16- ──リエリ──
2091.09.02 Sun. 11:55 JST
高くそびえる灰色の壁の下、シンは壁に背中をもたれて顔を空に向けた。
視界には、デリーター、タイマー、周辺地図の三画面と、ニュースの画面が浮かんでいる。ニュースの見出しはどれもアムに関する話題で占められている。
シンが最上段の見出しをタップすると、新たに画面が立ち上がり動画が流れ始めた。シンは動画の下のツマミを僅かに右に移動して、冒頭の数分を飛ばしたところから再生を開始させた。
♢
動画の中で白髪の司会者は、一連のアムと呼ばれる人物の犯行について、二十歳に満たないであろう少女に手を向け、ゆっくりと口を開いた。少女の前には〈一ノ瀬 優香〉と書かれた席札が置いてある。
『一ノ瀬さん。この一連の事件、どう考えてる?』
司会者の老いた鷹のような視線が少女に向かう。
一ノ瀬と呼ばれた少女は、緩やかにウェーブのかかった艶のある黒髪を、濃紺のスーツの胸元付近まで垂らしている。澄み切った深緑色の大きな瞳を司会者に向けると、スッと通った鼻筋の下、小さな口が開く。
『薬物等を使ったのか真偽は分かりかねますが、犯罪者といえど記憶を抹消するというのは、人の更生の可能性を潰す人権無視も甚だしい恐ろしい行為です。私は断固として非難します』
一ノ瀬は瞬きもせず、冷静に恫喝でもするかのような強い口調でそう返した。周囲をゆっくりと見渡し、発言を続ける。
『大変残念なことに、アムを支持する方もごく少数いるようですが、彼らもアム同様間違っています。アムを復讐やストレス発散の代行者として祭り上げているだけなのです。非常に低俗または稚拙な賛美と言えます。はっきり申し上げて、記憶抹消という行為は、物理的な死を伴わないだけの、殺人行為そのものです』
楕円のテーブルに座るコメンテーターらしき数人は、一ノ瀬に同調するように頷いた。しかし、一ノ瀬の向かいに座っている明らかに場違いの容姿=制服のような衣装に黒髪のツインテールの少女は、唇を噛みしめながら一ノ瀬をじっと見据えている。
一ノ瀬は、再び白髪の司会者を見据えた。
『アムは、即刻、卑劣な〝殺人行為〟をやめるべきです。そして、潔く自首し、徹底的に自身の罪を悔い、贖うべきです。多くの市民も今回の事件に怯え、不安を募らせています』
――突然、一ノ瀬の向かい座っていた場違いの少女がツインテールを激しく揺らして立ち上がると同時、両拳をテーブルに叩き付けた。その鈍い音にコメンテーターらが思わず首を立て、少女に顔を振る。
凝集する視線の先、人形のように長い睫毛と大きく黒い瞳は、一ノ瀬をキッと睨みつけて離さない。
『だ、黙って聞いてればアンタ……。アムはね、いい人に決まってるしょ。なーにが殺人犯よ……ふざけないでよ、ふざけるな!! このバカ女!!」
『……。リエリさん、そのような発言は控えましょう』
一ノ瀬は冷静にそう返し、澄んだ深緑色の瞳で少女を見据えた。コメンテーターややギャラリーも静まり返っている。
『まあまあ、リエリちゃん、落ち着いて!』
白髪の司会者が少し笑みを浮かべながら、子供でも落ち着かせるようになだめた。
リエリと呼ばれた少女は、怒り収まらずといった様子で大きな目を更に見開き、一ノ瀬を睨みつける。
『……凶悪犯に人権なんて必要ない。あいつらは更生なんか考えてない! 刑務所を出たらすぐにまた罪を犯して、また刑務所よ。逃げきれたらラッキー位にしか思ってない。更生なんて甘いことを言ってるから、無実の一般市民が被害にあうのよ……。あんた、いっつもどこでも〝更生更生更生〟って言ってるけど、社会は犯罪者の更生施設なんかじゃないのよ!』
『〝社会は犯罪者の更生施設じゃない〟ですか……。そこは私の考えに非常に近いですね。私は兼ね兼ね今の刑務所は、更生施設の役割を十分に果たせていないと思っているんです。そのための関連法案を現在まさに審議中で――』
『――近くないわよ!! なに言ってんよあんた!! 更生なんて必要ないって言ってるでしょう、このバカ!!』
リエリはひどく興奮して机に手を叩き付け、一ノ瀬の発言を遮った。
『リエリさん、そのような発言は控えましょう、あなたはアイドルなのでしょう?』
リエリは更になにか言おうと息を吸ったが、スタジオを囲むギャラリーの目を気にしてか、歯痒そうにして、それ以上は言わなかった。
『リエリちゃん、まあまあ落ち着いてよ。一ノ瀬さんにバカはないでしょう。彼女はUCバークレー主席卒業で、この若さ=十八歳で衆議院議員になった人だよ』
白髪の司会者は僅かに笑いながらそう言った。
『関係ないです、そんなの。UCなんちゃら? そんな学校聞いたこともないわよ』
楕円のテーブルに座るほぼ全員が笑みを浮かべた。
♢
「なんだこりゃ」とシンがつぶやく。
それと同時、正午を告げるアラームが鳴り、シンはすぐに動画を閉じた。
シンは慣れた手つきで、デリーターの画面に瞬く間に追加されていくリストを反転させていく。そして最後に、点滅する《DĒŁĒTĒ》を押した。
【All done】
「……明日から高校か」
シンはそうつぶやきながら、青空に数個だけ漂う雲から視線を外し、ハァと溜息をつきながら顔を水平に戻した。
「――こんにちは」
突然の声にシンは体を仰け反らせた。シンの目の前には、さきほどまで見ていたツインテールの少女=リエリがいた。人目を惹く青いワンピース、それと対照的な白く華奢な腕と足、およそ一般人離れした小顔が覗き込むような表情でシンに向いている。
「……。な、なにか用?」
「刑務所の壁の下で上を向いて、何してるのかなあって」
「……。ゴミ掃除」
シンはボソッとそう答えた。
「ゴミ掃除? なにも持ってないじゃない」
「ホウキを使わない掃除だから」
「……からかってるの?」
リエリは首を傾げ、人形のように大きな黒い瞳でシンを見据えた。
「そういうつもりはないけど」
シンはそう告げてその場を離れようとする。
「ねえ、君って不思議な人ね?」
リエリが引き留めるようにシンの腕を掴んだ。
シンはゆっくりと振り返り、口を開く。
「どこが?」
「心が見えないところ」
「……?」
「ねぇ、君暇でしょ? 少しお話ししましょう? 今ちょうど午前のお仕事が終わって夕方まで時間が空いてるの」
リエリはそう言うと、そのままシンの腕を引っ張って歩き始めた。
「おいおい、ちょっと!」
シンの言葉に構うことなくリエリは歩いていく。




