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マーティン 1

 珍しく重酸性雨の降っていない日のことだった。


 マーティンはCランクのブラックマーケットを訪れていた。


 ここにはなんでも売っている。

 品質さえ問わなければ、なんでも揃う。


 品質にこだわっている場合は、運が必要だ。

 運が良ければ手に入る。Aランクエリアよりも割安で。


 マーティンはドギツイ色彩のシャツをなびかせながら、目当ての店へ向かっていく。


「……よぉ」


 マーティンは言って、数秒してからサイバーグラスでポルノ鑑賞中の店主の頭を鷲掴みにする。


「いてててて! なんだっ、誰だよくそったれ!」


 痛みに耐えかねて店主、ホーチーはグラスを外して目の前の男を睨みつける。


 しかしすぐにぎこちない笑顔を作り、こびへつらうように上目遣いでマーティンをうかがってきた。


「マーティンさん、お疲れ様です。どうしたんですか? 集金なら先日……」


「そうじゃない。買い物だ」


 マーティンは言って、防弾ガラス製のショーケースを指でコツコツ叩く。


「あ、ど、どれにします? なにをお探しですか? 白ロムなら……」


蛇の庭(ズールィサッド)幹部、チャウ・エリン」


 マーティンがその名を出すと、ホーチーは一度顔を上げてから、下の段ボールをガサガサ探り始めた。


「連絡つかないんですか?」

「ああ……」


 マーティンはそれだけしか語らない。

 ホーチーもそれ以上“雑談”を続けて怒りを買うような馬鹿ではない。


「ありました。チャウ・エリンの愛人の携帯デバイスです」


 出されたのはピンク色の丸い卵型携帯デバイスだった。


 マーティンはそれを受け取る代わりに、紙幣の束を丸め輪ゴムで留めた塊をホーチーの鼻先に突き出した。


「いいんですか?」

「対価は重要だ。良い仕事には報酬を。悪い仕事には報復を」


 ホーチーが札束を受け取ると、マーティンはブラックマーケットを出る。

 その足取りに迷いはなかった。


ー・ー・ー・ー


『……今は連絡してくるなと言っただろ、このバカ女が』


 とあるビルの前。

 古ぼけた建造物を見上げながら、マーティンはピンク色の携帯デバイスを耳に当てていた。


『……おい、聞いてるのか!』


 男の怒鳴り声に思わず笑みがこぼれる。

 苛立った相手が次の言葉を口にする前に、マーティンは問うた。


「俺が誰だかわかるか」


 電話の向こうで相手の絶句する音が聞こえた。


「なぜ、黙って連絡先を変えた。チャウ・エリン」

「ち、違うんです、マーティンさん」

「なにが違う?」


 一瞬、訪れる沈黙。

 必死に弁解を考えているのだろう。


「ボスは殺されました。それにミケとクロって奴らに、残った連中も始末されてて……手が回らなかったんです」


「……つまり、そいつらに舐められてるってことか」

「あ、いや、その……」


 マーティンのこめかみに、筋が浮き上がる。


「蛇の庭は俺の子飼いだ。いつでも捨てられる駒だった。だけどだ、だがしかしだ」


 握りしめた携帯デバイスが、ミシリ、と音を立てる。


「今の俺はお前たちの親だ。始末はきっちり自分でつけないと、ケツもてめぇで拭けないのかと笑われる。また舐められる」


『……あ、あの……』


「今からそこに行く。俺の手できっちり終わらせてやる」


 ヒュッと息を飲む音がした。


『あ、あんた俺らの居場所がわかるのかよ!』


 チャウ・エリンが恐怖のあまり叫ぶ。

 マーティンはすぐに応えず、胸ポケットから取り出したドラッグパックを一本咥え、火を点ける。


「俺の電話に出ただろう、チャウ・エリン」


『……あ』


 慌てて通話が切られる。

 もうかけ直しても二度と出ることはないだろう。


 だがもう遅い。

 部下からサイバネアイに情報が送られてくる。

 ビルのどこにチャウ・エリンがいるか、しっかり“視る”ことができる。


「味方に追われるときは、組織のセーフハウスを使うものじゃない」


 マーティンはひとりごちながら、シャツの袖を捲る。

 鈍色に光る、鋼鉄のサイバネ義手。


 サーカス・ザ・シークレット社製「タイタンアーム最新モデル」。


 マーティンはドラッグパックを咥えたまま、階段を上り始める。

 蛇の巣を壊滅させるために。


「うわぁああああっ!」


 上階から発砲された。

 しかしマーティンは冷静に銃弾を手のひらで受け止める。


「危ないだろうが」

「ガッ!?」


 指で銃弾を摘まんで弾くと、並の銃よりも威力が高い攻撃となって撃ってきた下っ端が返り討ちにされる。


 カツ、カツ、カツ、と階段を上る音に、隠れ潜み反撃を企てる残党の呼吸音が紛れていく。


 自分の居場所が補足されているとは誰も思っていない。

 蛇の庭にはそんなシステムは用意してやっていない。


 階段を上る音が途絶えた。

 残党の一人は背後で消えた足音にパニックになり、身体を壁から出した。

 しかしそこには誰もいなかった。


「……?」


 そして顔を前に出したのがいけなかった。


「……あ」


 最後の言葉だった。

 いつの間にか目の前にいたマーティンの拳によって、顎と頸椎を一瞬で破壊された。


 誰も彼も敵わなかった。

 総勢10名はいたのに、マーティンに返り血一つ浴びせられない。


「……ば、バケモノ……が……」


 ビルの最上階に乗り込み、チャウ・エリンを一殴りした。

 それで終わりだった。


 あばらが折れ、肺に刺さっている。

 彼はもう助からない。


「そうだ、バケモノだ。でなけりゃ蛇はまとめられない」


 マーティンは短くなったドラッグパックを摘まみ、チャウの額を灰皿代わりにする。


「あッ、ぎっ、ぐぁあっ」


 痛みに叫ぶ。

 叫べば肺に刺さった骨が痛む。

 それでも叫ばずにはいられない。


 大層、地獄の苦しみだろう。


「親として最後の慈悲だ。終わらせてやる」


 マーティンはチャウの顔を鷲掴みにして、後頭部を地面に叩きつけた。

 チャウは一度ビクンッと跳ね、もう二度と動かなくなった。


「報告だ。蛇の庭は壊滅。始末はつけた」


 携帯デバイスを取り出し、組織と連絡を取る。

 向こうからは簡潔に、


『了解』


 と、だけ返ってきて通話が切れる。


「ったく、面倒をかけやがって」


 マーティンはチャウ・エリンの頭を蹴って、外に出る。


「お疲れ様です」

「……おぉ」


 ビルの外には護衛が5人待っていた。

 差した黒傘で、マーティンを重酸性雨から守る。

 いつの間にか、空は黒く曇っていた。


 マーティンは一度空を見上げて、舌打ちした。


 それから目の前につけられた車に乗り込み、新しいドラッグパックに火を点ける。


「リストアップしとけ。ミケとクロ、それから逃げた女のな」

「はい」


 助手席に座った護衛が答える。

 マーティンはシートに深くもたれ、ドラッグパックを肺の奥まで吸う。

 それから長く長く煙を噴き出した。


 それがマーティンなりの供養、鎮魂だった。


「あぁ、めんどくせぇ。次はもっと使える連中に仕上げないとな」




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