プロローグ
ユンカー魔法学校の応用学年編のスタートです。
「ほんとに来た」
「クレアちゃん、ようこそクノール寮へ」
ディアナとアルマが寮母とともに出迎える中、寄宿舎の扉をくぐってきたのは、辺境伯家令嬢のクラリッサだった。
彼女は、自慢の縦ロールにした金髪を揺らし、大きな旅行鞄を引きずるようにして玄関を入ると、優雅にカーテシーを決めた。
「クラリッサと申します。今回はわたくしのわがままを聞き入れてくださりありがとう存じます」
「い、いえ、こちらこそ、クラリッサお嬢様に来ていただけるなんて、こ、光栄です。なにぶん小さな寄宿舎ですのでご不便をおかけすることもあるかと存じますが、どうかお許しいただけますよう、お願い申し上げます」
直前まで二人に文句を言ってたことなどおくびにも出さず、年配の寮母が緊張した様子で挨拶をおこなう。
それはそうだろう。クノール寄宿舎は地方など遠隔地からの学生を受け入れるための寄宿舎だ。辺境伯家令嬢を受け入れるなど想定していないのだ。
「二人から聞いて承知しておりますわ。
一年間ですけれどよろしくお願いいたしますね」
「は、はい。こ、こちらこそよろしくお願いいたしましゅ」
緊張しっぱなしで限界を迎えたのだろう。
朝から顔色が悪かった寮母がついに倒れた。
仰向けにひっくり返った寮母は、白目を剥き、口から泡を吹いている。
「わ、大変!」
慌てて介抱するディアナ達は、寮母からプスプスと煙が上がってるのを幻視するのだった。
寮母の介抱を他の寮生に任せたディアナとアルマの二人が、寮母に代わってクラリッサの前に出た。
「待ってたわよ、クレアちゃん」
「ん、クレアよく来た」
二人は、早速クラリッサを伴って、彼女の部屋へと案内していく。
毎年基礎学年と応用学年から、三名ずつを受け入れているクノール寄宿舎だったが、先日基礎学年の学生一人が、自主退学したため一部屋空いたのだ。
新入生の受け入れも終わっているため、本来であれば空き部屋のままとなるところだった。
だがそのことをディアナ達から聞いたクラリッサが両親を説得し、急遽、寄宿舎へ入寮することになったのだ。
「準備期間がほとんどなかったのに、よく間に合ったわね?」
「明日から学校も始まる。あたし達も荷ほどき手伝う」
荷物でパンパンに膨らんだ巨大な旅行鞄を引きずるクラリッサを手伝いながら、二人が声をかける。
明日から彼女らにとって、二年目の学校が始まるというタイミングだ。
すぐにでも荷物を整理しなければ、翌日の学校に間に合わなくなる。
しかし、クラリッサからの意外な言葉に、二人は言葉を失った。
「これはわたくしのお洋服ばかりですわ。あとから使用人に荷物を運び入れてもらう予定ですの」
「ちょっ、ちょっと待ってクレアちゃん!
これ全部お洋服なの!?」
「お店でも開く気?」
「ディアナさん、あなた面白いことを言うのね。そんな訳ないでしょう?
これはわたくしの学校に着ていく服と普段着。部屋着とそれから寝間着だけですわ。
お部屋が小さいと聞いていましたから、これでもずいぶん選別したのですが、やっぱりもう少し持ってくれば良かったかしら?」
クラリッサと常識があまりにも違うことに、あらためて気づかされたディアナとアルマが顔を見合わせた。
一年近くいっしょに過ごしてきたが、もともと探索士にあこがれがあったためか、クラリッサは意外にも森の昆虫や動植物に平気で対処していたため、これまでは口調や金銭感覚の違いくらいしか感じなかった。
この分なら、これから同じ寄宿舎で暮らせば、もっと多くの常識の違いが出てくるに違いない。
「ちょっとクレアちゃ……」
考えの違いに思わず声を上げかけたアルマだったが、それをディアナが黙って首を振って止めた。
「実際に見せた方が早い」
そう言うとずんずんと先に歩いて行く。
軽く息を吐いたアルマも「それもそうね」と納得した様子で、黙ってクラリッサを案内していった。
「ここは……使用人のお部屋かしら?」
案内された部屋を見たクラリッサが、思わず零した言葉がこれだった。
「違う、クレアの部屋」
「嘘でしょう……」
「ここがクレアの部屋」と言いながら彼女に鍵を渡したため、間違いなくクラリッサの部屋だ。
ただ想像以上の狭さに、信じたくないという気持ちが強いのだろう。呆然とその場に立ち尽くした彼女は、しばらく固まったまま動かなかった。
部屋には簡素なベッドと机がひとつで、あとは小さなバルコニーにつながる掃き出しの窓と、こぢんまりとしたクローゼットがあるだけだ。
クローゼットは、クラリッサが持ってきた服だと、三着も入れればパンパンになりそうだ。
ましてやあとから使用人が荷物を届ける予定だというが、その半分、いや四分の一も部屋に入らないのではないだろうか。
またこの寄宿舎は、風呂や洗面所はもちろん、トイレも共用で、食事は食堂で摂ることになる。
普段ヴィンデルシュタットで最も大きな領主邸で、多くの使用人と暮らしていた彼女が、この部屋を使用人の部屋と勘違いしたのも不思議ではなかった。
また使用人などは滞在を許されていないため、身の回りのことは自分でしなければならない。
彼女は探索士としても活動しているため、そのあたりは心配する必要はないが、事前に聞かされていても、これほど小さい部屋だとは露にも思わなかったのだろう。
「どう、やっぱりやめておく?」
部屋の入り口でいまだに呆然と立ち尽くしているクラリッサに、ディアナが静かに問いかけた。
行動を共にすることが多いとはいえ、クラリッサは平民とは違って、れっきとした辺境伯家の人間だ。
彼女が無理だと言えば、ディアナもアルマも無理強いするつもりは最初からなかった。
「いいえ、やりますわ」
しかし、クラリッサは毅然とした顔で振り返ると、二人に迷いのない口調でそう告げた。
そして鞄を開けて少し迷って一着だけ洋服を取り出すと、静かにクローゼットにかけた。
「残りは使用人に引き取ってもらいますわ。あとは探索士として活動する時のお洋服があれば事足りるでしょう?」
自分を納得させるように告げたクラリッサはその後、二人に相談しながら必要最低限の荷物だけを残すと、追加の荷物を届けに来た使用人に引き取らせるのだった。
――翌朝
「おはようございます」
「おはようクレア」
「クレアちゃんおはよう。よく眠れた?」
夜も明けきっていない時間から、寄宿舎の訓練場に三人の姿があった。
「ええ、ばっちりですわ!」
クラリッサは、やってきた使用人と荷物の選別に、夜遅くまでバタバタしていたが、早朝の日課の時間には元気な姿を見せていた。
クラリッサが入寮した目的は、効率よくディアナと訓練をおこなうためだ。
彼女は実力が目に見えて伸びてくると、本気で上級魔法学校の推薦を狙うようになっていた。
「大丈夫なの?」
卒業後に侯爵家に嫁ぐことを知っていた二人が、心配してクラリッサに問うが、「ほんの三年延びるだけですもの」と言って、すでに侯爵家も合意していることだと笑うのだった。
アルマとクラリッサが並んで身体強化魔法の練習をしている横で、ディアナは難しい顔で考え込んでいた。
「ディアナちゃん、どうしたの?」
ディアナは基礎学年の終わりに、探索士の個人ランクで念願の四等級に昇格していた。
先日までは嬉しそうに認識票を眺めて笑う彼女の姿が見られていたが、今日は一転して朝から妙に元気がなかった。
「うん、なんか魔力が増えすぎて困ってる」
「へ!?」
ディアナは二人よりも早く起きて、一人で魔力循環をおこなっていた。
その後二人と合流し、一緒に身体強化魔法の練習をしている。
もともと規格外と言われるほどの魔力量を誇るディアナだったが、このところ魔力をどれだけ使っても枯渇しなくなっているという。
「貯め込むと気持ち悪いから、どんどん使わないと」
魔力が多すぎると酔ってしまうため、できるだけ多くの魔力を使うようにしているが、流石に学校や街中で魔法を使うわけに行かないため、増えすぎた魔力の扱いに苦労していた。
そのため先日から、朝に加えて夜にも練習をおこなうようにしているほどだ。
今はまだそれでなんとか魔力を減らすことができているものの、魔力の伸びが頭打ちにならない限りこのまま増え続けていけばどうなるかはわからない。
「魔力循環するのをやめるという選択肢はないよね?」
「ん。それはない」
確認したアルマの言葉に即座に同意したディアナ。
魔力循環によって大幅に魔力が伸びているのなら、魔力循環をやめれば伸びは確実に鈍化するだろう。
だがディアナには、両親から教わった魔力循環と身体強化魔法の日課を、やめるという選択肢はなかった。
「だよねぇ」
「でしたら魔力を圧縮してみてはどうかしら?」
「圧縮?」
悩んでいると、クラリッサが耳慣れない魔力の圧縮を提案してきた。
「探索士の物語など読んでるとよく出てきますの。
多くの魔力を持った魔法士が魔力を圧縮することで、見た目は魔力量が減っているように見せかけて、敵対する勢力や魔物を欺くような方法だったから、ディアナさんにちょうど良いのではなくて?」
幼い頃から探索士に憧れていたクラリッサは、探索士が出てくるたくさんの物語を読んでいた。
その中に魔力を圧縮する話が、いくつか出てきたのだという。
目的はより多くの魔力を扱うためだったり、対戦する相手に魔力が少ないと誤認させるためだったりと様々だったが、多くの魔力を持った主人公が目的や目標に対するための手段として使っていた。
「いいじゃない。ディアナちゃんやってみれば?」
「ん、どうするの?」
「知りませんわ」
「えええっ!?」
話しぶりから知っているだろうと思っていたクラリッサが、まさか知らないとは。ディアナ達の叫び声が早朝の訓練場に響く。
「知ってるんじゃないの?」
「だってやり方なんて書いてませんもの」
彼女の周りに実際に魔力圧縮をする者はいなかったが、物語の中では皆あっさりと魔力を圧縮していたのだという。そのため彼女は疑問に思わず、魔力は圧縮できるものと信じていたらしい。
「何かヒントになりそうなものもないの?」
創作だとしても、実際に役に立つようなヒントがあるかも知れない。
アルマは情報を引き出すようクラリッサに問いかけた。
「ある物語では魔力を煮詰めるようにすると書いてありましたし、他の物語では押し固めると書いてあったかしら?
どれも曖昧な表現で、実際どうするかまでは書いてありませんのよ」
クラリッサも顎に手を当てて考えるが、お手上げといったように首を振った。
「魔力を煮詰めるってどうするのかしら? 全然わかんないわね」
クラリッサの隣で同じように首をひねる中、ディアナが両手を体の前で合わせるようにして力を込め始めた。
「ディアナさん(ちゃん)!?」
「ちょっと押し固めてみる」
どうやらわずかに開いた手のひらの間に大量の魔力を流し、押し固めようとしているようだった。
「むむむっ」
顔を若干紅潮させ、力を込めるように魔力を流し続けるディアナの額には、すぐに玉のような汗が浮かんでくる。
しかし大量の魔力が放出されているだけで、それ以外変化もなく時間だけが過ぎてゆく。
――ぷぅっ!
「へっ!?」
やがて力んでたディアナから乾いた音が鳴り響き、見守っていたクラリッサとアルマが、拍子抜けした声を浮かべて思わず見つめ合い、すぐにディアナに視線を移す。
「おなら出ちゃった」
二人の見つめる先では、ディアナが照れたようにはにかんだ笑顔を浮かべていた。




