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ディアナ覚醒

放たれた矢は風を切り裂いてく。その切っ先の先には、クラリッサの心臓があった。

マルコと対峙していたクラリッサは、迫りくるその死の影に気付いてはいなかった。


「クレア、避けてっ!」


悲痛なディアナの声が、空気を震わせた。

幸運にも、その叫び声がクラリッサの命を救うことになった。

ディアナの声に咄嗟に振り返ったことで、彼女を狙っていた矢の射線がわずかにズレたのだ。しかし、完全に躱しきるまでは至らず、矢はクラリッサの右肩付近に深く突き刺さった。

クラリッサの全身に激痛が駆け巡り、思わず杖を取り落とし、呻き声を漏らしてしゃがみ込んだ。肩に突き立った矢からは、真っ赤な血が滲み出だし、その鮮血が彼女の服をみるみるうちに赤く染めていく。


――コフッ……


肺が傷ついているのか、クラリッサが苦しそうに咳をするたび、口から血が零れていた。

ディアナは信じられないといった表情で、まるでスローモーションのようなその光景を呆然と見つめていた。時間の流れが緩やかになったかのように、周囲の音が遠のき、彼女の視界にはただ鮮烈な光景だけが映し出されていた。それは彼女の心の奥底に眠っていた記憶を激しく揺さぶった。

その瞬間、ディアナ自身が忘れていた過去の記憶が、怒濤のように蘇ってきた。それは幼い頃の惨劇の記憶だった。断片的な映像が、洪水のように彼女の脳裏に押し寄せ、混乱と苦痛が彼女を襲う。

ハリネズミのように無数の矢が全身に突き刺さったヘイディが、ゆっくりと大地へと倒れていく光景だった。彼女の傍らには、すでに事切れていたアランの亡骸が横たわっていた。ヘイディは最後の力を振り絞って、這うようにして最愛の夫の傍らに寄り添った。その手は、冷たくなったアランの手を必死に握りしめ、まるで魂が抜けていくかのようにゆっくりと目を閉じた。

それは、ディアナが今まで忘却していた、幼い頃に目の当たりにしたあまりにも残酷で、そして悲しい出来事だった。

両親の無惨な死。

その光景は、彼女の幼い心に深い傷跡を残し、その記憶は無意識のうちに封印されていたのだ。しかし、今、目の前で繰り広げられた光景が、あの時の母の姿に重なり、その強固な封印を解き放った。

心の奥底に押し込められていた悲しみと絶望が、津波のように押し寄せ、ディアナは全身を震わせる。


「クレアッ!」


ディアナの叫び声が、降り注ぐ矢の音を切り裂いた。

彼女は迷うことなく、猛然とクラリッサの元へと急降下する。雨あられと降り注ぐ矢の中を、ディアナは傷ついたクラリッサの元へと駆けつけた。


「クレア、しっかり!」


ディアナはクラリッサをそっと抱き起こし、介抱しようとする。

しかし、クラリッサは苦しげな呻き声をあげるばかりで、意識は朦朧とし視線が定まらなかった。右の肩口から胸にかけて貫通し、赤く染まった(やじり)が突きだしていた。

クラリッサが激しく咳き込むたびに、その傷口からは、どろりと熱い血がじわりと滲み出てくる。

ディアナは震える手で、慌てて回復薬を取り出した。すぐにクラリッサの口元へと運ぶ。しかし、クラリッサは苦しそうに咽せこむばかりで、ほとんど薬を飲むことができない。


「クレア、お願い、飲んで!」


ディアナは懇願するような表情で、ボトルをクラリッサの口にあてがうが、やはり彼女は飲むことができなかった。焦燥感がディアナの胸を支配する。このままでは、クラリッサの命が危ない。

一瞬の思案の後、ディアナは自ら回復薬を口に含むと、次の瞬間には唇を重ね、口移しで回復薬をクラリッサの口へと流し込んだ。

突然のことに、クラリッサは激しく咽せこむ。それでもディアナは構わず、回復薬を流し込み続けた。やがて、ほんの一口だけだったが、クラリッサは回復薬を飲み込むことができた。そのわずかな嚥下が、ディアナに希望を与えた。

ディアナは残りの回復薬を、躊躇なくクラリッサの傷口に直接かけた。回復薬が傷口に触れた場所から、すぐにシュワシュワと蒸気のようなものが立ち上り始めた。傷口から立ち上る白い蒸気は、回復薬が効果を発揮している証拠だった。

それを確認したディアナは、ようやくホッと息を吐いた。

クラリッサの顔色も、ほんのわずかだが回復しているように見える。しかし、まだ安心はできない。

ディアナはクラリッサをそっと抱きしめ、周囲へと視線を走らせた。

いつの間にか、澄み渡っていたはずの空には、漆黒の雲が急速に湧き上がり、瞬く間に辺り一面を覆い尽くしていた。陽の光は遮られ、辺りは俄かに薄暗い闇に包み込まれ始めていた。


「なんだこのガキ! どこから現れやがった!?」


マルコは、その太く黒い髭を震わせながら怒鳴りつけた。

彼の目は、急降下してきたディアナの姿を捉えることができず、ただ混乱と苛立ちを募らせていた。


「クレアをお願い」


ディアナは、駆け寄ってきたアルマにクラリッサを託すと、ゆっくりと杖を構え、マルコの前に歩み出た。その表情からは一切の感情が抜け落ちたかのように見え、瞳が妖しく虹色の輝きを放っていた。


「また女か。よく見ればエルフの子供か!? こいつは高く売れそうだ」


マルコは、ディアナを値踏みするように、その小さな体を見下ろした。

彼の中では、彼女がただのエルフの子供であると誤認していた。彼の口角は下品に吊り上がり、下卑た笑みが顔に浮かんでいた。彼の脳裏には、エルフの子供を売って得られる莫大な金がちらついていた。


「おい、お前! こっちへ来るんだ!」


マルコは、ディアナを手に入れようと、荒々しい声で命令した。

しかし、彼の目の前に立つディアナは、もはや彼が容易く手を出せる存在ではなかった。


「ユルサナイ」


ディアナの瞳が、その奥底から迸るかのような輝きを増していく。同時に、静寂だった周囲は一変する。

突如として、大地を揺るがすほどの強風が吹き荒れ始めたのだ。上空を覆っていた黒雲は、その猛り狂う風に呼応するかのように、一層その厚みを増し、不気味な暗闇を辺り一面に広げた。その黒雲の中で、稲妻がまるで意思を持ったかのように、幾筋も閃光を放ち始めた。


「何をしている! 一斉に矢で攻撃しろ!」


この異様な雰囲気に、マルコは肌で危険を察知した。彼は、周りに怒鳴るように命令を下す。その命令が下されるやいなや、何本もの矢が一斉にディアナ目掛けて放たれた。


「くっ……」


あまりの強風に、ブルーノは片膝を突いて必死に耐えていた。

彼の視線は、いつもとは明らかに様子の違うディアナに釘付けになっていた。

彼女は、彼が今まで見たことがないほど強烈な雰囲気を身に纏っていた。その瞳は、見る者を惑わすような妖しい光が放っていた。その目はただマルコだけを射抜き、周りの者達はまるで存在しないかのように、彼女の視界には入っていないようだった。


「まさか、この嵐はディアナが起こしているのか!?」


ブルーノは、その光景を目の当たりにして、驚愕の声を上げた。

上空を覆う黒雲は、彼らのいる範囲に限られていた。それでも、その範囲は半径数百メートルにも及ぶ広大なものであった。いくらディアナが常識外れの力を持つ規格外の存在だとはいえ、これほどの規模の嵐を彼女が一人で起こしているとは、到底信じられなかった。しかし、ディアナが杖を振るうたび、まるで意思を持ったかのように風が吹き荒れるのを見ると、彼女が嵐を操っているとしか思えない。

現に、周囲から放たれる無数の矢は、まるで生き物のように渦巻く風に絡め取られ、一本たりとも彼女に届くことはなく、彼女に触れることなく地面へと落ちていった。


――ドンッ!


やがて彼女が杖を一閃すると、天を切り裂くような轟音と共に、稲妻が地上へと落ちた。それは、まるで天空の神が怒りを(あきらか)にしたかのような、圧倒的な光景だった。その雷は、海賊の見張り台のひとつを正確に貫いた。

木の爆ぜる音と共に、見張り台は瞬く間に炎に包まれ、内部にいた海賊二名は、叫び声を上げる間もなく、黒焦げとなって地面へと落下した。

彼らの身体からは、蛋白質の焦げ付いた異臭が立ち上り、介抱しようと駆け寄った海賊達の間に戦慄が走った。


「なっ!?」


マルコは、目の前で繰り広げられる信じがたい光景に、驚愕に目を見開いた。

その彼の驚きも冷めやらぬうちに、今度は豪雨を伴った激しい風が吹き荒れ始めた。叩きつけるような風雨は、海賊たちの視界を奪い、弓を構えてディアナを狙おうとしていた射手達は、もはや的を絞ることすらできず、自分の身を守ることで手一杯になっていた。

風は激しさを増し、マルコもその強風に抗えず、目を開けていられなくなる。腕を(かざ)して何とか周りを見渡そうとするが、その彼の目に飛び込んできたのは、あまりにも衝撃的な光景だった。


――バキバキ……


轟音と共に、長年拠点としてきたアジトが崩壊し始めたのだ。それは一棟に留まらず、次々と風雨に飲まれていき、みるみるうちに全ての建物が崩れ去っていった。ほんの僅かな時間で、かつてそこに存在した全ての建物は、瓦礫の山と化していた。

崩壊した建物の中から、戦闘員ではない海賊達が、這々の体で飛び出してくる。彼らは混乱し、どこへ逃げればいいのかも分からず、ただ恐怖に怯えていた。

そして、そこに追い打ちをかけるように、立て続けに落雷が起こった。

稲妻は、まるで意思を持っているかのように、海賊達を確実に貫いていく。一筋の光が閃くたびに、海賊達の悲鳴が響き渡り、彼らは次々と黒焦げになって倒れ伏していった。


「……な、何が起きてやがる!?」


マルコが周囲を見渡すが、それに答える者は誰もいない。

瞬く間に仲間が全てやられてしまったのだ。

いくら百戦錬磨のマルコといえど、これほどまでに圧倒的な魔法には心当たりがなかった。目の前で起きたことだが、これを目の前の華奢な少女がやったとは、とてもではないが信じられなかった。

それはまるで、物語に出てくる伝説の魔法のような、神がかった力だった。


「これ、ディアナちゃんがやったの?」


アルマは、意識を失ったクラリッサを抱きしめながら、呆然とその光景を眺めていた。

ディアナから立ち上る魔力は、まるで荒れ狂う魔獣のように激しく、圧倒的な存在感を放っていた。しかし、倒れていくのは海賊ばかりだ。子供達を守るようにし身を寄せ合っているマーヤやモニカ、それにブルーノ達には、一切雷は落ちていなかった。無差別に攻撃しているように見えて、ディアナは不思議と仲間には一切危害を加えていないことに、アルマは安堵していた。

それは僅か数秒の出来事だった。しかし、荒れ狂うように降り注いだ雷が収まったときには、全ての海賊が地面に倒れ伏し、ただ一人、呆然と立ち尽くすマルコだけが残されていた。


「なっ……」


百戦錬磨のマルコといえど無敵ではない。今や、彼を上回る圧倒的な力を見せつけたディアナに、マルコは本能的な恐怖を覚えていた。

マルコは思わず、渇きを潤そうと唾を飲み込もうとした。しかし、いつの間にか口はカラカラに乾ききっており、それは果たせなかった。無意識のうちに、ディアナから距離を取ろうと、彼は数歩後ずさっていた。

そんなマルコに向かって、ディアナがゆっくりと歩を進めてくる。その一歩一歩が、マルコにとって久しく感じたことのない恐怖を呼び起こし、彼の鼓動を早めた。


「この、バケモノが!」


追い詰められたマルコは、ついに叫びを上げた。

彼は震える手で杖を構え、渾身の力を込めて火魔法を放つ。

その火球は、先ほどアルマに向けて放ったものとは、比較にならないほど巨大だった。その大きさは、ディアナの小柄な身体を優に飲み込むほどの大きさと熱量を秘めていた。周囲の空気が熱波で揺らぎ、地面が焦げ付くような匂いが辺りに満ちる。


「ディアナちゃん!」


燃え盛る火球が目前に迫る中、アルマの悲痛な叫びが響いた。微動だにしないディアナは、ただ真っ直ぐに火球を見据えていた。

しかし、マルコ渾身の攻撃魔法は、ディアナには届かない。

彼女が手に持った杖を大きく振り上げると、信じられない光景が繰り広げられた。巨大な火球は、まるで彼女の意思に操られているかのように、その軌道を急に変え、上空へと向かって舞い上がったのだ。そして、それはそのまま黒雲に飲み込まれるように消滅し、跡形もなく消え去ってしまった。そのあまりの出来事に、マルコは呆然と立ち尽くすしかなかった。彼の額には、冷や汗が大量に滲み出ていた。


「バ、バケモノ……」


マルコの口から、かすれた声が漏れる。その瞳には、恐怖と絶望が入り混じっていた。ディアナの圧倒的な力の前に、彼の心は完全にへし折られていた。

その瞬間、ディアナが動いた。

杖をわずかに振り上げると、マルコの周囲に小さなつむじ風がいくつも現れ始める。

それはまるで意思を持っているかのように、互いに引き寄せ合い、重なり合うようにして大きくなっていった。あっという間につむじ風は一つにまとまり、巨大な竜巻となってマルコへと迫る。


「くっ、風の堅陣(ヴィントフェストンク)!」


マルコは最後の抵抗とばかりに、得意の風の障壁を展開する。しかし、ディアナの魔法の前には、それはあまりにも無力だった。竜巻は障壁を吸い込むように、あっさりと吸収した。ただ無抵抗に障壁は消え去ったのだ。

そしてその直後、マルコは竜巻に飲み込まれた。


「た、助け、うわぁぁぁぁぁぁっ……」


一瞬、マルコの悲鳴が響き渡ったが、それもすぐに竜巻の轟音にかき消された。彼の身体は、まるで枯葉のように、なすすべもなく上空へと巻き上げられていく。

竜巻の中心で翻弄されるマルコの姿は、あまりにも小さく「死肉喰らい」と恐れられた姿はそこにはなかった。

その竜巻が突然、霧散するように消え去った。その瞬間、マルコの身体は空中へと放り出される。


――ドンッ!


落下する彼の身体を、鋭い閃光が貫いた。雷鳴が轟き、その一撃はマルコの身体を直撃した。

その直後、「ぐしゃり」と不気味な音を立てて落下してきたマルコは、地面に叩きつけられたまま微動だにしなかった。ただ身体のあちこちから焦げたような煙が濛々と立ち上っている。彼の身体は、黒焦げになり、見るも無残な姿となっていた。

そして、先ほどまで空を覆っていた分厚い黒雲は、嘘のように姿を消していた。

黒雲に代わり、どこまでも広がる抜けるような青空が広がっており、まるで何事もなかったかのように、静かな光景がそこにはあった。

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