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狼さまの花嫁  作者: 優莉
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部屋を出る際にハルの見せた意味のありげな笑みに釈然としない気を持ちながらも、先程告げられた言葉だけが、ロイドの思考をどうしても占めていた。


──なるべく早い内に打ち明けてしまわれた方が、身のためですよ。


…わかっている、と。

ロイドは声には出さない代わりに、もどかしい気持ちを表すように長い尾をぱたりと振る。


わかっているのだ、そんなことは。

何よりも自分自身が、痛い程に。


けれど早く打ち明けなければと頭では理解している反面、まだこの距離を保っていたいと願う自分がいることも、確かで。


数日前、ただ困惑したように自分を見つめていたアンジュの顔を思い出す。

出会ったばかりの頃に比べれば、最近ではそんな表情ばかりでなく、笑顔を見せてくれることも多くなったように感じた。

けれどやはり時折彼女が見せるぎこちなさは、未だに払拭されないままだ。

出会ってからまだ数日しか経っていない上、ロイド自身アンジュとの距離の縮め方を手探りで探している最中である。こればかりは仕方のないことのように思う。


だから仔狼の姿で彼女に接する際、本当に安堵したような笑顔を自分に向けるアンジュの姿を知った時は、思わず息をすることも忘れてその微笑みに見入っていたものだった。


気の知れる知人もいなく、今までと全く異なる環境で生活をすることは、身体的にも精神的にも負担になっていることだろう。

それこそアンジュは、その疲れなど決して表情には出さないけれど。


ヘレンという支えになる存在がアンジュに出来たことは喜ばしいことだが、その対象に自分が入れなかったことも何とも情けなく思う。


それから大変不本意ではあるが、小動物である自分の姿が女受けのするものであるということも、ロイドは理解しているつもりだった。

仔狼である自分の存在もまた、アンジュにとっては心を休めることのできる拠り所なのだろう。


それを、知っているから。

だからこそ、今のロイドにはアンジュに全てを打ち明けることが躊躇われた。



…けれど、そんなことは所詮建前に過ぎないのだ、と。

ロイドは自分でも気づかぬ内に、そうと息をつく。


怖いのだ。全てを打ち明けて、アンジュに否定されることが、その身で拒絶されることが。

恐らくは、何よりも一番。


アンジュが姿形が変わったことでその者自身を軽蔑するような人間でないということは共に過ごしていたロイド自身が一番理解していたが、狼から人間へと姿を変える己の姿ではと、やはりどこかで不安に思う面もあった。


そして今まで騙していたのかと、もしアンジュがそう感じてしまったらと思うと、まさに身も凍りつくような思いがあった。

騙していたという思いはもちろん微塵にも無いが、ハルのいった通り、これは初めに打ち明けなかった己が招いたことであるし、それが理由で伝えることができないなどただの逃げでしかない。


けど、それでも。



「あ、帰ってきた」



上から聞こえてきた弾んだ声にロイドが顔を上げれば、いつの間にかアンジュの部屋の前に到着していたことにようやく気がついた。

帰ってきたとアンジュに目の高さまで抱き上げられたロイドは、自分を見つめる丸い瞳に気がつき、思わずじっと覗き込むようにその瞳を見つめ返す。


「どうしたの?」


ふわり、と無邪気に微笑むアンジュに安堵すると同時に、ざわりと胸が僅かに戦慄いた。


もし、全てを打ち明けたら。

この笑顔を己に向けられることも、無くなってしまうのだろうか。


ころころと豊かに変わる表情、鈴の転がるような笑い声に、困ったように眉を下げる仕草。

彼女の新しい面をまた一つ見つけていく度に、想いが一つずつ募っていくようで。


(──そうか。俺は、こんなにも、)


彼女に、惹かれていたのかと。

嫌われたくないと、僅かな可能性を願ってしまう程に。


自分でも気づかぬ内に、こんなにもアンジュに心惹かれていたのだ。

そんな簡単に気づけてしまいそうなことに、今更になって気がついた。



不思議そうに自分を見つめるアンジュの表情に、ロイドはふっと体の力が抜けていくのを感じた。


いずれ、全てをアンジュに伝えなくてはいけない。

けれど今この瞬間だけは、誰にも邪魔をされず彼女の笑みをこの瞳に映していたかった。


胸に息づく想いを言葉に伝えられない代わりにその頬をぺろりと舐めると、アンジュは一瞬驚いたようにぱちぱちと二、三度目を瞬かせる。

けれどすぐに目元を和らげて微笑むと、やんわりとその腕に仔狼の柔らかな体躯を抱くのだった。







*****




…いや、確かに先程アンジュを独占したいと願ったことは確かだったけれど。

それは彼女が自分に微笑みを向けている一瞬のことだったはずだと、ロイドは誰にともなく心の中で言い訳を述べた。



というのも、事の発端はアンジュがロイドを抱きしめたその時に遡るわけで。

ふわふわと心地好い毛並みを肌に感じたアンジュが、その体毛に顔を埋めながら至極幸せそうに呟いたのだ。


お昼時にこの子を抱いて眠ったら、どんなに心地好いだろうか。と。


その言葉に、腕の中のロイドがぎょっとしたように目を瞠った。

けれど昼食も終え、ヘレンの淹れた紅茶でようやく一息をついたアンジュは、そう告げた今でも時折ぴくりと睫毛を震わせながら、うつらうつらと微睡んでいる最中である。

先程急にハルが訪れたこともあり、精神的にも多少の疲労があったのだろう。

そして困ったようにぱたりぱたりと揺らめかせている己の尻尾もその原因の一つに入っているのだということに、ロイドはまだ気づいていない。


さすがにこれはまずいだろうと、ロイドは今もアンジュの隣で楽しそうに自分を見つめているヘレンに視線を投げたが、その当人は口元の笑みを深めるばかりで手助けをしようとする様子など微塵にも見受けられなかった。

そればかりか口元に手を当て、まるで自業自得ですよとばかりにほほほとわざとらしく笑ったりしていて。


思わず異議を唱えるようにがおうと小さく吠えたが、ロイドのそんな様子には手慣れているのか、ヘレンは特に怖気づいた様子を見せる間もなく相変わらずにこにこと笑みを保ったまま。

言いようのない敗北感に打ち拉がれるが、今は感傷に浸っている場合ではない。

せめてもの抵抗を見せるように、控えめに吠えてみたり、手足を必死にばたつかせてみたりもした。

もちろん彼女の肌に傷をつけないよう、細心の注意を払って。


さすがに、そんなロイドの訴えに気がついていたアンジュ。

しばらく様子を窺うように眺めていたのだが、ふと悲しそうに微笑むと、そうと言葉を漏らすのだった。



「…ごめんなさい。やっぱり、迷惑よね…」



加えて目に見えて落ち込んでしまった声色に…う、と思わずロイドの動きも止まる。


悲しげに伏せられた睫毛が、僅かに揺れる。

その瞳に悲哀の色が滲むのを、確かに見てしまったから。


惚れた弱みの何とやら。

そんな言葉を思い出しながらロイドはやがて諦めたようにアンジュの肩にちょこんと顎を置くと、了承したとばかりに鼻を擦り寄せて小さく鳴いた。


それが、アンジュに伝わったかはわからなかったけれど。

ようやくほっとしたように笑顔を見せてくれたので、なんとか自分の意思は伝わったのだろう。



──アンジュの願いを聞き入れるか、否か。


その答えなど、初めから決まっていたも同然であったのだ。




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