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傘人  作者: 野生
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序章

 幾千の針となり降り注ぐ豪雨。

 それは闇に染まった天が大地の穢れを洗い流そうと躍起になっている姿とも思えた。

 その村はすでに死んでいた。

 折り重なるように子供を抱き、その身の下の子供ごと身体を刀で貫かれた家族。

 何重にも馬に踏みつぶされ、骨が砕け、地面に顔を同化させた老婆。

 辱められ、半裸状態で木に吊られた若い女。

 村を包み込む死臭が、これ幸いと雨に乗って大気から地に溶けてゆく。

 血に染まる地面はまるで、満開に咲き誇る花のようにある種の美しさを醸し出していた。

 時は幕末。

 刀の時代が終わり、栄華を誇っていた志無き武士たちは皆山賊へと身を落とす。

 それは別段、特別なことではない。

 この村を襲った賊も、例に漏れず身を堕とした武士だ。村が雇っていた用心棒は、敵の数に怯み真っ先に逃げだしていた。

 だが、今となってはそれを責める者もいない。

 この世は、自分の命を守ることが唯一の理だからだ。

 今、山賊たちは村の御堂で盛大な祝宴を上げていた。髪はぼさぼさに伸び、見た目も下劣なことこの上ない。

 ただ、一つの村を襲うだけの数と暴力は有していた。

 そんな山賊たちの中に小さな影があった。

 歳七・八程の小さな女童だ。

 眼の前で親を切られ、祖母を吊るされ、一瞬にして天涯孤独となった女童。もはやその行く末は、この山賊たちに一生慰み者にされるか、よくて人に売られるかといったところだろう。

 けれど、その女童の眼の光は失われていなかった。

 汚らしい山賊の一人が、女童に近づき下衆な言葉を掛けてくる。

 女童はその山賊の顔目掛けて唾を吐き、更にその指に噛みついた。

 小さく絶叫する山賊。だが、所詮は歯も生え換わっていない女童の口。山賊が大きく腕を薙ぐと、女童の歯は易々と山賊の指を放し、その小さな体が鈍い音を立ててお堂の床に転がり、勢い止まらず壁の柱にぶつかった。

 低い呻きを漏らす女童。その右の額が割れ、真紅の筋が女童の面を伝う。

 女童の差した最初の口紅は、女童自身の血の色をしていた。

 お堂の中を騒がす罵声と野次。少女を飛ばした山賊がうすら笑いを浮かべながらわざとらしく頭を下げる。

 そして、その相貌に妖しい光を宿らせ山賊が女童に迫ろうとした、次の瞬間。

 カッと凄まじい稲光が走り、雷轟が轟いた。

 同時に、激しい突風が吹き荒れ、お堂の雨戸ごと障子を吹き飛ばし、お堂の中の明かりが真ん中の囲炉裏を残して全て消える。

 まるで天の怒りのような情景に、恐れ戦く山賊たち。

 だが、本当の恐怖は自然の恐怖の後からやってきた。

 それは、一言で言うなら、殺気。山賊たちの手が、一斉に帯刀した刀の柄にのびる。

 暴風雨吹き荒れるお堂の外。まだ、山賊たちの眼には何も映ってはいない。耳の痛くなるような風の音が吹き荒れ、雨戸のなくなったお堂の入り口の床が豪雨に晒され次第に重くなってゆく。刻、一刻と過ぎる時間。床に倒れ伏す女童は、投げ飛ばされた際に足をくじいたのかその場から動かない。

 山賊たちの額に、頬に、伝う雫がその数を増す。

 そしてついに、山賊たちの眼がその姿を捉えた。

 千の針となって降り注ぐ雨を遮る、血のように真っ赤な傘。

 その下には一人の男。

 一見すれば、傘を差す男が宿を求めているように見えなくもない。が、その男は傘を差す手とは逆の手に、雨玉が滴る一振りの刀を携えていた。

 山賊たちは動かない。

 ――いや、動けない。

 まるで妖術に掛かったかのように、山賊たちはその傘を差す男が放つ殺気によってその場に縫いとめられていた。

 一歩一歩、小さな水柱を上げ傘を差す男がお堂に近づく。その身体がお堂の中へあと一歩と近づいた時。男は足を止め、お堂の中をゆっくりと見渡した。

 傘の端から見える男の双眸はまるで三日月のように柔らかく、しかしながら、研ぎ澄まされた日本刀のように鋭い。全体的に端正な顔のその男は、お堂の中に横たわる女童を見つけるや否や、手にしていた傘を女童に向けて投げた。

 その傘はまるで意思を持つかのように空中で反転し、女童を山賊たちから覆い隠す。

 ドスンと重々しい音がお堂に木霊し、傘を受け止めたお堂の床が僅かに陥没した。

 だが、そんなことに構っている余裕など山賊たちにあるはずもなかった。

 面を上げる男が改めて山賊たちを睨めつける。

 その瞬間、熱いものに障ったかのように山賊たちの身体が一斉に後退した。

「何を怖がる。お前たちの所業は仏も恐れぬモノだろう」

 男は背後の雨の帳越しに、死んだ村を睨む。

 そして、再び山賊たちに向かい合ったその瞳には、深い悲しみと、重い憤怒が溢れていた。

「鬼より怖い人の業、とはよく言ったものだ。別に、お前たちを責める気はない。――が」

 男のゆっくりと持ち上げる刀が、暴風に抗うように激しく燃える囲炉裏の炎を宿し朱く染まる。

「俺の傘下に手を出す野郎は、例えそれが神だろうが仏だろうが、閻魔だろうが許さねぇ」

 その言葉が契機となった。

 山賊たちの胆力が男のそれを上回ったのか、それとも単に男が呪縛を解いたのかは不明だ。

 山賊たちは手に持った刀を振り上げ、一斉に男に斬りかかった。

 だが、圧倒的な数の不利にも、男はまるで物怖じした風もなく、むしろ、自らが進む手間が省けたとその静謐な瞳を爛と輝かせて男たちを迎え撃った。

 一番男の近くにいた女童を突き飛ばした山賊が、男に向けて唐竹割に刀を振り下ろす。しかし、振り下ろされるはずだった刀と山賊の腕は、まるで気が変わったかのようにお堂の外へと吹き飛んだ。

 自らの腕に眼を移す山賊、失った肘から先。驚愕は後からやってきた灼熱の痛みに上塗りされ、さらに痛みの灼熱すらも喉を突き抜けた刀の切っ先に奪い去られた。

 支えをなくす山賊の身体。その喉元から刀が引き戻されると、鮮烈な血潮が霧となって噴射する。しかし、その血霧すらも男に報いることはできない。

 突然目の前の仲間の後頭部から生えた刀と、その刀が消えるのと入れ替わる様にして現れた男に、二番目の山賊の首は驚きの表情を刻んだまま宙を舞う。山賊の首を停滞なく切り飛ばした刀が翻り、三人目の右の太ももに食らいついた。再び間断なく肉と骨を断ち切り現れた刀。その刀を操る男の双眸が、右から振り下ろされる刀を捉える。

 男は刀を握る右腕を一瞬で引き戻し、迫りくる刀を自らの刀で受け止めた。

 耳を引き裂く鋼同士の甲高い音が響き、眩い火花が咲き誇る。だが、激突は一瞬。山賊の持っていた刀は中ほどで折れ、先の方が回転しながら天井の縁に突き刺さる。半分になった刀を手にした山賊の右目が最期に捉えたのは、その右目に突き出される鋼の切っ先だ。

 眼孔から潜り込んだ刀身はそのまま山賊の脳髄を引き裂き後頭部から飛び出し、男の思考を一瞬のうちに刈り取った。

 ビクンと大きく震える山賊の身体を蹴り飛ばし、お堂に舞い込んだ男は更に加速する。

 引き抜いた刀を大きく薙ぎ、目の前の大柄な山賊の胴を二つに分断。その上半身が崩れるよりも早く、刀の腹を横手から背後に向けて叩きつける。背後から強襲を仕掛けたネズミのような顔の男は、そのこめかみを刀の腹で殴打され、耳から血を噴き出しながら女童とは反対側の柱に激突した。

 次々に屠られる山賊たち。

 残る山賊は、後三人。

 その中の一人の顔面を左拳で叩き潰し、男はおそらく山賊たちの頭らしき禿頭の山賊に狙いを定めた。

大きく足を踏み込み、袈裟切りに刀を振り下ろす。山賊の頭は咄嗟に最後の仲間を縦にその斬撃を受け止めた。衝突の瞬間が変わり、山賊の右肩口から潜り込んだ刀身は心臓を分断し、左の肺に食い込んだところで停止。深深と切り込まれた山賊の口腔から、赤黒い血が溢れだす。

 その山賊の顔が、男の顔面に迫ってきた。

 山賊の頭が、部下ごと男に向かって体当たりを仕掛けたのだ。

 男は体をかわし、刀を引き抜きざまに向かってきた山賊をやり過ごす。無理やり刀を引き抜かれた部下の身体が捻じれながら倒れるのを尻目に、山賊の頭は怒声を上げながら男に斬り込んできた。剣術の心得がかなりあるのか、他の部下に比べて頭のそれは様になっている。

 だが、所詮は堕ちた者の刀。

 男は易々と頭の刀を避けると、すれ違いざまにその命を刈り取った。

 あっという間に、お堂の中に血の匂いが充満し、空気が重くなる。

 血の海となったお堂の中を、男はゆっくりと歩き始めた。

 草履は血を吸い、袴の裾が重くなる。

 しかし、男は気にせず亡骸を避けて歩き、そして、自らが放った傘の前にやってきた。

 傘を拾い上げる男。

 傘の下では、先ほどの女童が親の敵の様な目で男を睨んでいた。

 しかし、その体はかすかに震えている。

 まるで、自分以外の全てに怯える子兎のように。

 そんな女童に、男は自らの姿を重ねていた。

 ここで会ったのも何かの縁だろう。

「おい、お前。――俺の傘に入るか?」

 男の問いに、外の豪雨にも負けない声で女童はハッキリと答えた。


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