8 さあ、帰ろう
魔王陛下への挨拶は、スラルヴィオの屋敷で行われた。
イレーネの希望であったが、それはナランへの配慮である。
「ナラン・フレグ魔王陛下。本日はご足労いただき、誠にありがとうございます」
イレーネはすっかり回復し、シンプルだが美しいドレスに身を包んでいる。
「いやいや、イレーネ嬢。お会いできるのなら、どんな苦労も厭いません」
魔王は、普段の威厳もどこへやらで、柔らかい物腰で答えた。スラルヴィオはまだ息子に、イレーネ達が帰国することを言っていない。
「イレーネ殿、実は私から言いたい事があるのだが・・・私がそなたに、惚れているのは知っておろう?」
口を開いたナランに、イレーネは待ったをかける。
「陛下、先ずは私から話をさせて下さいませ」
そしてイレーネは、それまで着けていたウィッグをパッと外した。
切り刻まれていた『朝焼け色の髪』は、まだ肩に触れるほどにしか伸びていない。そんな短い髪に、ナランは酷く驚いた。
「まだ私の髪は、ここまでしか伸びておりません。元通りになるには、長い時間が掛かると思います」
そんな彼女の言葉に、ナランは慌てるように答える。
「いや、髪の長さだけが、そなたの魅力では無い。それに、長い時間と言われたが、私にとっては一瞬に近い時間なのだから、気にしないで良いのだ」
イレーネは、真っ直ぐに彼を見て言った。
「そう、それなのです」
「え?」
意味が解らない、という顔になった魔王に、イレーネは言葉を続ける。
「魔族でおられる陛下には、一瞬の時間。けれど私は、人間でございます。人の寿命は、魔族より遥かに短いのです。そして私は、やりたい事がございます。『自分らしく』生きるために、シュバルグラン王国に帰って、それを成し遂げたい。けれどそれには、どれだけ時間が掛かるのか解りません」
ナランは、小さく呟いた。
「私は・・・どれだけでも、待てるぞ」
「寿命が短いという事は、老いという変化も早いという事です。私が自分の目的を達成した時、この髪さえも白くなっているかもしれません。そして皺だらけの老婆には、その先に残された時間も少ないのです」
「その目的達成を、私が助けてやると言っても?」
「私は、私自身でそれを為さなければ、意味は無いと考えております」
ナランは、静かに俯いた。
気の毒にはなるが、イレーネとしては譲れないのだ。
「魔族と人は、流れる時間さえ違うのでしょう。人の寿命は短いけれど、だからこそ、納得できる生き方をしたいと私は思うのです。どうか、帰国することをお許しくださいませ」
静かだが意志に溢れたイレーネの言葉は、ナランへ届いたようだった。
「そうか・・・最後に聞かせてくれないか?その・・・私を嫌ってはいないのだよな?」
「え?・・・はい、それは勿論。沢山の贈り物も、ありがたく思いますし・・・」
(・・・ちょっと、嘘だけど)
「そうか、それなら良い。私にとっては短い時間かもしれないが、それでもそなたへの気持ちは変わらないだろう・・・イレーネ嬢、そなたが無事目的を達成することを、遠くから祈るとしよう。もし私の助けが必要になったら、連絡をくれ。せめてそなたの良き友人となれるよう、出来る限りのことをしたいと思う」
ナランは、鬣のような髪を振って、きっぱりと踵を返した。
その背中には哀愁が漂ってはいたが、自らの身分に相応しい威厳に満ちた動作だった。
そしてイレーネ達は、魔王都ルグロリューを後にした。
来た時は徒歩だったが、帰りは空の旅になる。翼を生やしたノイに騎乗するイレーネと、拝み倒すようにしてその後ろに乗せて貰うウィン。
エルオリーセは、ペガサスに変身したアルバに乗る。来た時に背負っていた鍋が、餞別としてスラルヴィオ老から貰ったトランクボックスに変わっていた。
外側は上質な革張りだが、内側は薄い金属が張ってあり、そこにあのお札が張り付けられている。軽いが丈夫に作られたトランクボックスには、調節可能なストラップが付いていて、背負うエルオリーセの負担も少ない。オリビエも、鍋よりはずっと気分が良いようで、その餞別をとてもありがたく思っていた。
天候にも恵まれ、空の旅は快適に続き、来た時の何倍もの速さでスティンガー山脈を越える。
根雪の山頂を越えると、ウィンが声を掛けた。
「悪ぃが、俺だけ麓辺りで降ろしてくれないか?」
とりあえず良さげな辺りに、一行は着陸した。
「実は、馬を購入しようと思ってな。イブキは置いてきたから、この先イレーネがノイに乗るなら、俺もこっちで乗る馬が欲しいんだよ」
魔王国でウィンが乗っていたイブキは、魔物の一種であるコーンホースだ。角は小さくて目立たないが、ここシュバルグラン王国の馬とは、少し習性も違う。おそらくイブキ自身も馴染めないだろうと、向こうを出発する前に置いてきたのだ。
「この先ずっと、ノイに同乗するわけにもいかないだろ?」
確かにそうですね、とノイは頭を振った。
「それじゃ、私も一緒に行くわ。翼を出さなければ、ノイは普通の黒馬で通るし、王国にも慣らしておきたいしね」
魔王国で生まれ育ったダークペガサス、ノイシュヴァルツは、先ず多くの人間さえ見たことが無い。人の生活や風習なども覚えて欲しいと思うイレーネである。ついでに、ウィンと2人だけで旅をしてみたいとも思っていた。
「解った。それでは私たちは、先にロートホルン城に戻っていよう。城の補修に、手を付けなければならんからな」
オリビエの言葉に、エルオリーセは黙って頷いた。
そして一行は、そこから二手に分かれた。
ロートホルン城は、南西の方角になる。夜になって、エルオリーセを背に乗せたアルバは、巨大な梟の姿になって飛んだ、オリビエも、その傍らで、宙を滑るように去って行った。
彼らを見送ると、イレーネが口を開く。
「さて、私たちはどこを目指すのかしら?」
「そうだな、西へ向かうか。先ずは、ポタジェっつう村を目指そうと思う」
「どんな村?」
「アーネスト・フォーゲル公の領地だな。昔は寒村だったが、今は長閑で豊かな村だと聞いてるぜ」
「・・・フォーゲル?」
「ああ、女公爵アリスヴェルチェ・フォーゲルの弟だな」
女公爵の言葉に、イレーネはキュッと気を引き締めた。
その昔、自分がアリスヴェルチェに対して、苛めをしていたことも微かに思い出す。
(・・・複雑な気持ちだけど、避けては通れない道よね)
弟であるアーネストが、どこまで知っているかは解らないが、出来れば会ってみたいとも思うイレーネだった。




