退学は嫌。だけど後悔はない
「ディアナさん(ちゃん)!」
ディアナが目を覚ましたのは、その日の午後遅くになってからだった。
うっすらと目を開けたディアナの目の前に、クラリッサとアルマの顔が飛び込んでくる。
「……クレア、……アルマ」
ぼんやりした目でディアナが二人の名を呼ぶと、二人はホッとしたようにベッド脇のスツールにストンと腰を落とした。
ディアナが周りを見渡したところ、殺風景な部屋と若干の消毒液の匂いがする。どうやら彼女は保健室に寝かされているようだった。
「よかったぁ、ゴメンねわたしを庇ったせいで」
すぐにアルマがディアナの手を取る。
自分を庇ったせいで、ディアナがこんなことになってしまったと思い込んでるアルマが、彼女が無事に目を覚ましたことでそれまで抑えていた感情が爆発したように涙を流した。
「アルマのせいじゃない。あたしがヘマをしただけ」
ディアナはいつも自分がされているようにアルマの頭をなで、にっこりと微笑んで見せた。
その笑顔に感激したアルマは、思わずディアナに抱きつこうとする。
「うぅぅぅ、ディアナちゃぁぐえっ!」
「アルマさんそこまで!」
すばやくアルマの襟元をつかんで引き止めたクラリッサ。
アルマは勢い余って、のど元に襟が食い込んでカエルの鳴き声のような奇声を上げた。
「ひどいよクレアちゃん。せっかくあたしの感動を邪魔するなんて」
「ディアナさんは目が覚めたばかりですのに、あの勢いで抱きついたらまた気を失ってしまいますわ」
口を尖らせたアルマに、呆れたようにクラリッサが溜息を吐く。
「あ、そうだった。ついいつもの癖で、ゴメンね」
「それでディアナさん。勢いよく飛ばされてましたけれど身体は大丈夫?
どこか身体におかしなところはないかしら?」
クラリッサに問われて初めて、自分が吹き飛ばされたこと、そして気を失ったことを思い出した。
「……ん、大丈夫」
ベッドの上で腕や首を回したり身体をひねったりしてみるが、特に痛みが残っているような箇所はない。
ただ頭に包帯が巻かれているらしく、髪型が崩れるのがちょっと気になりそっと触ってみた。
「頭は少し出血があったから包帯を巻いてますけれど、傷は残らないそうですわ」
「すごい勢いで飛ばされたから、わたしディアナちゃんが死んじゃうってパニックになっちゃった」
「レオニー先生の話だと、それぐらいですんで奇跡だと仰ってましたわ。全身の骨が砕けててもおかしくなかったって。もしかしたら身体強化してたんじゃないかって言ってましたけれど」
ディアナが打ち付けられた場所の壁にはひびが入り、教室内も嵐に遭ったかのような大惨事となっていた。そんな惨状の中で、ほとんど外傷がなかったディアナを見て、治療に当たったレオニーが驚いていたらしい。
「必死だったからよく覚えてないけど多分そう」
最初は魔法を相殺しようと考えたディアナだったが間に合わないと考え、傍にいたアルマを咄嗟に突き飛ばした。
その後はわずか一瞬のことだったが、彼女にはまるでスローモーションのように景色が流れて見えた。その際不意にアランの言葉が脳裏を駆け巡った。
『凄いぞディアナ! お前は天才だ!』
確か初めて身体強化魔法を教わった時だったか。
若木の幹をへし折ったディアナに、アランが興奮した様子で口にした言葉だ。
褒められて嬉しかったのを覚えている。そのあと二人揃ってヘイディに叱られたけれど。
そんなことを思い出した瞬間、無意識に彼女は魔力を全身に巡らせていた。
直後に壁に打ち付けられ、呼吸ができなくなったために魔力が霧散してしまったが、ほとんど外傷がないことから、身体強化はぎりぎりで間に合ったのだろう。
これまで防御に使う機会がなかったが、身体強化魔法は使い勝手のよい魔法だとあらためて感じるのだった。
『お父さんありがとう』
ディアナは軽く瞑目すると父への感謝の言葉を念じるのだった。
「大丈夫、どっか痛むの?」
その様子を勘違いしたアルマが、ディアナの顔をのぞき込むように尋ねる。
クラリッサも心配そうな顔を浮かべている。
「ううん大丈夫。平気」
「どこか痛かったり、気持ち悪くなったらすぐに言ってね?」
「うん、ありがとう」
しばらく三人でおしゃべりしていると、疲れた表情のレオニーがディアナの様子を見に来た。
彼女は一組の今期の担当教師となっていた。
レオニーは教室の後始末のあと、ディアナとブルーノの処分について、たった今まで会議がおこなわれていたのだと説明した。
「さてディアナさん。
あなた新学期早々にとんでもないことをしてくれましたね?」
「……すみません先生」
「ディアナちゃん以上にとんでもないことをしたのは、ブルーノの方ではありませんか、先生?」
「そうですわね。そのせいでディアナさんが危うく大けがを負うところでしたもの」
すぐにアルマとクラリッサがディアナを庇う。
「それはわかっています。
ですが先にディアナが魔法でブルーノを攻撃したのは事実でしょう?」
「いいえ先生、攻撃魔法ではありませんわ。
ディアナさんは生活魔法を使っただけです」
「そうです、あれはただの水魔法でした。
ただ少し魔力を込めすぎたかもしれません」
「あなたたちと水掛け論をするつもりはありません。生活魔法でも攻撃魔法でもどちらでもいいのです。
先生はディアナが魔法を人に向けて使った事実を言っているの」
必死でディアナを庇おうとする二人だが、レオニーの正論には押し黙るしかなかった。
「二人ともありがとう。あなたたちが友達でよかった」
「ディアナさん(ちゃん)……」
ディアナの言葉にアルマがまた抱きつきそうになるが寸前でグッとこらえ、二人は悔しそうに引き下がった。
「さて、あらためて申し開きがあれば聞きますが、何か言っておきたいことはありますか?」
「特にありません」
「ディアナ、あなた退学になりたいのですか?」
「退学は困る。だけどブルーノに魔法を使ったのは事実。
それに関してはあたしは後悔してない!」
「それだと一方的にあなたに非があるように聞こえます。
ディアナはもう少し保身を覚えた方がいいわね。
二人からブルーノがあなたを侮辱したと聞きましたけど事実ですか?」
ディアナのぶっきらぼうな態度に呆れた様子を見せたレオニーだったが、優しく諭すように問いかけた。
「……あたしが誰にも相手にされないというから」
シーツの上に出していた片手が、白くなるくらい握り込んだディアナが、そう呟いて唇を噛んだ。
もう一方の手は、無意識に胸元のペンダントを握っていた。
事情を知っているクラリッサとアルマが、黙って彼女に寄り添いそっと抱きしめた。
初めてディアナから彼女の事情を打ち明けられた際、クラリッサは言葉をなくし、アルマは号泣していた。アルマが抱きつき魔になったのは、それからしばらくしてからだ。
その二人のお陰で最近では表情も豊かになってきたディアナだったが、突然親しかった人の態度が一変し、理由もわからず孤立した経験はそうそう払拭できるものではないのだろう。
ましてや両親を失い、家族二人きりとなった弟からもはっきりと拒絶されたのだ。その想像を絶する経験は、当時十歳になるかならないかのディアナが処理するにはあまりにも大きすぎた。
彼女の心の奥底に、今でも澱のように沈んでいた。
「あなたの事情はわたしも聞き及んでいます。
簡単に同情できないような辛いことがあったようですね。ですが魔法学校の規則では訓練以外では対人のいかなる魔法行使も禁止されています。
いいですかディアナ、もし次に我慢できないことがあれば魔法ではなく手を出しなさい」
「……えっ!?」
何を言われたかわからず、ディアナは思わず聞き返していた。
寄り添う二人も、同じように目を白黒させている。
「聞こえませんでしたか?
殴り合いなさいと言ったのです」
「せ、先生がそういうことを言っていいんですか?」
アルマが唖然としながらもなんとか言葉を絞り出す。
だがレオニーはすました顔のまま、魔法学校の規則について説明した。
「もちろん教師としては失格です。
ですが魔法学校の規則では、魔法で人を傷つければ厳罰とありますが、殴り合いについては何も書かれていません。ですから次に何かあれば拳で語り合いなさい。そうすれば学校としては処分できませんから」
「ふふふ、でも実際にそれが通用するのも一回でしょうか? すぐに規則が追加されそうですわね。
それとディアナさんの体格では殴り合いでブルーノに勝つのは難しそうですから、こっそりと身体強化魔法を使えばいいですわね」
「魔法で傷つけるわけではありませんから、身体強化魔法を使ったところで問題はないでしょう」
「なるほど、参考になる」
「ちょ、ちょっとレオニー先生もクレアちゃんも煽らないでよ。
ディアナちゃんがやる気になっちゃってるじゃない!」
慌てたアルマが必死でなだめるが、レオニーの提案にディアナはともかくクラリッサまでノリノリで食いついたため、一時収拾がつかなくなった。
その後レオニーより、ディアナに十五日間の停学が言い渡されたのだった。




