雨と共に降る
開いた窓から吹きつけるのは、雨と、アスファルトから立ち昇る匂い。
リスリーは黒髪を頭の後ろでまとめ、口に咥えていたゴムを取って縛りつける。
オリーブ色のタンクトップを、豊かな乳房が押し上げていた。
ツナギ型の都市型迷彩のミリタリーズボンを締めるベルトには、ショットガン用の弾がいくつも詰め込まれたポーチが搭載されている。
破棄されたBランクエリアのビル。その十階。
都市を見下ろしながら、リスリーは黙々と準備を重ねていく。
「重装備だね」
電気も通っていないため、部屋は暗い。
その部屋よりもさらに濃く、深い人型の影が揺らめいた。
「当然。誰を襲うと思ってるの」
リスリーが短く答える。
埃を払ったテーブルに置かれたのは手りゅう弾や爆薬の入った軍用リュック。
銃身を詰めたソードオフショットガンが一丁。
そして大口径のショットガンが一丁。
リスリーの得意とする得物だ。
さらにサブウェポンとして拳銃が二丁。
いつも用意するものの、これらは使ったことがない。
リスリーは常に二丁のショットガンで仕事をこなす。
大抵は個人や小さな組織相手だが、今回は規模が違う。
相手はBランクエリアの大半とCランクエリアで幅を利かせる超攻撃的自警団『MA』。
自分たちで超攻撃的と名乗ってるのは痛いが、リスリーはそんな連中と戦うのは、まあ悪くないと感じている。
「MAは難敵だ。下手したら無傷とはいかないかもしれない」
「今回の襲撃、無傷で済むつもりなの?」
「ええ。そのつもりでいる。だって運ぶのは大金じゃない。ルート確認を兼ねての少額でしょ。あなたが言った情報、こっちでも調べてみたけど相違はなかった」
弾が込められていないことを確認して、銃の具合を確認。
整備は行き届いているが、人間と状況と同様、どれだけ準備しても何が起こるかわからない。
ショットガンにそれぞれ弾を込め、予備の弾倉を確認する。
「僕の言うことだけじゃ信じられなかった?」
「女をリードするふりして女にすがらないといけない軟弱な男みたいな物言いしないで。信じたから調べた。その上で問題なかった。それだけよ」
「くくく……ごめんね。そうだね。信じてもらえてよかったよ」
リスリーはツナギの上部分に腕を通す。
首元までジッパーを持ち上げる。
それから顔に安物のフェイス・スクリーンを貼り付ける。
特殊な機材で触れると、リスリーの端正な顔にカラフルなモザイクがかかる。
リスリー側からは問題なく見えるが、相手はリスリーの顔が捉えられない。
安物だから見破れるものはいるが、奇妙な造形と言うのは、それだけで人を不安にさせる。
その一瞬が生死を分けるということを、リスリーはよく知っていた。
「軟弱な男に付き合ってる暇はない。私が欲しいのは、強い男だけ。こいつになら全部注いでいいと思える強い男」
「君はもしかして男を漁りにMAと敵対するのかい?」
「はぁ? それとこれとは話が別。男も重要だけど、私が重要視するのは金。現金輸送なんて古典的な手段を使うヤツ、そうそういないからね」
「君ならAランクエリアでいい男を捕まえられそうなのに」
「上層部は捕まえられない。ただのエリート社員じゃ、私を楽しませてくれない」
「強欲だなぁ」
「欲望なくして一体なんで生きてられるの?」
リスリーは軍用リュックを担いだ。
それから床に置いていたフック付きロープを拾って、強烈な負荷に耐えられるカラビナに接続。
サブウェポンを腰に近い背中のホルスターに収める。
ソードオフショットガンは銃口が真横を向くように背中とリュックの間に挟んで、専用のワンタッチベルトで固定。
ショットガンを手にしたあと、ロープを引きながら窓枠に片足を乗せる。
セーフティーはない。
身を乗り出せば簡単に落下死できる高さだった。
「私は全部が欲しい。そのために生きている」
「じゃあ、全部手に入ったらどうするの?」
「さらなる全部をもとめる。人も金も技術も世界も。全部」
「……やっぱり君は相応しいね」
「何の話かは知らないけど、勝手に人を見定めて優越感に浸らないことね」
「そんなつもりはないよ。ただ、君に話しかけてよかったと思っただけさ」
「まだ何も成してない。あなたがそう思い、私を賞賛するのはこのあとよ」
リスリーがグッと身体を前のめりにする。
もう身体は半分以上、窓の外に出ていた。
Aランクエリアを飛ぶ巨大な飛行船が、船体でCMを流している。
Bランクエリアのビルには五大の広告が垂れ流しにされ、都市はネオンで煌めいている。
このすべてがリスリーのものではない。
リスリーのものは都市全体からすれば少額すぎる金と、この身一つ。
そして“幽霊”から提供される情報だけ。
ここからだ。
と、リスリーは思う。
この瞬間から、自分はこの都市で、リスリーという人間のパーセンテージを増やし、高め、強くする。
そうして自警団を飲みこむほどの組織を作り上げ、果ては五大企業も飲みこむ。
リスリーは強欲だ。
その欲望と衝動が、彼女を突き動かしている。
「……来た」
右手の方向から、二台のトラックがやってくる。
何の変哲もない、所属不明のトラック。
サイバーグラスの望遠機能を使って運転席と助手席を確認。
厳つい顔の男が二名。
助手席の男はスリング付きのアサルトライフルを握っている。
後ろの一台も同じ構成。
荷台にそれぞれ三人ずつ乗っているという情報取得済み。
「…………」
リスリーは深く息を吸う。
雨と、アスファルトから立ち昇る匂い。
懐かしい匂い。
路上の片隅で、寒さに震えながら嗅いだ匂い。
「いってらっしゃい」
ゴーストの声がかかると同時、リスリーは、トン、と窓枠を蹴っていた。
宙に身を投げたリスリーは片手でロープを握ったまま、ビルの壁を蹴る。
一回、二回。
三回目を蹴る寸前、ロープが張った。
リスリーにブレーキをかける。
身体が振り子みたいに揺れて、猛烈な勢いで壁に迫る。
しかしリスリーは慌てず、全身の力を上手く使って壁を蹴る。
ロープがギシリ、と軋んだ。
身体が再び宙を舞う。
リスリーはフックを外し、ふわりと滞空した。
そして、迫るトラックのフロントに向かって、斜め上からショットガンの銃口を向けた。
ズドン。
獣の咆哮みたいな音とともに何十発という弾が発射される。
防弾のはずのフロントガラスが砕け、内側から搭乗者の血が付く。
制御を失ったトラックが急激なカーブに耐えきれず横転。
リスリーは天を向いた荷台の横っ腹に着地し、そのまま疾走する。
後ろで急ブレーキを踏む二台目に向かって、ショットガンの引き金を絞る。
二台目は横転しなかったが、運転手は死んだ。
即座にバックで逃げることもできない。
リスリーは運転席の屋根に飛び乗り、負傷はしてもまだ意識があり、反撃を考えているだろう助手席の男に向かって、屋根越しにショットガンを撃つ。
窓から多量の血が噴き出し、排除完了の手応え。
路上を歩いていた人々が悲鳴を上げて逃げ惑う。
後方を走っていた車から、転がるように逃げる人間もいる。
リスリーは荷台の天板にリュックを下ろし、手りゅう弾を二個、取り出す。
それからピンを抜いて、荷台の扉前に落ちるよう、放物線を描いて投げた。
MAの団員が中から扉を蹴破るのと、リスリーが投げた手りゅう弾が空中で炸裂するのはほぼ同時だった。
「やっぱりこっちが兵器だったかな」
リスリーがリュックを背負い、宙返りして一台目の荷台に飛び移ると、派手な爆発が起こってトラックが浮き上がった。
もちろん手りゅう弾単体にここまでの威力はない。
MAが運んでいた何かに引火したのだ。
リスリーはそれを眺めつつ、弾切れのショットガンをリュックに突っ込み、代わりにソードオフショットガンを取り出した。
同時に、横倒しになった荷台の扉の下になった部分だけが開いて、腹ばいになったMAの象徴、黒い仮面を着けた人間が這い出てくる。
リスリーは上から狙いを定めてズドン。
それから火薬と信管が抜かれた、観光客向けの空っぽ手りゅう弾を荷台に投げ込んだ。
事前情報通り、二人目と三人目の団員が飛び出してくる。
無警戒に覗き込んでいたら苦戦させられるところだった。
リスリーは荷台から飛び降りて、冷静に一人一人の頭をソードオフショットガンで撃ち抜く。
「さて」
再度、銃口を荷台の中に向けるがもう人間はいない。
リスリーは中に滑るように潜り込んで、いくつかのアタッシェケースの鍵をショットガンでこじ開ける。
「ふふ……これ。これが欲しかったの」
中に入っているのは現金だった。
生体認証が主になりつつある世界で、未だ力を発揮する現金。
リスリーはリュックの中身を取り出し、代わりに現金を丁寧に詰め込んでいく。
七割ほどを埋めたリュックを担ぎ、入ったときと同じように、滑るように出る。それから無人となった車を一台拝借して、その場を去った。
その後、騒ぎを聞きつけた警察とMAがやってくるのを見計らったように、トラックの荷台が爆発炎上。
それはリスリーの置き土産の爆弾だった。
警察、自警団ともに負傷者多数。
都市民に死傷者がいなかったことだけが、不幸中の幸いといえた。
こうして、リスリーはたった一人で、MA相手に襲撃を成功させたのだった。




