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バトルアックスとバスタードソード③

 俺は顔を上げて前方を見た。そこには放心状態で弓を構え、涙を流しているレミファの姿があった。


 俺は立ち上がり、恐る恐るゼムスを覗き込む。


「死んだ……のか?」


「まだ息がある」シェルンが息を切らせながら言った。


「シェルン! 立てるか?」


「うん……あぅ」


 シェルンはすっと立ち上がって見せたが、間もなくバランスを崩し倒れそうになる。


 俺は思わず彼女の小さな肩を抱いた。


「だい……じょぶ、か?」


「……うん」


 彼女は俺の顔をぽーっと見つめながら赤面する。


 ……多分、ときめき的な要素はそこにはない。理由は割愛する。


「心臓を正確に射抜いてる……もう長くはない」シェルンは感情のない声で言った。


 俺は自分の命を奪おうとしていた一人の男の最期を静かに見届ける。


 ふと、思った。こいつは本当に俺の命を奪おうとしていたか?



 最初に裏切りが発覚したとき、駆け寄った俺を有無を言わさず殺すことができた。でも、しなかった。



 錯乱状態になっている俺を担いだレミファが、そいつの脇を駆け抜けたときも何も手出しをしなかった。



 それに……



『クレベル、今のうちに町に返したらどうだ? こんなひょろいガキと女エルフじゃ、足手まといだ』



 一見、嫌味で言ったあのセリフも、本当は俺たちを巻き込まない為に言ったのではないのか?



 ふと、ゼムスが何か言葉を発していることに気づいた。俺は屈み込み、その兜の暗い隙間に耳を傾ける。


「レミファ……レミファ……」


 背筋が凍りつくのを感じた。何故こいつはレミファの名を呼ぶんだ? 


 わからない。もうこいつに抵抗する力がないことを悟ると、俺はまだ呆然と立ち尽くしているレミファを呼びつける。


「レミファ! 来てくれ」


 レミファの顔が青ざめている。


 彼女も何かを察しているような感じだった。不安そうにやってくる。



「こいつが、レミファの名前を呼んでいるんだ」



「ああ……嘘……!」彼女は言った「嘘、やろ?」



 矢を引き抜けば、出血はさらに悪化するだろう。シェルンはゼムスの背に刺さった矢を途中で折り、体内に矢じりだけを残したまま、慎重に矢柄を取り除いた。



 仰向けに寝かされたゼムスが右手を宙にかざす。シェルンがその手を握る。

「やっぱり……ジェイ兄ちゃんやったっちゃね……」

「レミファ、でっかくなったな……。……いつから、気づいとった?」

 ゼムスの口から漏れたのは博多の訛りだった。つまり、ゼムスは……。


「最初から、ちょっと違和感はあったと。でも、気のせいやろって思いよった。けど、カイデンから助けてくれた時……兜の中の目が一瞬見えたとき、たぶんそうやって。それに……あの斧ば、あげん呼び方するんはエルフだけやけん……」


 レミファは弱々しく笑って見せる。その目にはいっぱいの涙が溜まっている。


「……今、いくつになった?」

「120。もう子供やなかよ」


「……綺麗になったな」


「あれから、50年も経っとーとよ?ねぇ……顔、見せてくれん?」


 レミファが兜にそっと手を伸ばす。ゼムスーージェイはその手を弱々しく拒むように頭を振った。


「……この兜は、もう外せんとや」


「……どういうこと……?」


「この鎧はな……もう、俺の体の一部になっとる。レミファ、俺は里ば離れたあの日から……もう、死んだごたるもんやった」


 ジェイが声を発するたびに、兜の隙間から絞り出される不吉な呼吸の音。体の一部になっている。


 それは比喩ではなく、文字通り、彼の肉体を侵食し生かし続けている……呪いの鎧なのだろうか?


「魔法の力もろくに持たん、剣だけが頼りのエルフが生きていけるほど……世界は甘うなかった。……そういうことや」


「ジェイ兄ちゃん……」


「俺は、生きるために……たくさんの人を殺した。エルフも、や。もう俺は……お前が慕ってくれとったジェイ兄ちゃんやなか」


 突き放すような言葉。だが、彼の手をレミファは強くしがみつくように握る。

「そげんことなか! ジェイ兄ちゃんは、ジェイ兄ちゃんたい!」


「……」


「ねぇ……里が、消えてしもうたとよ? 家族も、友達も……みんな、死んでしもうた。やっと……やっと会えたとに……!」


 彼女の手のぬくもりが、いつまでも冷たい彼のガントレットを包む。


「行かんで……! 死なんで……! お願いやけん……死なんでよ……!」


 嗚咽混じりの声が、次第に叫びに変わる。


「お前には……ええ仲間がおるやろ……」



 ジェイの視線が兜の隙間から俺を射抜く。俺は、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。

「いややっ!! いややいややっ!! ジェイ兄ちゃんがおらん世界なんて、いやぁぁぁーー!!」


「……リクト」くいっと俺の袖をシェルンが引っ張った。その背には既にあの『代償の斧』が収まっている「二人だけにしてあげよう」


「ああ……」


 俺たちはむせび泣くレミファに背を向け、あたりの惨状を改めて確認した。

 急に体が重くなる。アドレナリンが切れたということだろうか。

 ふと、地面に転がる薬の入った木箱が目に入った。あれだけの大立ち回りがあったのに、皮肉にも薬は全くの無事だった。


 これを、ただ町へ運ぶだけの仕事だったのだ。なんで、こんなことに……?


 その時、死臭が漂う戦場跡に、微かな「呻き」が聞こえた。


「シェルン、まだ生きている人がいる!」


 ゼムスに斬り伏せられた仲間たち、そして自分たちが倒してきた野盗たち。

 その数人が泥にまみれながらも喘鳴を漏らしている。かなり出血が酷く、放置したら死んでしまう。


「介錯なら……できる」シェルンは拾い上げた自分の短剣を見せつける。


「こ、殺しちゃだめだろ!」俺は思わず叫んだ。


 とはいえ、応急処置をしようにも何も持ち合わせていなければ、知識もない。

 俺は途方に暮れた。


「薬を使うんだバカ者っ!!」


 背後から聞き覚えのある怒声が聞こえてきた。俺はびっくりしながら振り返る。


 奥の茂みから這い出てきたのは、軽装の鎧をボロボロに汚し、メガネのレンズが片方ひび割れた男――クレベルだった。


「クレベルさん!? 生きてたんですか!?」


「勝手に殺すな! そして何をボケっとしているんだ」

 クレベルは俺を突き飛ばすようにして、倒れた仲間たちの前で膝をついた。

 その手は小刻みに震えていたが、バックパックから止血用のタオルや水の袋を取り出す動きには迷いがない。

「俺たちが運んできた薬を使うんだよ。早くこっちにもってこい」

「あ、はいっ!」

 俺は駆け足で木箱を運んだ。

「え、でも、これって貴重で大切なものなんじゃ……」


「その通りだ」クレベルは、俺から奪い取った木箱をこじ開けた「だが、こいつらの仕事は診療所の戸棚で幅を利かせることではない。いま、目の前の人命を救助するためにあるんだろうが」

 怒鳴りながら、彼は慣れた手つきで傷口を洗浄し、止血を施していく。


 血に濡れることを厭わず、泥に膝を突き、必死に傷口を塞ぐその背中。


「クレベルさん、俺、あんたのこと誤解してた。出世と査定しか興味のないビビりの小物だと思っていた。あんた……立派な医療従事者だよ……」


「お前……いま心の声を普通に口にしてなかったか?」


「……と、とにかく、手伝えることがあったらお願いします」


「声を掛け続けろ」クレベルは背中越しに言った「励まされるだけで、人は何とか命を繫ぎ止めることができるんだ。生きてる奴、動かしても平気そうな奴はこっちに運んでこい」


「はい……あの」


「何だ!?」


「敵……もですか?」

 俺は躊躇いながら聞いた。

 俺の問いにクレベルは顔を上げなかった。ただ、止血帯を縛り上げる手にさらに力を込める。


「命の重さに、敵も味方もない。連れてこい」


「はい! シェルン、手伝ってくれるか?」


 シェルンはしばらく俺とクレベルさんを交互に見つめていたが、やがて双短剣を鞘に収めると小さく、だが確かに頷いた。

 クレベルさんの指示のもと、俺たちは必死に身体を動かした。

 俺は痛みに震える怪我人たちに必死に声を掛け続ける。

 シェルンは渡された信号弾のようなものを打ち上げて、移送先のルシの町へ応援を要請した。

 クレベルさんは運んできた薬を惜しみなく使い、敵味方の区別なく泥を拭い、傷を塞ぐ。そこはもはや、野戦病院のようだった。

 そして日が傾き始めたころーー。

「あ……」

 レミファの小さな声に、俺とシェルンは同時に振り返る。

 仰向けに横たわるゼムス……ジェイの身体、その黒鉄の鎧が、内側から淡い光を放つ。


 やがて実体のない光の粒が鎧の継ぎ目から煙のように立ちのぼり空へと溶けていく。

「ジェイ……兄ちゃん? ジェイ兄ちゃん!」

 困惑するレミファ。シェルンがそっと彼女の傍らに立つ。

「大丈夫。彼はやっと救われたの、きっと苦しくなんかない」

「……そう」


 レミファはもう叫ばなかった。ただ、光が消えていくのを、こぼれる涙も拭わず見上げていた。


 やがて光が収まった後には、彼がかつてそこにいた証拠であるはずの肉体はどこにもなく、ただ主を失った黒鉄の残骸だけが地面に残された。


「……レミファ」


 かける言葉が見つからなかった。それでも、彼女の名前を呼んであげたかった。

 レミファはこちらを向いて小さく微笑んだ。


「お別れ……ちゃんと言えたっちゃ」


 泣きはらした真っ赤な目のまま、無理やり作ったようなその笑顔に、俺はできるだけ穏やかな顔で頷いてみせた。


 シェルンが静かに屈み、泥の中に転がっていた鎧ーー彼女が斧で砕いた小さな破片を拾い上げる。


 彼女の無機質な瞳がじっとそれを見つめ、そしてそれをポシェットに収めた。


 彼女が何を感じ、なぜそれを拾ったのか。俺は聞くことができなった。


 夕日が沈み、辺りが暗くなり始めた頃、森の向こうからルシの町から来た捜索隊の灯りが見えた。


 俺たちの、あまりに多くのものを失った、長い一日はようやく終わりを迎えようとしていた。


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