この場合相手は誰なのか
熱烈なハグだとかの歓迎を受けて、その後は食堂に案内されて食事をする事になったわけです。
もうね、テーブルが長い。
アニメとかでよく見る貴族とか王族とかの食事シーンにありがちな長いテーブルがあるわけですよ。
一般家庭なら家族で食事するにしたってこんな距離開いたりしないけど、下手したら端から端場合によっては上手く声届かないんじゃないかな、っていうくらい距離があるの。
まぁ一般家庭なら家族がそれぞれ和気藹々と会話してたりしてちょっとばかし雑音がある事もあるだろうけど、貴族の食事中の会話ってそんなそれぞれが思い思いに話すってわけでもなさそうだから、距離があっても声は聞こえるんだよね。
まさかそんな体験をする日が来ようとは……
食事に関してはとりあえずこれどうやって食べればいいんですか……? みたいな未知のものは出てこなかった。そこだけは安心した。
テーブルマナーに関してはちょっと危うい感じだったので、向かいにいるルーウェンさんを見ながら参考にさせてもらった。一応前世でのテーブルマナーとそこまで変わらん感じかな……? とは思うんだけど、それでも若干の違いとかあったら困るのであくまでもルーウェンさんをお手本にするのはやめない。
テーブルマナーに関しては気にしなくてもいい、と言ってくれたけど、そういうわけにもいかんじゃろ。
本当に気にしなくていい、と思って言ってるとは思うんだけど、だからってあまりにも酷い姿を晒すとまさかここまでとは……みたいに思われた場合後々の反応が怖い。
人間を招待したと思ったけれど、どうやら野猿を招き入れてしまったようですわね、とか言われたらそれはそれで私の心も致命傷になりかねない。
流石にそこまで酷い姿を晒すつもりはないけど。
一応ディットさんの怪我を治した、というある種の恩人みたいなものっていうのと、庶民であるというのはわかってるだろうから多少の無礼は大目に見よう、くらいの気持ちはあると思うけどそれだってきっと限度はある。どこまでが大丈夫かもわからないので、言葉通りにちょっとくらいの無礼は大丈夫だろう、みたいな気持ちで自分だけでハードルを下げるのはよろしくない気がする。
とりあえずどうにかマナーはそこまで問題になってなさそう……だし、出された料理も何か高級過ぎて味がわかんない、みたいなものはない。緊張しすぎて味がわからない、っていう展開はよくあるけどそこまではいかなかった。美味しい。
どちらかといえばシンプルな感じだな、とも思った。
もっとこう、こってりガッツリした味付けのものとか出てくるんじゃないかとも思ってたんだけど。
あまりに高級過ぎて味がわかりません、みたいな展開はどうやらないようだ。
うん、まぁ、美味しい? って聞かれて緊張しすぎて味わかんないまま「美味しいです」って答えたとしても、社交辞令だってバレバレすぎるのもどうかと思うしね。漫画とかでよく見る展開だったけど、流石にそれを自分でも体験したいわけじゃないんだよね。
とりあえずチキン料理がべらぼうに美味しかった。
鳥の足部分を煮つけた感じなんだけど、味がしみ込んでて尚且つお肉も柔らかくて骨がするっと外れるんだよね。骨付きの料理とか食べ方次第では結構見た目汚い感じになるからどうなるかと思ったけど、心配していたような事にはならなかった。
えっ、これめっちゃ手間暇かかってるのでは……?
圧力鍋とかあればそうでもないかもだけど、そうじゃなかったらめちゃんこ煮る時間かかるやつ……
それ以外にもチキン料理はあったので、そちらも美味しくいただきました。どれも美味しい。
普段私が近所のお肉屋さんで買ってるチキンとは別の種類だと思うんだけど、何の鳥だろう……
こっちでも鶏は主流みたいだけど、全然知らない名前の鳥のお肉も売られてるんだよね。生憎どうやって料理すればいいのかわからないのはよっぽど心に余裕があって懐にも余裕がある時じゃないと手をつけようって思えないので、生憎私はずっと鶏肉しか買っていない。
いや、手を出してみようかな、と思った事もあるけど、どうやって調理すればいいのかとか聞く気力とかがね、ないと中々手出しできないんだわ。調理法がよっぽど簡単じゃないと未知の食材は中々チャレンジしようってならんよね。
前世でちょっと遠出した先のスーパーでさ、うちの近所では扱ってない地元限定っぽいやつとかあったんだけどさ。鮮魚コーナーで。気にはなったけどだからって早速買って調理しよう、とまではいかなかったもんなぁ。
まぁあの時は仕事の関係で遠出したってのもあったから、そういう食材買ってもどうにもならなかった、ってのもあったけど。
とりあえず何種類かのチキン料理を食べて、その後デザートに出された小さめのケーキをいくつかいただき、大変満足しました。いくつかの種類があって、違う味だったからってのもあってつい食べ過ぎた感がある。そうして流石にもうお腹いっぱいだなぁ……なんて思っていたら食後の紅茶が出されて。
「時にエルテくん、だったね。どうだろう、家に入る気はないかね?」
わー、流石お貴族様の家だけあって庶民の家とは異なる感じの茶葉だな~、とか思っていざ飲もうと思った矢先、とんでもねぇ事を言われました。吹き出さなかっただけ褒めてほしい。
家に入る、というのはまぁ、言葉そのままの意味だろう。
前にもアレクセイさんじゃないけど別の貴族っぽい人にそう言われて誘われた事がある。
養子にならないか、って感じで。
例えば子供がいなくて跡継ぎがいない。血の繋がりとかもう諦めて代わりに有望そうな人物を家に入れたい、とかで養子にならんか? ってのはわからなくもないけれど、でもそうなった場合貴族として色んな事を学ばなければならないだろうな、ってのは私でもわかるんだよ。
私知ってる、冗談でもなくマジで大変なやつそれ。
そもそも貴族のマナーとかさ、貴族の家に生まれて幼いころから学んできたならそりゃ身につくだろうけどある程度大きくなってから学ぶってなるととんでもなく大変だってのは前世で読んだライトノベルで履修してるからね!?
こっちの世界の貴族がどういう感じかもよくわかってないけど、もっと身分に関して厳しい所とかだと位が上だったり下だったりでも貴族の学ぶ事って大きく異なるって言われてたし。実際の貴族に関しては知らないけど。
領地経営とかは前世でそれっぽいゲームとかで遊んだことがあるから全く何の知識もないわけじゃないけど、実践に役立てられるかは微妙なところだし、それ以外はさっぱりです。
「父上……!」
咎めるようにルーウェンさんが言うけれど、アレクセイさんはまぁまぁ、とばかりに手で宥めるような動きをした。
「前にも、別の貴族の方ですがそんなような事を言ってきた事があります。生憎と貴族としての義務とかよくわからないし、自分にはそういう生き方は無理ではないかと思うので」
というか、薬とかの新しいレシピとかは覚えるつもりがあっても、貴族のアレコレを学ぶつもりが正直そこまで無い。興味がない、と言ってしまえばそれまでだ。
生まれつき貴族で、とかならまぁ、とは思うしそういや私アニーティカでは一応そういう感じのお家の生まれだったとはいえ。
でも両親が死んだ後、おばあさんと一緒に暮らすようになってからはもう完全に庶民として自分を認識してるし。貴族のお嬢様、っていう感じは困った事にまるでしないんだよね。本人にその自覚がないとかもうだめでは?
今からまた貴族として生きていきなさい、とか言われてもなぁ……って感じなんだよね。正直に言えばとても面倒。
アニーティカで両親が死なないでそのまますくすく育ってたら違ったかもしれない。その場合は政略結婚とかするような事になっても、そういうものか、で納得したかもしれない。
そもそも前世の記憶が蘇ったかどうかもわからんしね。
……場合によっては政略結婚した後で前世の記憶が蘇ったりした可能性もあったのか……と考えるとそれはそれでとんでもねぇなと思えてくる。もしそうなってたらどう転んでも破綻しそう。
お互い上手くやれそう、って思えてたならまだしも、お互いこれは政略結婚で相手に愛などない、と割り切ってたら確実に惨状が待ち構えてたと思う。どういう方向性に惨状が繰り広げられるかは私でもちょっとわかんないけど。
正直今から貴族として生きていかなければならない状況に陥ったとして、貴族令嬢としての礼儀作法とかを改めて学び直せってなったら確実に私のストレスがフルチャージされてしまう。
もう正直今の暮らしに馴染んでると言っても過言じゃないからなぁ……
なので相手がどれだけお偉いさんな貴族であったとしても、どれだけ贅沢な暮らしができるよとか言われても、正直揺らぐつもりがない。
贅沢ったってなぁ……この世界に前世で遊んでたようなゲームとかあるわけじゃないし。仮に自分で一から作るにしてもゲームにするよりは話の内容思い出して書き出して本にするのが関の山では、と思うわけで。
楽な暮らしができるとは思っていない。
仮にそんな事を言ってくる相手がいたとして、それは間違いなく詐欺だ。
何らかの目論見があって自分の所に私を引き入れようとするのであれば、楽な暮らしになるはずがない。私に何らかの事をやってもらうつもりがあるのは明らかなんだから。
というか、今男だと思われてるけど実際女だしさぁ。そうなったらほら、また面倒な事になるよね。
男だと思って養子にしようとしたのに実際女だった、ってなったら相手の反応も色々と……うん。
そこら辺も踏まえて考えるとどう考えても首を縦に振る事はないわけで。
流石に性別部分に関しては言えないというか言うつもりもないけれど、貴族のあれこれを学ぶつもりもないという事は伝えたのに、何故だかアレクセイさんは諦めた様子がなかった。
「できれば養子に……と思っていたが、それがイヤだというのなら、伴侶はどうだろう?」
「伴侶、ですか……」
伴侶ってあれだよね。結婚した相手の。
夫の伴侶は妻だし妻の伴侶は夫っていう、あの伴侶で合ってる?
「あぁ、その場合は貴族に関する事は伴侶に任せてしまえるわけだし」
「この家に……?」
「どうだろうか」
「……いえ、お断りします」
というかだ。
この家の人ってアレクセイさんとリーゼロッテさん、そしてルーウェンさんとディットさんだ。
私は周囲に男だと思われてるし、そうなると伴侶は妻。私が夫という事になる。
……相手いる?
もしかして紹介されてないけど実は病弱で部屋から出てこれないルーウェンさんたちの妹とかいたりする……?
姉は流石にないと思うので妹がいると仮定して。
……貴族なら家の事を考えて政略結婚も普通の事と考えたりするとは思う。
嫁ぎ先が同じく貴族ならいいけど、よりによって平民を、ってなったらそれはそれでどうなんだろうか。
相手が平民となれば、本当に家のためになるかもわからないと思うし……
仮にその平民が自分の好きな相手でした、とかなら家のためにならなかったとしても本人にとってはハッピーウェディングかもしれないけど、そうじゃなかったら地獄では?
ルーウェンさんたちの妹だと仮定して、そうなると年齢は私と同年代かそれより下の可能性がある。
そんな少女にそんな人生背負わせるとか、酷が過ぎんか……?
試しに「はい」って答えたらどうなってたんだろうという満たしてはいけない好奇心が芽生えそうになったけど、お断り一択である。
仮に結婚したとして早々に結婚生活破綻するよね。だって性別同じだもの。
とりあえずアレクセイさんも断られるの前提でお試しで言ってみました、みたいな感じだったのか、私が断る事は想定済みみたいな反応だったのでこっちも断ってもそこまで罪悪感はなかったけれど。
ダメ元で言ってみよう、ってのも内容によるんだよね。断る側がめっちゃ精神に負担がかかるようなのはダメ元でも言わんで欲しい。




