伝える想いと最後の願い
ラルside
シーナが飛竜に乗って飛び上がり、僕が来ていた方へと向かっていくのを雨が降る中見続けることしか出来なかった。
(いったいシーナはどうしたのだろう?・・・なぜここに?・・・なぜあんなに震えて・・・)
突然現れたシーナには謎ばかりが深まっていく。飛竜を撫でる姿は何処か覇気がなくて、何よりも震えていたシーナには僕が追い求めている威厳は無なかった。むしろ手を差し伸べなくては、そう思ってしまうほど弱々しく、まるで怯える幼子の様にも見えてしまった。
(何か、あったのだろうか・・・いや、シーナに限って・・・)
そう思ってしまった後、心の中に疑問が沸いた。考えて見れば、確かに強いシーナだが女性に変わりはない。筋肉が付いて引き締まってた体をしていても男性に比べれば華奢で小柄だ。一緒に乗った飛竜の時を思い出すと、彼女の小ささに心配が膨らんでしまった。
(・・・・・僕に、出来る事はないだろうか)
雨が上がれば、森を歩いて抜けられるとシーナは言っていた。そうすれば騎士団の誰かに伝える事が出来るだろうと、僕は雨宿りする為に大きな木の陰で濡れないようにしながら根に腰を降ろした。その際に、カサッと服の内側で音が聞こえる。
(・・・?あ・・・これは、オーリンの・・・・)
音の原因は服に入れていた白い紙。屋敷を出た直後、オーリンが残した言葉のまま探った服に折り畳まれ、縫い付けられていた奇妙な白い紙を広げると、そこにはびっしりと空白が埋めつくされる程文字が書き込まれていた。
(・・・オーリンの字・・?)
几帳面な彼にしては汚く、それでいて読みにくい字だった。僕は読みにくい字に目を凝らしながら何とか口にしていく。
最初の一文は何とも不可解な言葉が書かれていた。
「この悲劇をあなたへ・・・・?」
これはもしかして、リジュ嬢に犯行を行う直前にオーリンが書いたものなのだろうか。もしこの手紙が懺悔の様な物ならば謎に包まれているオーリンの動機や村の行方不明事件の事が書かれているかもしれない。
そんな期待を込めて僕は雨が止むまでの間に読んでおこうと、続きへと目を通した。
“このお屋敷で起きた悲しい真実を手紙を読まれたあなたへ伝えさせてください。
このお屋敷には、心優しいご夫婦と私、三人で住んでいました。
あれは肌寒くなってきた頃だった様に思います、比較的に村の中でも裕福だったご夫婦の所に皇族の方から養子のご依頼をいただいたのです。”
(・・・これは・・・リジュ嬢・・・?)
酒場で聞いた離しに類似しているが、まさか皇族からの紹介だったとは思わなかった。あのリジュ嬢は皇族なのだろうか。
そんなことを考えていた僕に、次の一行は衝撃を与えてくれた。
“今思えば、それが悲劇の始まりだったのかもしれません。
お人形の様に可愛らしいと喜ばれた奥様のお言葉通り、お嬢様は愛らしく微笑んでこのお屋敷にといらっしゃいました。少しでも早くお屋敷に慣れていただこうと、ご夫婦と私でお嬢様を盛大に歓迎いたしました。
そんなある日、私がお嬢様のお部屋を訪ねると幾つかの種を大事そうにお持ちになっていました。きっとお嬢様がお好きな植物の種に違いないと思った私は、器と土を用意してお嬢様と一緒に一生懸命育てていきました。
花が成長するにつれ嬉しそうに笑うお嬢様に、ご夫婦と一緒に必死に成長を見守っていた私はお嬢様が持っていた種が、栽培禁止とされている草花の種だと未だ気づいていなかったのです。
大事そうに持っていた種が咲かせる花の名前は香失草。
花の香りに含まれる成分で脳や神経を蝕み、自我を失わせるという恐ろしい効力を持つ草花でした。その効力は全ての人間に効果があるわけではなく、効果の現れる人間の9割が女性、そして残りの1割が男性と専門書には書かれていましたが、お嬢様と私は偶然にも珍しい1割の人間でした。
お嬢様はご自分に効果が無い事もそしてどうすれば自我を失わせるのかも知っていた様で、私がその事実に気がついた時には、すでに体に自由はありませんでした。
そして自由を失ったのは私だけではありません。お屋敷にいたお嬢様以外の女性、奥様にもその体の自由はありません。
私はお屋敷に来たときと変わらない笑顔で平然を装うお嬢様が怖くなり、逃げたい、そう考えてしまった時、ついに悲劇は起こってしまいました。
ご夫婦とお嬢様でお食事をされていた時、耐え切れなくなった奥様は恐怖で「助けて」と旦那様に叫んだのです。思考と言葉だけが、奥様に残された唯一の自由―――それが、お嬢様の狂気を呼び起こしてしまった。その一言がお嬢様の耳に入った時、私は緊張で呼吸が止まりそうでした。旦那様が不思議そうに首を傾げ、奥様の側へ行こうと立ち上がると同時に、お嬢様は静かに命令を口にしました。
「ナイフを持ちなさい」
そう、命令したのです。奥様は旦那様に告げた喜びを感じる間も無く、お嬢様の言葉に震え上がりました。口で必死に抵抗を示しながらも、奥様の右手には今まで食事で使っていたナイフ。
私はお嬢様に止められ、その場から動く事ことが出来ず、ナイフの行く末を心配することしか出来ません。そんな私達にお嬢様は愛らしい笑顔で、淡々と命令をしていきます。
「最愛の人の心臓に刺して殺しなさい」
そう伝えられた奥様に残された感情は絶望のみでした。逃げて、と叫びながら近付いていた旦那様に涙を流しながらナイフを何度も突き刺しました。
私はこの光景を生涯忘れることはないでしょう。
真っ赤に染まった手で顔を覆った奥様はその場に泣き崩れ、旦那様に謝罪の言葉を叫び続けました。お嬢様はそっと奥様に近付いて肩を抱くと、旦那様に刺さっていたナイフを抜き取りました。
「一人は悲しいわよね。・・・この気持ちがわかってくれて・・・私は嬉しいわ」
そう告げたお嬢様は、お屋敷に来たときと同じ笑顔でした。お嬢様はあの時からこの惨状を思い描いていたのだと理解した私は、その顔が悪魔の化身の様で、恐怖のあまり身が凍りつきました。怖くて怖くて、嘆く奥様を捨て置いてでも逃げ出してしまいたい。そう、再び願ってしまいました。
私が逃げたい、そう思ってしまったばかりに悲劇はもう一度繰り返されてしまいます。
お嬢様が引き抜いたナイフを私に手渡し、優しく笑うのです。
「オーリン、今度は貴方が一人になる番よ」
最愛のお二人を無残な形で失う事になってしまいました。
奥様が涙を流されながら行なった行為を私自身がまるで復元するように奥様へ行なってしまった。ご夫婦が旅立たれたと噂を村へ流し、死を隠蔽しながらもご冥福を祈る私はなんと愚かで滑稽でしょうか。操り人形と化した私は、お嬢様の言葉により今度は村の人間に香失草を嗅がせ、効力のあらわれた人たちは誰に見つかる事なくお嬢様の下へ行く様命令されていました。そして残念ながら、嗅がせても効力があらわれなかった人々は私の手でご夫婦と同じ道へと歩ませてしまいました。
この終わりの見えない悲劇を、もう繰り返したくありません。
もうじき、私の意思で文字を書ける機会は無くなるでしょう。意識のはっきりする時間が少なくなっているのです。すでに体の自由を失った私に待っているのは、思考の自由を失う事です。
私は、私ではなってしまうのでしょう、お嬢様の手足として生かされる私の最後の願いです。
どうか、お嬢様を止めてください。
これ以上の悲劇が起こる前に、どうか、お嬢様に――――”
・・・・文はそこまでしか書いて居なかった。
(途中になっているこの文章・・・それに、オーリンらしくないこの字・・・もう意識が・・・)
白い紙を埋めた文字に隠されていた秘密。自分はとんだ勘違いをしていたことを思い知ってしまった。
(まさか・・・オーリンが被害者・・・そして、犯人は・・・リジュ・・・嬢)
しかし、なぜオーリンを犯人の様に仕立てる必要があったのだろうか。行方不明者が続出している事を調べに来た騎士団が居る間に、行動をさせなければオーリンを疑う事もなかった。もう少し長居はしたかもしれないが、何も証拠をつかめず帰っていたかもしれないのに。
(リジュ嬢は何が目的なのだろう・・・?)
不可解なリジュ嬢の思考回路を考えてみるが、当然答えなんて出ない。騎士団に来てから、僕は何も出来ていないな、と深く溜息をついて先程目を通した文章を見直すと、別にメモが書いてある事に気がついた。どうやら香失草について、書いてくれているらしい。
“香失草―――
効力のある人間の約9割が女性。しかし、全ての女性に効力があるわけではない。そして男性にも稀に効力がある人間がいる。
効力のある人間には、香失草の匂いが甘く強く感じ、効力の無い人間には無臭に感じる。
そして、香失草が少しでも体を蝕み始めると、今度はその人間自体から甘い匂いを発する。
その匂いは誰にでも感じることが出来るので、甘い香りを誰かから感じたら少し危機感を覚えた方が良い。その人間は少なからず誰かの僕へとなりつつある―――”
詳しく書かれたその内容は、オーリンが調べていた専門書から導かれた確かなものだろうと知れる。果たしてそれがオーリンが自ら調べた事か、それとも“お嬢様”からの命令なのかはわからないが。
(・・・甘い、香りか・・・)
確かに、オーリンからは花の香りがした。あの甘い香りは屋敷全体の香りだと思っていたが、どうやら違うらしい。
(・・オーリンの匂いか・・。あれ・・・確か、あの時・・・)
村の搜索を終えて屋敷へと帰る途中、ちゃんとは聞いていなかったが、確かヴィスタはシーナに近寄って、気になることを言っていた気がする。
『何やってんだ、ヴィスタ。何か臭うか?』
『甘い匂いがする。とっても甘いやつ』
『移ったんだろう、結構な匂いが部屋中に溜まってたからな』
『部屋に匂いなんかあった?特に何も匂わなかったけど。・・・そういえば、オーリンも同じ匂いがしたね』
(まさか・・・!)
シーナから香った匂いは確かにオーリンと同じだった。
何故、思いつかなかったのだろう。騎士団の中で一番危険なのは女性のシーナだ。あの時、花の匂いにシーナだけが敏感になっていた事を香失草の話が出たときに気がついていればもっと早くに答えにたどり着いたというのに。
僕は居ても経ってもいられなくなり、雨が降る中立ち上がった。
(こんなところで、雨を止むのを待っていられない!シーナの向かった方向にはあの村がある・・・!!)
オーリンの最後の手紙を握り締めた僕は雨に打たれるのも気にせず、森を抜けるために走りだした。




