終の風
シーナ視点です
「馬鹿ね、お坊っちゃんのやりたいことなんて知らないわよ。絆とか、友情とか、思いとか、そんなもので崩される程・・・私の憎しみも、薬の効能も低くはないの」
そっと私の手に添えられたリジュの手には、小さな護身用のナイフ。剣を飛ばされた私に、ラルを殺すには十分の道具を渡されてしまった。
「教えてあげるわ。お坊っちゃんの言葉より、私の言葉がどれ程効果があるか・・・」
私の耳元に唇を寄せ始めたリジュに、私は何度も味わった絶望をもう一度感じる。ラル相手にクレスタ程の時間は、ない。
「ラル・・・逃げろ!お前はここで死ぬ人間じゃないだろっ」
きっとリジュも今はラルを追いかけようとしないだろう。リジュの言動や行動を見ていると、皇族、皇族といいながらもラルよりも、クレスタに執着している様にも見える。そして憎しみを込めて皇族、と言う時も必ずクレスタを呼ぶ時だった。
そこまで考えると、予測ではあるがリジュの考えが少しだけわかってきた様な気がする。
きっと本当に歪ませて殺したいのは・・クレスタと私だ。
私にとって皇族はロード家、という発想の様に、リジュの中で皇族の象徴はライア家、そして縁のある人間はクレスタ。リジュにとって憎しみの対象も殺したい対象も、きっと全てがクレスタへと向いている。対象が“誰か”ではいけなかったのだろう。自分の行動を正しいと言う為には憎しみの対象が必要だったのかもしれない。自分を保つ為に、クレスタの存在が必要だったのかもしれない。そんな全ての罪を背負わされたクレスタとその憎むべき相手に縋り付いた、同じ運命を辿ったはずの私はリジュにとって絶対に許せない人間だったのかもしれない。
だからこうして、私かクレスタを殺す様な状況を作り出すのだろう。
予測が正しければ、きっとラルは逃げれば生きられる。
震える剣を向けてくるラルの姿を見据えると、逸らされることのない、まっすぐとした綺麗な瞳とぶつかった。初めて会った時にも感じた、澄んだ碧色のとても綺麗な色の瞳。その色と同じで、真っ直ぐなラルはきっとこれからも成長する。
「王都へ戻って軍を連れて来い、それがラルの今出来る事だ」
最初から、ラルの最終目標は変わっていない。何があってもやり遂げたいことを今ここで途絶えさせる訳にはいかないんだ。
ラルの握る拳が強くなり、震える刀身の音が大きくなった。それでも、澄んだ瞳の色は変わらない。決断をしたラルが、小さい声まで震わせて剣を構え直した。
「に・・・逃げたいです・・・。こ、こ怖くて、死にたくなくて・・・でも、でも、僕は・・・僕は、貴女を、助けたい・・・!!!」
「っ、ばかやろ、」
ラルの決断に、胸が苦しくなって少しだけ涙がでそうだった。恐怖で震えて、今すぐにでも逃げ出したいと体は示しているのに、私から逸らさない瞳がラルの言葉を強調していた。
思い切った決断をしてくれたラル、だからこそここで私に殺されて欲しくはない。そう考えて、もう一度ラルに声を掛けようとした瞬間、視界の端から向かってくる剣先に、私は思わずリジュを突き飛ばして私とリジュの隙間を通る剣を回避していた。
「っ!」
「きゃ!」
飛んできた剣は私達の居た場所を通り過ぎ、廊下の窓に当たって大きな音を立ててガラスを割り、外へと投げ出された。割れた音と同時に外の雨と冷たい風が屋敷へと流れ込んでくる。
ひやりとした空気に響いたのは、横たわっていたはずのクレスタの声だった。
「・・・ラル、君・・・よく、頑張ったね、」
飛んできた剣の方を見ると意識を取り戻したクレスタが、半身だけを起こしているのが見える。騎士団達とは乗り越えてきた場数が違うからか、こうした場面で即座に反応を取り戻すのは流石としか言いようがない。戦える姿ではないが、体を起こしているその姿に私はほっと安堵した。
しかし、突き飛ばしてしまったリジュの感情は私の安堵、とは程遠いものだった。
憎しみがにじみ出る表情で顔を歪めていく。確定した標的は、ラルではなくクレスタ、だろう。
「・・・迷う時間はいらなかったようね。震えたお坊っちゃんは後にして、死に損ないを殺してやりましょう?これで、やっと終りだもの」
リジュがクレスタに指をさして笑う。
リジュの言葉に、私はまた同じ事を繰り返してしまうのだと胸が酷く痛んだ。割れた窓から入ってきた冷えた外の風が、私の心まで冷やしていく様だと思った時、頭に衝撃が走った。
「っ、く、」
ガンガンと頭が響いて、足元が覚束無くなる。視界が揺れて、焦点も定まらない。そして遂には、ひゅっと息が詰まった。
「・・・は、・・・あ・・かはっ、」
何故か上手く息を吐く事も吸う事も出来なくなった私は、苦しくなってリジュから渡されたナイフを床に落としてしまった。
拾う、なんてことはできず、私の体はナイフよりも空気を求めて喉に手を当てる。
「あ、が・・・う、・・」
「・・・シーナ?」
リジュが不振な私に声をかけてくるが、反応など出来そうもない。頭に響くはずのリジュの言葉すら遠くなった私は、立つこともままならずナイフを落とした床へと倒れ込んでしまった。
「っ、シーナ!立って・・・早くあの男を殺してよっ!」
リジュが叫んだ瞬間、またガラスの割る音が聞こえた。
「何をっ!!」
「・・・空気です、この屋敷には香失草の匂いが充満している・・・僕には気が付かなかったけれど、こうしてシーナが貴女の言葉を聞いているのが良い証拠です。オーリンが外に出たときに起こした発作と同じで、きっと一気に濃度が変わると発作を起こしやすい・・・!」
ラルが必死に何か言いながら、またガラスの割る音が聞こえると更に呼吸がおかしくなり聴覚だけではなく、意識も遠のいていく。
「そんな、オーリンや他の人間だって外には出したわ、そんなはず、」
「他の人はわかりませんが・・・オーリンは既に末期だと聞きました・・・オーリンは偶然だったのかもしれない、けれど発作が起こりやすい状況に変わりはありません。まだ効能が効き始めたばかりのシーナなら、きっとオーリンより新鮮な空気に敏感なはずです!」
遠くでリジュとラルがうるさく言葉を投げかけているが、私の呼吸機能は低下するばかりだった。
「あ、・・・が、」
息が出来ない。苦しい。
飲み込めない涎が口から流れ出すと自然と目からも涙が溢れた。
私はこのまま死んでしまうのだろうか。
そうだとしたら、今回色々世話になったクレスタ、騎士団、ラルに伝えたい。
――――ごめん、それから、ありがとう――――
動かした口は、きっとぱくぱくと空気を欲している様にしか見えないのだろうけれど、きっと伝わる、そう信じた私が最後に見えたのはクレスタの泣きそうな顔。
最後まで情けない顔だったな、なんて心の中で笑って、私は意識を手放した。




