グランドゼロ作戦
台湾の国民世論は独立派が大多数と言われているが、中台統一派も1割程度はいる。いわゆる「親中派」の人々が一定数存在し、政治的な力をもつことは不思議ではない。
もしその勢力がある区画へ集まって居住し、そこが海に面した上陸可能な地点であれば、中国は関心を持って、その地を観察するだろう。
さらにその勢力が、体制に脅威を与える程に拡大した場合、 中国はその親中勢力へ手を差し伸べる誘惑を抑えきれないだろう。その地こそ、念願だった統一への第一歩となる橋頭保なのだ。
無論、台湾当局がそれを放置するはずはなく、全力を挙げて阻止するだろう。親中派が中国に助けを求めても、今はどうすることもできない。その準備が整っていないからだ。
中国は台湾を手に入れたい。できれば平和的に・・・台湾の経済力を損なわず、中国に組み入れることができれば言うことはない。第一、ひとつの中国は国際的に認知されているではないか。
理想のシナリオは、親中派が勢力を拡大し、平和的に台湾全土を掌握することだ。それができれば何の苦労もないが、当分それは望めないだろう。
次に考えうるシナリオとして、ロシアのクリミア併合方式がある。現状ではいきなり台湾全土の併合は不可能だ。そこで「親中派保護区」を設定し、中国軍が電撃的に、無血で進駐する。
台湾陸軍は、この保護区をたちまち包囲し、せん滅することができる。そこで中国は、最強の海軍による海上封鎖で対抗する。
海上輸送路を遮断された台湾は長く持たないだろう。中国との交渉に応じるしかない。中国としては、一部でも軍の駐留を認めさせればそれでよい。
保護区は、中国本土の窓口となり、共産党に協力的な国民に経済的恩恵を与える。独立派の考えも徐々に変わっていくだろう・・・
共産党の上層部や情報機関は数年後の統一目標に向け、幾通りもの作戦計画の立案に忙しかった。
同じような統一のシナリオが、日本でも研究されていた。それは共産党の描く、巨大な中国が台湾を飲み込む姿ではなく、全くその逆だった。
防衛省と何の関係もない、大学の研究室で「アジア戦略研究室」のメンバーが勢揃いしている。
「これは木村教授の構想をもとに、『グランドゼロ』作戦として具体化された計画書です。グランドは中国の民主同盟軍、ゼロは我が陸・海・空の自衛隊を示す隠語です。本来の『爆心地』の意味とは無関係です」
竹永一等陸佐は事実上の責任者としての立場を受け入れた。たとえそれが成功しても、その功績が称えられることはない。それは国の指導者たちが手にするだけだ。
失敗すれば、暴走した国粋主義者として糾弾され、その責めを負うことになる。割に合わない役目だが、作戦遂行の為に、階級を超える権限をもっていた。
作戦計画第1項は、台湾工作から始まる。木村教授がその内容を補足した。
「残念ながら、台湾の親中派はさほど積極的ではない」
中村教授はメンバーの中からひとりの男を紹介した。
「そこで、彼に台湾親中派への工作を担当してもらう」
米内海佐はその「工作員」の顔を見て驚いた。戦略研究に批判的だったあの民間研究員だった。
「彼は中国人で、私の同志のひとりだ。親中統一派の活動家として、台湾で行動を起こす」
彼は立ち上がって一礼した。
「王克印と申します。先日は失礼な事を言いました、お許しください」
その言葉は米内海佐に向けられていた。
「構いませんよ。日本語がお上手ですな・・・てっきり日本人かと」
米内は会釈で応え、中村へ説明を求めるように視線を向けた。
「彼の素性を知ったらもっと驚くだろう。ともかく、この作戦は王の仕事にかかっている」
台湾工作に関する計画は、ほとんど王自身の手で作成されたものだった。その内容は戦略研究室のメンバーで慎重に討議された。
「台湾に潜伏する、中国の工作員と接触とありますが・・・」
言いかけた米内に、王はすぐさま反応した。
「この人物を巻き込まなければ、中国海軍が動くことはありません」
「いや、そうではなく、どうやって接触するのか示されていない・・・この中国との交信方法にしても、肝心なところが隠されていませんか?」
王は中村の顔を伺った。中村教授は軽くうなずいた。
「構わない、説明したまえ」
王は気が進まなかったが、打ち明けなくてはならなかった。
「その工作員との接触方法も、中国当局との交信手段も分かっています。私自身が中国の工作員だからです」
米内は耳を疑った。
「冗談ですか?」
「王は日本で諜報活動をする中国の工作員だ。安心したまえ、さっきも言った通り、彼は私の同志だ」
米内は驚きを通り越し、ただ呆れかえるだけだった。
「つまり二重スパイですか?教授のやり方は私の理解を超えています・・・お任せしますよ」
中村教授は、計画書にじっと目を通している一等陸佐の顔を伺った。
「竹永陸佐、資金拠出の承認は?」
顔を上げた竹永陸佐は、我に返ったように答えた。
「活動資金の1億5千万円ですか?台湾元建てで送金します。あなたには『民主同盟軍』工作に桁違いの資金を投じてきました。今更認めない訳ないでしょう。それより・・・」
竹永は、その場にいる全員に問いかけた。
「いったん事が始まれば、後戻りできません。中国側がどう動こうと、戦いの結果がどうなろうと、中止することはできない・・・宜しいですか?」
彼は一層の覚悟を求めるように続けた。
「多くの血が流れることになるかもしれない・・・一生後悔することになるかもしません」
一同の沈黙は、異議なしの意思表示となった。
「・・・それでは第2項に移ります。米内海佐、あなたの出番です」
米内は立ち上がった。彼の計画は、以前に戦略研究室で示した「限定的勝利」を目指すものではなかった。
「第一撃の機会は・・・相手に譲ることになります。戦いの大義を得る為です」
米内の示した台湾海域には、僅か1隻の護衛艦が配置されているだけだ。そして海自主力艦隊の航路が示された時、誰もが息をのんだ。
グランドゼロの歯車は回り始めた・・・