88 囚われた思念
街へ出た。
が、食欲があろうはずもない。
歩きながらも、思い出そうとする。
しかし、その努力はいつも空しい。
いつのまにか、記憶をまさぐるのではなく、意味のない思念にふけっていくことになる。
堂々巡りするだけの思念に。
人は誰しも、環境によって作られる。
世界中に誰一人、自分と同じ人間はいない。
同じ境遇に育ったからといって、同じ志向性を持つ人間になるとは限らない。
子供の頃の思い出が楽しいものであろうとなかろうと、それは、自分が今の人間に、この人間になった大きな要因であるはず。
懐かしく思い出すこと、思い出すのも嫌なこと、甘酸っぱい想い、悔しかった思い出……。
そういったもろもろの記憶が積み重なって、自分というものがある。
そう考えるとき、記憶を失くした人間の、なんと悲しく、なんと薄っぺらなことか。
生きていくことの意味とは、多感な子供の時代に蒔かれた種が発芽するように、膨らんでいくものではないのか。
幼い頃の、心がまだ若かった頃の記憶がない者にとって、生きていくことは、土に埋もれたしゃれこうべがかすかに縮みながら石となるのを待つようなもの……。
延々と続く生。
それは謳歌するものではない。
むしろ戦慄の頚木。
死ねども死ねども、自動的に再生される命。
しかも子供時代をすっ飛ばして。
微かな意味さえ見出せない生。
まさに泡沫のように。
鼓動、呼吸、思考、それらすべては自らの意思なく、ただ繰り返すのみ。
生かされているのだ。
永遠の囚人として。
しかし俺は、何に囚われているというのか……。
レストランのプライベートブース。
八十センチ四方の小さな空間に篭って、咀嚼するだけの食事。
その間も、俺の思念は留まることなくグルグルと回り続ける。
轍に嵌まった車輪のように。
習慣となった同じ小径を。
サリを殺し、その咎によって、自らの生に終止符を打とうとした。
しかし、サリは消えた。
いや、俺がやったのか。
そんな記憶さえ、おぼろになってしまったというのか。
ところが、罰も受けずに俺は生きている。
もしや、明日の会談のために生かされているとでもいうのか……。
チョットマ。
あいつは、サリと同様、俺になついている。
あいつを殺すか。
いつの頃からだろう。
枯れることのない自死への渇望が、これほどまでに大きくなったのは……。




