腹減った!!!
第二話
「ステータス」
何も出ない。
「……鑑定」
目の前の欠けた椀は、欠けた椀のままだった。
俺は戸口の向こうを確かめてから、椀に手をかざした。
「アイテムボックス」
入らない。
椀を押してみた。床を擦って、少し向こうへ動いた。
知ってた。
この世界に生まれて、五年になる。同じことを何度試したかわからない。それでも、昨日まで使えなかったものが今日は使えるかもしれないと思うと、やめられなかった。
転生って、普通は何かあるだろ。
魔法でも、特別な才能でも、親切な神様からの贈り物でも。
俺に増えたのは、雨漏りする場所の知識くらいだ。うちの屋根には三か所ある。昨夜、四か所になった。
腹が鳴った。
俺は椀の底に残った薄い汚れを見た。昨夜の粥の跡だった。もう一度舐めたところで、何も出てこない。
朝飯はない。
昼飯も、たぶんない。
夕方まで待てば、母が何か煮てくれる。そう思いたかったが、今朝、母は空の鍋に蓋をしただけで畑へ出ていった。
*
外は、今日も曇っていた。
夏だというのに、袖から出した腕が冷える。山のほうから低い雲が流れてきて、村の向こうの斜面を隠していた。
この土地は、暖かい日が少ない。
ようやく雪が消えて種をまいても、冷たい雨が何日も続く。育ちが遅れれば、実る前に霜が降りる。父が畑から帰ってきて、濡れた上着も脱がずに黙り込む年を、俺はもう何度か見ていた。
よく採れた年で、どうにか食いつなげる。
そこから納める分を持っていかれれば、残るものは少なかった。
うちだけじゃない。隣も、その隣も、一日に一度の飯を薄くして食べている。それさえない日は、腹を抱えて早く寝る。
父も母も、怠けているところなんて見たことがない。
それなのに、食うものがない。
俺だって、何とかしようとは思った。
寒いなら、畑を覆えばいい。前世には、冬でも野菜を作る大きな温室があった。
そう思いついたときは、少し興奮した。
やっと転生者らしいことができる。
父に地面へ絵を描いて説明した。棒を立てて、その上を透明なもので覆うのだと。
「その、向こうが見える布は、どこにあるんだ」
そこで止まった。
ビニール。
どうやって作るんだ、あれ。
じゃあガラスは、と考えて、すぐ口を閉じた。家には窓ガラス一枚ない。畑を覆うほど用意するなんて、できるはずもなかった。
寒さに強い作物も、どこかにはあるだろう。
けれど、その種を俺は持っていない。何をどの季節に植えればいいのかさえ、ろくにわからなかった。
前世で食べていた野菜は、店の棚から取るものだった。
土から育てたことはない。
野草なら拾えると思ったこともある。道端の葉を摘んで母に見せたら、食べられないと言われた。隣に生えていたよく似た草は食べられるらしい。
違いを教わった翌日には、もう自信がなくなっていた。
母に聞き直す横で、同い年の子が迷いなく摘んでいく。俺はそいつの手元を見て、同じものを探した。
知識持ちの転生者が、五歳児の真似をしている。
せめて鑑定くらい使わせてくれ。名前と、食えるかどうかだけでいいから。
父に続きを聞かれるのが怖くて、それ以来、温室の話はしていない。
偉そうに言い出して、困ると黙る。
五歳の姿になっても、そういうところは変わらなかった。
使える知識を探すと、表計算の操作や、上司への言い訳ばかり思い浮かぶ。
どれだけ思い出しても、今日の粥は増えなかった。
「おい、いるか」
顔を上げると、家の前に三人立っていた。
いつも一緒にいる、村の子供たちだった。一つ年上の男の子と、俺と同い年の二人。全員、袖や裾の長さが合わない着物を着ている。
いちばん背の高い子が、俺の手元を覗いた。
「何か食ってた?」
「食ってない」
椀を持ったままだったことに気づいて、後ろへ置いた。
「朝も?」
「うん」
「おれも」
そう言った子は、戸口に腰を下ろした。膝から出た脛が細く、泥の乾いた跡が白く残っている。
「昨日の夜は?」
「汁。葉っぱの」
「うち、昨日は何もなかった」
最後の一人が言った。
誰も驚かなかった。
俺は何か言おうとして、やめた。大変だな、なんて言っても腹は膨れない。自分だけ食べていたわけでもないのに、慰める言葉を考えるのが妙に気まずかった。
しばらく、四人で黙っていた。
風が吹くと、濡れた土の匂いがした。畑のほうでは、大人が腰を曲げたまま働いている。
「川、行こうぜ」
年上の子が言った。
「何しに」
「水飲む。飲めば、ちょっとましになる」
座っていた子が顔を上げた。
「魚、いるかな」
「いるかもしれん」
それだけで、二人とも立ち上がった。
俺も、膝に手をついた。
前世の記憶まで持っていて、思いつくことは、この子たちと同じだった。
何でもいいから、腹に入れたい。
「……俺も行く」
椀を戸口の内側へ戻して、三人のあとについていった。




