。我慢強い方なんだと抗議もそこそこ、確かに質問攻めも可哀そうだと納得する。今日のところは夕食楽しみにしていると告げて、マチルダを見送ることにした。
「十兵衛様、カモはお好きですか」
「ああ。日本でもカモは食べる。僕の国ではカモはネギを背負ってくるんだ」
理解が追い付かないようで首をかしげる。いや、俺が悪かった。
「それでは、ごゆるりと」
◇
腹は減らないが、頭の方の飢えは収まらなかった。
圧倒的に情報が足りない中で、自分が何を知るべきか何度も何度も繰り返し検討する。
窓の外に広がるのは、世界最大の都市ロンドンの街並み。おそらくウェストミンスターか。大英帝国の政治の中心地。日本大使館とそう距離もないだろう。
興奮は強まるばかりで一向に落ち着かない。
テーブルの上に置かれていた紅錆を手に取ると、ゆっくりと刀身を抜く。
紅玉のような赤い光を放つこともない。古びた、特段美しくもない、平凡で、無個性な一振りの鋼。
二度三度素振りを試みる。
動かぬ藁しか斬ったことのない俺が、ようやく動く肉塊を斬った。ただそれだけのこと。
致命的なものが欠けていた。命のやり取り、その圧倒的な緊張感の中で是が非でも相手の命を刈り取ろうとする強い情念。
希望を刈り取り、尊厳を踏みにじる。一切の躊躇なく、勝利に意味を問わない。
俺の限界を『先生』は知っていた。
だから、俺に必要なのは、あの力だった。
圧倒的な力を見た。一瞬だがその力が俺の中を駆け巡った。
力さえあれば機関も俺を邪険に扱うことはできないはずだ。
魔都ロンドン。俺はこの地で慮外の希望を見いだしていたのだった。




