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銀の伝承  作者: 銀の伝承
第八章「神域決戦編」
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第172話「ありがとう」

宇宙が、静まり返っていた。

音も、色も、時の流れすら存在しない空間。ただ一つ、そこに立っていた。

鮮烈な白光を纏い、銀髪は星々のように揺れ、神々しい鎧には、あらゆる理の紋章が刻まれていた。


ブリシンガー。

かつては人。やがては神を超えた存在となり、今、この瞬間、真なる創造の源として存在していた。


破壊神ガウレムを討ち、その代償に銀河すら失われたこの宇宙。

全てを終わらせた彼は、光の中心に立ち、ゆっくりと目を閉じる。


彼は、ひとつ深く息を吐くと、静かに片手を掲げた。


その動きは、美しく、祈りのように荘厳で―そして、全宇宙の理そのものを動かす号令だった。

やがて、その手から光が放たれる。それは、崩れた惑星を縫い直し、裂けた銀河を繋ぎ、散った命や星屑までもあったべき姿へと導く光。


太陽が再び燃え上がり、木星が姿を取り戻す。地球の大地が蘇り、海が青さを取り戻す。粉々になった月が、穏やかにその軌道へと還ってゆく。


世界は再び、命に満ちていく。

彼が失ったものすべてを、救いたかったものすべてをその手で、たしかに取り戻していた。

そして、その光はなおも広がり続け、宇宙のすべてに、優しく、静かに再誕を告げていた。


誰も、何も、言葉にできなかった。

次元の外、避難された安全な地。


フィリアが展開した魔法の視界を通じて、人々はブリシンガーが、宇宙そのものを元に戻す瞬間を目撃していた。

その手ひとつで、宇宙の全ての太陽が再び燃え、砕けた星々が塵一つ残さず、あったべき位置へと還っていく。

それは祈りのようで、奇跡のようで、そして、創造そのものだった。


人々は、老いも、若きも、男も、女も、魔族も、人間も、エルフも、ドワーフすらも、すべての存在が、ただ息を呑み、立ち尽くしていた。


誰一人として、声を上げる者はいなかった。

目の前で起きていることが、何なのかを理解するには、あまりにも壮絶すぎたからだ。


子どもが、母親の袖を引こうとして引けなかった。母は、目を見開いたまま、ただ涙を流していた。老人が、杖を握る手を震わせた。


バルダーは、目を見開き、拳を握り締めることすら忘れていた。

ドゥガルは、ただ無言で立ち、顎に手を当て、唇を閉ざしていた。

システィーンは、膝を折るように座り込んだまま、その白き光を見つめ、震える両手を、胸に当てていた。


フィリアもまた、魔法の視界を維持したまま、言葉を飲み込み、静かに震えていた。

ゼルグでさえ、無言で瞳を細めていた。


宇宙にただ一人立つブリシンガーを、人々は言葉を失ったまま、ただ、見つめていた。


そのとき。

フィリアの表情が、ハッと硬直した。次の瞬間、彼女はテレパシー越しに声を張り上げる。


「皆さん!!」

その声に、無数の視線が一斉にフィリアを向く。


彼女の額には、わずかな冷や汗が浮かんでいた。

「ブリシンガーは……これから私たち全員を、元の世界に還すつもりです!」

「この空間から、本来の地球へ!大きな転送の衝撃が来ます!全員、しっかり身構えてください!!」


ざわめきが走った。人々は顔を見合わせ、緊張の色を浮かべる。

人々は思わず身を寄せ合った。


「……戻れる……?」

誰かが小さく呟く。


その声に、子どもたちが期待を込めて母親の袖を握りしめた。

「やっと……やっと、地球に…」

希望という名の光が、人々の顔に浮かんだ。


中には恐怖で声を詰まらせる者もいた。だが、すぐに誰もが深呼吸をしてその瞬間を受け入れる覚悟を決める。


天空が震えた。

まるで全宇宙を抱くかのような、白銀の光が、再び彼方から押し寄せてくる。

それは破壊のためではない。還すための光。


仲間たちの胸を、ひとつの不安が締めつけた。

バルダーが歯を食いしばり、低く唸る。


「……アイツ……戻ってこられるんだろうな……?」

握りしめた拳が、血がにじむほどに震えていた。


彼は知っていた。あの男が、決して嘘をつかないことを。

だからこそ、怖かった。


システィーンは、胸の奥に押し寄せる不安を、必死に押し殺していた。

(お願い……お願いだから、無事でいて……!)

光に包まれながら、両手を強く握りしめる。彼女の頬を伝う涙が、光に溶けて消えていった。


ドゥガルは、わずかに視線を伏せ、呻くように呟く。

「……まさか……全部、やり遂げちまうつもりじゃ……」

胸に広がるざわつきは、怒りでも、悲しみでもない。それは、認めたくない予感だった。


カリスの瞳は、深い影を宿していた。

「……なぁ……ゼルグ。お前、知ってるんだろ……?」


その問いに、ゼルグは沈黙する。

ただ瞳を閉じ、重く、深い吐息を漏らした。


「……ああ。知っている」


視界が白一色になり、耳を打つ轟音も、頬を撫でる風も、すべてが遠ざかる。

やがて光が止んだとき、そこに広がっていたのは地球だった。

崩れ落ちた大陸も、砕け散った山脈も、焦土と化した都市も、すべて元通りになっていた。


まるで何事もなかったかのように。

それ以上に美しく、純化された世界。澄み切った空、深い緑、どこまでも広がる蒼い海。

世界は再び息を吹き返していた。

人々は、それぞれの家へと戻っていた。笑い声、泣き声、再会を喜ぶ声が、遠くで微かに響いている。


だが、その中心にいるブリシンガーの仲間たちは、別の場所にいた。

広大な平原。風が吹き渡り、無数の花々が波のように揺れる。

見渡す限り、ただ果てしない大地と、青空だけ。


「……ここは……?」

ドゥガルが、ゆっくりとあたりを見回す。


「たしかに、地球……だよな?」

バルダーの声は低く、どこか張り詰めていた。胸の奥に広がるのは、戸惑いと、不安と、一つの予感。


「……ブリシンガーは……?」

システィーンが、かすれた声で呟いた。彼女の両手は、無意識に胸の前で握り締められていた。


答えは、空から訪れた。

圧倒的な存在が、遠くから近づいてくる。

光が、空を満たす。


バルダーが、思わず目を細めた。

「……あれは……!」


雲を突き抜けるように雲そのものを白炎に変えながら、彼は降りてきた。

ハルディヴァーの姿をしたブリシンガーだった。


「……ブリ……シンガー……?」

システィーンの声が震える。

目の前の存在は、彼女が愛した男。だが、同時に、世界そのものを統べる何かでもあった。


彼は、静かに舞い降りる。草原の中央に、その神々しい姿で。


ゆっくりと、光の鎧を纏った彼が言葉を放つ。

その声は、天地を震わせるほどの力を宿しながらも、どこまでも優しかった。


「皆、戻ったな。無事でよかった」


低く、深く、確かな響き。

だがその瞳の奥にある光は、確かにブリシンガーだった。


戦士として笑い、仲間と歩き、孤独に耐え、それでも人を愛した英雄。


システィーンの視界が滲んだ。

ドゥガルは奥歯を噛みしめ、肩を震わせる。


バルダーの拳が、音を立てて震えていた。

「……なんて姿だよ……おい……」

その声は掠れて、風に消えた。


圧倒的な光の中でブリシンガーが、ゆっくりと微笑んだ。

それは、あまりにも優しく、温かく、そして切なかった。


「時間がない」

「だから……お前たちに、最後の言葉を伝えたくてな」


仲間たちの胸に、何かが崩れ落ちた。

込み上げるものを、誰も抑えられなかった。


システィーンの唇が震える。

「……最後……って……」


ブリシンガーは、ただ静かに首を振る。

その仕草は、神々しい鎧を纏っていても、どこまでも人間的な優しさに満ちていた。


「俺は、ずっと戦ってきた」


声が、大地に溶け、空に染み込むように広がる。


「何千年もただ、守るためだけに剣を振ってきた」

「仲間を失い、希望を失い、それでも剣を手放さなかった」


目を閉じる。

ほんの一瞬、その長すぎる旅路を思い出すように。そして、ゆっくりと瞳を開き、仲間たちを見た。


「だが、お前たちと出会えた」


光の奥で、その瞳が柔らかく揺れる。


「お前たちと生きた時間が、俺にとっては全てだった」


ドゥガルが声を殺して、拳で地面を叩く。

「なんでだよ……こんな終わり……ふざけんなよ……!」


膝に血が滲むほど拳を振り下ろしながら、嗚咽を漏らす。

バルダーは俯いたまま、肩を震わせた。


「ブリシンガー!!」

バルダーが叫んだ。

その声には、恐怖と焦りと、何より失いたくないという想いが渦巻いていた。


「おい……あんたは……誰よりも強いんだろうが……っ!」

拳を握り、震える声で吐き出す。


「俺をここまで強くしてくれたのはあんたなんだ……!あんたがいなくなったら、俺は……誰を目標に頑張ればいいんだよ……!」


その言葉を聞いて、ブリシンガーは微かに笑った。


「バルダー……お前は、もう十分過ぎるぐらい強い」


その声は、優しく、深く、父が息子に言葉を遺すかのようだった。


「お前は、俺の誇りだ」


「やめろよ……そんな言い方すんなよ……!」

バルダーが叫ぶ。一歩、二歩、ブリシンガーに駆け寄ろうとする。

だが、足が震えて進めない。


ブリシンガーは何も言わず、ただ優しく彼に微笑んだ。

ドゥガルが歯を食いしばりながら、涙を流しながらブリシンガーに声を振り絞る。


システィーンは涙を止められず、ただ必死に首を振る。

「……やめてよ……やめて……!そんな顔で、そんなこと言わないで……!」

「一緒に生きるって……言ってくれたじゃない……!待ってるって……言ったじゃない……!!」


それを聞いたブリシンガーが、静かに、だが誰よりも温かみの宿る声で返した。


「システィーン、すまない」

「何千年も孤独だった俺に、愛を全く知らなかった俺に……それを教えてくれたのは、お前だった」


ブリシンガーの笑みが、少しだけ強くなった。


「俺は、もう二度と孤独じゃなかった」


その言葉にシスティーンの嗚咽が、空気を震わせる。

彼女は泣きながら叫ぶ。

「うそ……そんなの、いや……!いやよ……!」


その言葉と同時に、彼女は駆け出した。

風を切り、足音を響かせ、必死に彼のもとへ。


足音が、草を踏みしだく音と混ざり、荒く乱れた息とともに響く。

視界は涙で歪み、揺れる。

頬を打つ風が冷たくて、痛い。


それでも、止まらない。


「待って……行かないで!!!」

悲痛な叫びが、空を震わせる。


彼は、静かに目を細めた。

そして再び微笑んだ。それは、彼が見せた中で、最もやさしい笑みだった。


「……ありがとう」


彼の口から紡がれた最後の言葉だった。


次の瞬間、彼の身体は無数の光の粒となって、ゆっくりと砕け散った。


白銀の髪も、神々しい鎧も、その輪郭を失い筋の光となって、天へと還っていく。


「いやあああああああああああああああ!!!!!」


システィーンは、涙で濡れた瞳を見開き、その消えていく光に、必死に手を伸ばした。


「行かないで!!お願い……お願いだからぁぁぁぁぁ!!!!!」


彼女の手は、砕け散った光が満たす空を切る。


何も、掴めない。

その胸に残るのは、温もりではなく、ただ、空虚な風だけ。


彼女は膝から崩れ落ち、そのまま大地に手をついた。嗚咽が、声にならない叫びとなって、晴れ渡る空に溶けていく。


バルダーは膝をつき、拳で地面を叩く。

ドゥガルは奥歯を噛み、唇を震わせ、目を逸らすことすらできなかった。

カリスの瞳は震えていた。

ゼルグでさえ、天を仰ぎ、声なき息を吐いた。


嗚咽と風音だけが、世界を支配していた。

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