魔鳥出現
「さて皆さん、本日の討伐訓練はお疲れ様でした。
いつもの訓練と違って実際の生き物を相手にする訓練は、勝手が違ったことだと思います。実際にディアナが討伐するまでは、どこか普段の訓練の延長のような気持ちで取り組んでいるようでした。
今日の訓練でその思い違いはよくわかったことでしょう?
後期にも引き続き討伐訓練は予定されていますし、ユンカー恒例の最終試験も控えています。
魔法士や探索士を目指す方は、今後はより真剣に取り組んでくださいね」
討伐訓練が終わり、レオニーが学生達を前に総括していた。
最終的な結果だけをいえば、最初にしては全体的にうまくできた方だろう。
だがレオニーが口にしたように、途中でディアナが討伐できることを示さなければ、惨憺たる結果となっていたかも知れない状況だったことも確かだ。
レオニーの話を受け、最初に何もできなかったブルーノは、悔しそうな顔で唇を噛んでいた。
――ピィリリリリリ……
そんな中、周りからホイッスルの音が響き渡った。
空を見上げると、赤い発光信号が木々の間からいくつも打ち上がっている。
俄に兵達が慌ただしく動き始め、訓練場は緊張感に包まれた。
「何かあったようですわね」
クラリッサが周りを見渡しながら冷静に状況を確認する。もちろんそういった生徒はまれで、他の多くの学生は不安そうな顔でボソボソと話し合っているだけだった。
やがて訓練場にいた百名前後の兵は、整列がすむと慌ただしく森の奥へと消えていった。
「どうやら本物の魔獣が現れたようです。
わたし達は安全が確認できるまでここに待機することになりました」
レオニーが兵に確認してきたところによると、出現したのは水鳥のサギらしき鳥が変異したものだという。
「たかが水鳥にそこまでするのかよ!」
「こっちに来れば俺たちが返り討ちにしてやるよ!」
学生達は、先ほどまでたった一匹のネズミにすら翻弄されていたことを忘れ、一羽の鳥に訓練場のほとんどの兵力を投入することに疑問を囁き合っている。その言葉に意外にも他の生徒が同調するように頷いていた。
「魔獣、鳥だから魔鳥かしら?
一羽に対して百名というのは過剰に思えるわね」
「魔獣をなめたらダメよ」
楽観視する意見に同調するモニカをアルマが窘めるが、マーヤですら不思議そうな顔を浮かべている。
訓練で魔獣と対峙していたとはいえ、それらは牙を抜かれるなど訓練用に弱体化させられていた。本物の魔獣から放たれる殺気や威圧感は訓練の比ではない。苦労したものの訓練では討伐できたという事実が、彼らを楽観視させる結果となったのはなんとも皮肉であった。
「たかが水鳥が一羽だけといっても、魔獣化すれば大きくなるのよ」
「しかもサギといえば水鳥でも大型の部類ですわ。それが魔獣化したのでしたら翼を広げれば、馬や牛を超える大きさになるかしら?」
「想像してみて。それが空からわたし達を襲ってくるのよ!」
「それが想像できれば、たかが水鳥なんて言葉は出ませんわ」
二人ともアルマとクラリッサからの説明で、ようやく脅威が想像できたのだろう。二人は青い顔を浮かべて身を寄せ合っていた。
「あたしの村にシカの魔獣が出たことがある」
それまで黙っていたディアナが、ボソリと話し始める。
「魔獣化して牛ぐらいの大きさになってた。だけど敏捷性はシカのままだった」
シカは質量が大幅に増大しながらも、機敏な動きはまるで衰えていなかった。魔法の使えない者では、ほとんど役に立たず足止めすらできなかったのだ。そのときは母と伯父が魔法で必死に足止めして、最後は身体強化魔法を使える父が、左手を失いながらもなんとかとどめを刺したのだった。
「大きな魔獣はそれだけで脅威。しかもそれが殺意を向けて襲ってくる。
それに加えて今回は空を自由に飛び回れるというのは恐怖しかない」
訓練で圧倒的な実力を見せつけたディアナが、恐怖を隠そうともせずに淡々と語る姿は、それまで楽観視していた学生達に冷水を浴びせ、その後は全体的に緊張感が増したのだった。
ディアナ達が訓練場内に留め置かれて数時間が経っていた。
夕刻が近づくにつれ、森の中は少しずつ暗くなってきていた。
「この分だと晩御飯の時間には帰れそうもないわねぇ」
そう言ってアルマが溜息を吐いた。
彼女らが暮らすクノール寄宿舎では食事の時間が決まっていて、その時間が過ぎると厨房の火が落とされるのだ。常駐している寮母と違って料理人は通いのため、遅くなれば調理する者がいなくなってしまう。それに加えて学生が厨房を使ったり調理したりすることは禁止されているため、これ以上遅くなればどこかで外食しなければならなくなるのだ。
「それじゃ、よかったら家の店で食べてってよ。今日はマーヤも来るでしょ?」
「うん」
マーヤはよくモニカの店で食事を摂っているらしく、迷うことなくすぐに頷いた。
「そうねぇ、どうせ外食になりそうだし、せっかくだから今日はモニカのところで食べようかな?」
「そうですわね。帰ってから食堂を探すのも面倒ですしそうしましょう」
「ん」
飲食店が並ぶアルホフ通りには三人共よく行くが、決まってパフェを食べることが目的であり、それ以外の店にほとんど入ったことはなかった。
聞けばモニカの店は、いつものカフェからほど近いところにあり、通りでもそこそこ評判のお店なのだという。
「もしかして、ク、クラリッサ様もいらっしゃるのですか!?」
いまだに貴族に対して気後れしているマーヤが思わず声を上げた。
「あら、わたくしもディアナさんやアルマさんと一緒に、寄宿舎で暮らしていますもの、当然ではありませんか。それともマーヤさんは、わたくしがご一緒するのは嫌なのかしら?」
「い、いえ、そんな、訳ではありま、せん。
す、す、すみません、わたし今日は家に帰って食べます」
なかなか緊張が取れないマーヤに、クラリッサが気安くからかうように告げるが、それは完全に逆効果だったようだ。真っ青な顔になって涙を浮かべたマーヤの様子に、今度はクラリッサが慌てる番となった。
「んもう、クレアちゃんやり過ぎよ。マーヤちゃん泣いちゃったじゃない!」
すぐにアルマとモニカがマーヤに寄り添い「クレアちゃんの冗談だから」となだめ、クラリッサも謝罪することでなんとか落ち着きを取り戻すのだった。
「クレアは気をつけないとパワハラになる。あたし達と同じようにしちゃダメ」
「わかりましたわ。今度から気をつけますわ。
それよりわたくしの言動がパワハラに当たるなら、ディアナさんのわたくしへの態度は不敬罪に当たるのではなくて?」
ディアナの言葉に反応したクラリッサが口を尖らせて反論する。
「おっと、藪蛇だった」
思わぬ反撃に遭ったディアナがそう言って軽く舌を出せば、五人に笑顔が広がるのだった。
「何!?」
「赤い光?」
突然、発行信号の赤い光が複数、夕暮れの訓練場付近から打ち上がった。
その直後、魔鳥が訓練場上空に出現し、獲物を見定めるように旋回を始める。
「魔獣討伐に失敗!
学生達は至急退避を!」
「退避だ。急げ!」
残っていた兵が槍を手に、上空を警戒しながら学生達に退避を促す。
同時に兵達が、魔法で照明弾をいくつも打ち上げる。
残った兵の数では光量は圧倒的に足りないが、上空を旋回する魔鳥の姿を露わにするには十分だった。
「でかっ!」
「ひっ!」
巨大な魔鳥の赤黒い禍々しい姿に、学生達は蜂の巣をつついたように大騒ぎとなった。
騒然とする中、ディアナは冷静に周りを見渡した。討伐に向かった兵はまだ戻っておらず、訓練場には必死に避難誘導している兵の姿があるだけで、迎撃できる状況ではなかった。
「クレア、アルマ、行くよ」
ディアナは杖を取り、上空をキッと睨む。
「そうですわね。どうやらわたくし達しか戦えなさそうですわね」
「皆が避難する時間を稼がなきゃ」
ディアナの考えと同じだったのだろう。
クラリッサもアルマも迷いを見せることなく、すぐにディアナに続いた。
「ちょ、ちょっとアルマちゃん達どこに行くの!?」
血相を変えたモニカが、三人を呼び止めた。
彼女の傍にはマーヤが心配そうな表情で寄り添っている。
「心配いらないわ。討伐に行った兵隊さんが戻るまで鳥さんとちょっと遊んでくるだけよ」
心配かけないように軽い口調で言いたかったのだろうが、アルマの気持ちとは裏腹に固く緊張感に溢れた言葉になってしまった。その言葉の意味に気付いた二人は顔色を失う。
「そんな……」
「たった三人で何ができるの?」
「何もするつもりはありませんわ。アルマさんが言ったように、皆さんの逃げる時間を稼ぐだけですわ」
慌てて引き止めようとするモニカ達に、クラリッサの落ち着いた静かな声が響く。
「ほとんどの兵が出払ってる中、討伐の経験があるのはわたくし達だけでしょう?
足止めするだけなら、この中ではわたくし達が適任ですわ」
「三人だけなんて危険よ。わたしも行くわ!」
「訓練と実戦は違う。気持ちは嬉しいけどモニカもマーヤも足手まといにしかならない」
杖を取ろうとするモニカだったが、ディアナの厳しい声に動きを止める。
こんなとき、ディアナの口調を注意することの多いアルマだったが、今回ばかりはディアナと同意見のようで、見つめる二人にアルマは静かに首を振った。
「大丈夫。無茶はしない」
「危なくなったら逃げるから心配しないで」
「わたくし達が相手をしている間、あなた達のすることはここから確実に避難することですわ」
モニカ達に心配かけまいとする三者三様の言葉に、二人は涙を浮かべながら納得したように頷いた。
「必ず帰ってきてね」
「帰ったら家の店で祝勝会よ」
心配そうなモニカに、笑顔を浮かべたアルマが頷く。
「料理は大盛りでよろしく」
ディアナがそう言うと、三人は彼女らに背を向けた。
「わかったわ。お父さんにちゃんと言っとくから無茶しないでね」
そのモニカの言葉に、ディアナは首だけを少し振り返って、笑顔を浮かべて親指を立てて見せた。
 




