表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隣にいる君へ  作者: 8
PR
1/5

1

初めての作品です。

読んでいただければ幸いです。

高校二年の春。

その日は、鮮やかな水色の空に真っ白な雲が浮かび、柔らかな風が吹いていた。

新しいクラスの名簿が生徒玄関に貼り出され、大宮里桜は並んだ名前の中から、ある一つの名前を見つけた。


――瀬田智哉


その四文字を目にした瞬間、里桜の胸の奥がとくんと小さく弾んだ。

一年生の頃から、廊下や学校行事で何度か見かけたことのある男子だった。

智哉は吹奏楽部でトロンボーンを弾いていて、いつも誰かと穏やかに話していた。

大きな声で騒いだり、目立とうとしたりするタイプではない。

それなのに、智哉の周りにはいつも自然と人が集まっていた。

誰かが話している時には、急かすことなく最後まで聴き、そして、ゆっくりと頷きながら優しく笑う。

そんな姿を見かけるたびに、里桜は思っていた。


(素敵な人だ……)


同じクラスになれただけでも十分に嬉しかったけれど、二人の席は教室の端と端ほど離れていて、話しかけるきっかけがなく、目が合うことさえほとんどなかった。

それでも里桜は、朝のホームルームや授業中、休み時間になると、つい教室の向こう側にいる智哉を探してしまう。

友達の話を優しい目で聞いている横顔。

先生の話に真面目な表情で頷いている姿。

誰かの冗談に、声を上げすぎず穏やかに笑う顔。


(今日も笑ってる……)


その横顔を見つめるだけで、里桜の胸はほんのり温かくなった。

一日が、ほんの少し幸せなものになる。

けれど里桜は臆病で、誰かに自分から話しかけることがあまり得意ではなかった。

そして、ずっと気になっている智哉を前にすると、何を話せばいいのか分からなくなってしまう。

同じクラスになってから、言葉を交わすことはほとんどないまま、季節だけが春から夏へと変わっていった。


夏休みが終わり、新学期最初の席替えの日がやって来た。

先生が教壇の上で、くじに書かれた名前を一人ずつ黒板に書き込んでいく。

里桜は自分の名前が書かれるのを待ちながら、膝の上で指先をそっと握りしめていた。


「あ!やった!窓際!」

「えー!真ん前じゃん!誰か代わってくれー!」


席が決まった何人かが声を上げながら、どんどん移動しはじめる。

その喧騒の中で、里桜の視線は思わず彼の姿を追ってしまった。

そして視線を動かすと、ちょうど先生が黒板に大宮の文字を書いているところだった。


(……あ!私のだ!)


里桜は荷物を持って席を立つと、新しい席に向かって歩き、すぐに驚き立ち止まった。

目の前に、荷物を片付けている智哉が座っていた。

その右隣が里桜の席だった。


(隣……? 瀬田君の隣なの?)


里桜は動揺を悟られないように、慎重に新しい席へと向かった。

けれど足元はどこか落ち着かず、歩き方まで不自然になっているような気がする。

席に着こうとした時、ふと見ると智哉の少し茶色がかった髪が、窓から差し込む光を受けて柔らかく揺れている。

里桜に気づいたのか顔を上げた智哉と、目が合った。


「よろしく。」


智哉が、いつもの優しい笑顔を向けてくる。

これまで遠くから何度も見つめていた笑顔が、今は手を伸ばせば届きそうなほど近くにあった。


「……よろしく。」


平静を装ったつもりだったが、声はほんの少し震えてしまった。

智哉は気づいていないのか、にこりと笑って机の上のノートに目を向けた。

里桜も慌てて椅子に座り、誰にも聞こえないように小さく息を吐く。


(まさか、本当に隣になれるなんて……)


嬉しい。

けれど、それ以上に緊張していた。

すぐ隣に智哉がいる。

少し顔を横へ向ければ、真剣に教科書を読む横顔が見える。

ノートを取る音も、時折小さく息を吐く音も聞こえてしまいそうな距離だった。

里桜の胸の鼓動は、その日の授業が始まってもしばらく静まらなかった。


休み時間になると、智哉の席には自然とクラスメイトが集まってきた。


「瀬田、さっきのこの問題教えて。」

「智哉、文化祭、何弾くの?」


智哉は一人ひとりの話を急かすことなく聞き、ゆっくりと言葉を返していく。


「これは、この公式を使えば解けるよ。」

「曲は決まったけど、まだまだ練習しないとなぁ。」


落ち着いた話し方と穏やかな笑顔に引かれるように、周りの人たちも自然と笑顔になっていく。

里桜は教科書を読んでいるふりをしながら、時折そっと智哉の横顔を見つめていた。


(やっぱり、優しいな…)


同じクラスになってから、ずっと見つめていた時と何も変わらない。

けれど、隣の席になったことで、これまで知らなかった小さなことまで見えるようになった。

智哉は授業が始まる前、必ず机の上をきれいに整える。

トロンボーンを奏でる大きな手は、指先まで綺麗に整えられている。

誰かに声をかけられたら、一度手を止めて相手の目を見てから返事をする。

知れば知るほど、里桜の中にあった想いは大きくなっていった。

それでも、席が隣になったからといって、急にたくさん話せるようになったわけではなかった。

授業中にプリントを渡したり、教科書のページを確認したり、交わす言葉は、まだほんの少しだけだった。


「これ、プリント、まとめて前に持っていくよ。」

「ありがとう。」


そんな短いやり取りだけでも、里桜にとっては胸がいっぱいになるほど嬉しかった。


放課後になれば、智哉は東側にある音楽室へ向かう。

里桜は西側にある美術室へ向かう。

吹奏楽部と美術部の部室は、同じ階の端と端にあった。

それまでの二人は、廊下ですれ違っても軽く会釈をするだけだった。

目が合えば、里桜が小さく頭を下げる。

智哉も笑顔で同じように頭を下げる。

それだけで終わってしまう。

けれど、席替えから数日がたったある日の放課後。

美術室へ向かって歩いていた里桜は、長い廊下の向こうに智哉の姿を見つけた。

楽器の入ったケースを手に持ち、こちらへ歩いてくる。

智哉だと気づいた瞬間、思わず息をのんだ。


(瀬田君……。)


いつもなら、このまますれ違う直前に会釈をするだけだ。

けれど今日は、少しだけ勇気を出してみたいと思った。


(今日こそは、声をかけてみよう。)


隣の席になったのだから、挨拶くらいしても不自然ではない。

何を言うかは、もう決めていた。


―部活、頑張ってね。


たったそれだけ。

何度も心の中で練習しながら、里桜は近づいてくる智哉を見つめた。

距離が少しずつ縮まっていく。

ふと少し目線を上げた智哉も里桜に気づき、いつものように優しく目を細めた。

けれど、いざ目の前まで来ると、里桜は急に恥ずかしくなった。

智哉の顔をまっすぐ見られず、直前になって視線を横へそらしてしまう。


(やっぱり、無理……!)


そのまますれ違いそうになった瞬間。

里桜はぎゅっと手を握りしめ、勇気を振り絞った。


「ぶっ、部活、お疲れさま!」


声が少し裏返った。

しかも、見事にどもってしまった。


(ぎゃーっ、どもった……!)


心の中で悲鳴を上げながら、里桜は顔が熱くなるのを感じた。

智哉は驚いたように目を瞬かせ、足を止めた。

突然声をかけられたことに戸惑っているように見える。


(どうしよう。変に思われたかも……。)


不安になった里桜が恐る恐る顔を上げると、智哉はすぐに柔らかく笑った。


「ありがとう。」


それから、少しだけ里桜の方へ体を向ける。


「大宮さんも、部活頑張ってね。」


自分の名前を呼ばれた。

それだけで、里桜の胸がまた大きく跳ねた。


「……うん。ありがとう。」


今度はすんなりと言えた。

けれど恥ずかしさで顔を上げていられず、里桜は小さく頭を下げると、逃げるように美術室へ向かって歩き出した。

廊下の角を曲がったところで、里桜は持っていたカバンを抱きしめる。

心臓が、まだ速く鳴っていた。


(話せた……)


ほんの短い言葉だった。

特別な会話でもない。

それでも初めて教室の外で話すことができた。

「大宮さん」と呼んでくれた声が、何度も頭の中で繰り返される。

里桜の口元には、込み上げる感情のままに笑みが浮かんでしまった。

一方、廊下に残った智哉は、遠ざかっていく里桜の背中を見つめていた。

いつも静かで、隣の席でも控えめに笑う大宮里桜。

そんな彼女が、自分に声をかけてくれたことが、少し意外だった。

そして、恥ずかしそうに俯きながら見せた小さな笑顔が、なぜか心に残った。

それから二人は、廊下ですれ違うたび、少しずつ言葉を交わすようになった。


「今日も部活?」

「うん。文化祭に飾る絵が、もう少しで完成しそうなの。」

「そっか。完成したら見せてよ。」


智哉の何気ない一言に、里桜の胸が温かくなる。


「……うん。」


思わずこぼれた、小さくて柔らかな笑顔。

その笑顔を智哉は何故か眩しく感じ、目を細めた。

里桜には、智哉が何を思ったのかは分からない。

けれど、その笑顔はいつもより少しだけ優しく見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ