36- ──第三の力──
2091.11.08 Thr. 10:02 JST
翌日、シンは、タクシーをマンション前に呼び、大きめのバッグを持ったリエリと共に乗り込んだ。
乗り込むと同時、シンの視界に画面が立ち上がり、【〈呉井 真〉さま いつもアンマンタクシーをご利用いただき、ありがとうございます】とメッセージが表示される。
シンが視界に表示されている赤坂総合病院の画面を摘まみ、車内の黒く光沢のある機器に向かって投げると、シンに視界に病院までの経路が示された地図が表示された。
シンが視界上で〈出発〉と書かれたボタンを触ると、タクシーは走り始める。
「あのさ、こんなときになんだけど……」
「ん? なに、シン?」
「あれから、昨日の刑務所の事件を調べてたんだけど、やっぱり疑問に残ることがあるんだ」
「なに?」
「いくらなんでも圧倒的すぎると思うんだ。銃で武装しているとはいえ、覆面男が六千人の囚人プラス銃で武装した職員七百人を相手に、あそこまで一方的・徹底的な殺戮ができるとはどうしても思えない。しかも、看守は誰一人として殺していない」
「マスコミは神経ガスを使ったって言ってたよ」
「神経ガスの話は、実は出所不明で事実かどうかわかってない。さっき、ニュースで監視カメラの映像が公開されてたけど、覆面男はガスマスクはしていなかったし、持っていたのは銃剣だけだった」
「覆面男は特殊部隊とか、なにかってこと?」
「その可能性はなくもないけど、覆面男のアムに関する発言からして、覆面男は能力者の可能性があると思ってる」
「の、能力って、セレクターとデリーター以外にもあるの?」
「分からないけど、もしそうだとしたら、このまま覆面男を放置するのは危険すぎる」
「……看守の人達を調べて手がかりを探ればいいのね?」
「あの司会者、――ヨコヤマって人も調べてほしい」
「え? なんで?」
「もし覆面男が能力者なら、能力でヨコヤマに何かしたかもしれない。覆面男の性格から考えてやりかねない。あの司会者はかなり覆面男を貶していたから」
「も、もし、もしそうなら、絶対覆面男を許さないわ。調べてみる」
「こんなときに悪いけど」
「なんで! いいよ、大丈夫! リエ様にどんと任せて!」
リエリは、頬を少し膨らませて胸を張った。
二人が病院前に到着すると、腕章を着けた報道関係と思われる人間が十数人程度おり、カメラを構えている者もいる。車内でリエリはマスクを着け、ニット帽の中に長いツインテールを仕舞い込んだ。
「行こうか」
「うん」
二人はしっかりとした足取りで病院に入り、エントランスを抜けてすぐの所にある待合室の長イスに座った。リエリは手元で何度か操作をして、最後に宙で指を押した。
数分もしないうちに、病院職員の女性が二人の目の前までやってきて、少し身を屈めて口を開いた。
「ヨコヤマ様のお知り合いの方ですね?」
「はい、そうです」
リエリが神妙そうな表情で返事をした。
「お話は聞いております。こちらへどうぞ」
職員の女性はそう言うと、二人を連れて奥の長い廊下を進んだ。ナースステーションの前を通り、認証端末が付属したいかにも厳重そうな扉を二度解除して進むと、ヨコヤマと書かれた病室の前で職員の女性は足を止めた。
「こちらの部屋です。最後はセキュリティ規約のため、お手数ですがご自身でコンタクトをお願いいたします。それでは失礼いたします」
「はい、ありがとうございます」
リエリは緊張した面持ちで返事をした。リエリは、宙で何度か指を動かした後、最後に押し出すようにして病室のドアに手の平を向けた。
ドアのLEDが青く光り、スピーカーからは、年配の女性の声が聞こてきた。
「リエリちゃんね、よくきてくれたわ。どうぞ、入って」
「こんにちは、し、失礼します」
モーターの回転音が鳴り、施錠が解除される。
無表情のシンとは対照的に、リエリは意を決したかのような表情で病室のドアを横に引いた。
二十平米ほどの大きさの部屋の真ん中には、昨日倒れたヨコヤマが眠っており、ベッドの奥には寄り添うようにして女性が佇んでいた。
「わざわざありがとうね。主人もきっとリエリちゃんが来てくれたなんて知ったら、とても喜ぶと思うわ」
そう言って女性は、にこやかに、しかし、疲れた様子でリエリとシンを迎えた。リエリは不安そうな表情でベッドのヨコヤマを見た後、女性に向き直した。
ヨコヤマは仰向けにベッドの上で横たわっている。表情はなく、死んだように静かに眠っている。
「――い、いえそんな。ヨコヤマさんにはお世話になりっぱなしなので、何かしてあげられないかと、お見舞いくらいしか。……あの、今の容体は……?」
「大丈夫、命に全く別状はないそうよ。ただ、……昨日のお医者さんの話だと、今日の朝には目を覚ましてるだろうと言っていたのだけど、まだこのとおり眠ったままなの」
「そうですか……」
「念のためこの後、二時からもう一度精密検査をしてもらうことになってるわ」
「わ、私にできることがあれば、なんでも言ってください」
「フフ、ありがとう、リエリちゃん。気持ちだけで十分よ。ところで、そちらの方は?」
女性の問いかけに、シンは僅かに会釈をして返した。リエリは、恥ずかしそうにシンを紹介する手ぶりをした。
「え、えーと、この人は、ま、ま……ネージャー……! ではなくてですね、わ、……そのー、私のカレです」
「――あら、そう! フフッ、不器用そうだけど、優しそうな子じゃない」
「そうなんですよ、やっぱり分かりますか!」
「フフ、リエリちゃんが好きなタイプは、こういうタイプの子だとずっと思ってたわ」
「ホントにシンは不器用で、不愛想だし、話は難しいし、忙しいオーラ出して構ってくれないし、名前でまだ読んでくれないんですよ」
「あら、それはひどいわね」
「そうなんです! 料理つくっても反応薄いし、自分から手握ってこないし、キスだってあれっきり……もう大変なんですよ」
「でも、まだこのくらいの男の子はそんなものよ、ただ恥ずかしいだけというのもあるわね」
「そんなもんですかね~、シンはまたちょっと特殊というか……」
リエリと女性はしばらくの間、シンを意に介さず、塞き止めていた水が一気に流れ出るようにやりとりを続けた。




